ハデウェイヒ
学生映画を見たことはあるだろうか?多くは短編だったりするが、最近ではデジタルカメラの性能向上と低価格化で撮影機器も手に入りやすく、記録媒体も高価なフィルムから安価で入手がしやすいビデオテープに変わったりしたこともあり、長編の作品も結構多い。もちろん学生と言っても、それなりの予算をもらってフィルムで撮影することもある。本作はそういう印象を与える。
映画はシーンをつなげて、物語を表現していくが、新人の監督や学生の作品だったりすると、脚本から演出まで監督が多くを受け持っている事が多いので、自分では繋がっているように見えても観客側からは分からないことが多い。
つまり、シーンがAからB、Cと続いていくとしても、それがどういう意味でそうなったのか分かりやすくない。演出も何気ないものばかりで、前のカットの印象のない台詞がキーになっているのだが、次のシーンで展開があっても唐突すぎて不明なことばかりだ。
もちろん意図的にそうして、観客側を考えさせようとさせる手法があるが、それはメインテーマだけにしないと単なる技量不足としか言いようがない。かといって、所々基本に忠実なカット割りがあって、それが間延びした感じだ。例えば、左から車が走ってきて、坂を上っていくシーンがキッチリ撮っているが、一体これが必要なのか?それより、向かった先がどこなのかが伝えきれていない。
以前NHKのアナウンサーに話を聞いたことがあるが、人は分からないことが出てくると、それ以降ずーとそのことが頭から離れなくて、他のことを考え始めてしまった、話者の髪型や服装などが気になり始めてしまったりして、話の内容が全然頭に入って行かなくなるので、いきなり専門用語など分かりにくい言葉を使わないことにしていると話していた。まさにそうなってしまう。
また、主演もこの作品がデビュー作で、解説通り「天使的で、繊細で、ナイーブ、壊れやすそうで、たくさんの魅力にあふれた」女性だ。しかも助演の2人の男性も素人俳優で、資料には「同じく素人俳優だから醸し出せる即物的な魅力をスクリーンに添えている」と書いてあるが、ものは言い様だ。
さて、作品の内容はというと、狂信的に信心深い少女がイスラム系の男性に出会い、イスラム教の考えも理解するようになり、イスラム教にも感化されてしまう。この狭間に悩んでいく。
試写会の後、立ち話で、この作品で「はしご」がキリストとの関係を示唆しているというので、調べてみると旧約聖書だが「天からのはしご(創世記28:12)」という文章があったので紹介しておく。
「そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。」
この天と地をつなぐはしごは、キリスト教においてキリストの予表と解釈されている。
この作品の見所は、この主人公の少女のパリの自宅だ。父親は大臣だと言うが、ものすごい豪邸。台詞に「王族のような」と言われるが、まさにその通り。壁が金で装飾されていて、中世の貴族の家のよう。フランス映画で時々お金持ちの家が出てくるが、それらとは桁違い。
前半と後半にちょっとだけ出てくる修道院。最近では世界遺産だったりして観光目的で訪れることも出来るが、場所によっては宿泊が出来たり、体験瞑想や、共同作業(チーズやワイン作りなど)などが出来るところもある。もちろん厳格な所もあり、この作品の舞台もそういう女子修道院だろう。
資料では修道女となっていたが、いわゆる修道女の格好をしていなかったので、試し期間だったのか、学生とも言っていたので、休暇中に瞑想会などに参加して、召し出しを待っている状態だったしれない。
唐突に現れる彼女のヌードシーンも、フランス映画ならでは。
作品に関してはかなりひどく書いたが、監督は前作ではカンヌ映画祭で特別新人賞を獲得したり、審査員特別グランプリを受賞している。本作はスペインではボロクソだったらしいが、チリでは評価が高かったそう。