フランスの音楽輸出ブーム

2001年1月21日 カンヌ発/RFI Musique: Jean-Jaques Dufayet記者/France Influence –フランスの音楽輸出ブーム–

この日曜日MIDEMにて「France Infulence」と題され、幾つものコンサート、トーク ショーなどが開催された。フランス人にありがちな自我自賛の場、フランスのトップスターや、レコード会社の重役といったお歴々がお互い を誉めあう場となるのでは予想していたであろう。しかし、うれしい誤算であったこ とに、参加者はもっと現状を掘り下げて考えていたのである!

1月末までフランスの音楽著作権団体SACEMの代表であるJaen-Loup Tounierは、 オープニングスピーチにて、まさに要点をつく発言をした。彼は、彼らの海外での影 響に祝辞を述べる前に、まずその言葉の意味を慎重に考えるべきと警告した。 「(France Influenceといっても)それは、フランス音楽のことをいっているのか? それともここフランスで制作された音楽のことをいっているのか?」
Tournierは米国の作詞家や編曲者が、フランスの音楽を英語にするために、おずおず と許可を求めてきていた古き良き時代を回想した。

しかし、”C’est Si Bon”、” La Mer”、 ”La Vie en Rose”のようなクラシックソングがすぐに英語に訳される ような時代はとっくに 終わってしまっている!フランスのクラシックソングを英国やアメリカのマーケット に持ち込むという概念自体が既に消滅してしまっているのだ。現実を直視しよう。最 後にフランスでのヒットが大西洋を超えて、大きなヒットとなったのは、”Comme d ’Habitude”改題 My Way)で、30年も前のことなのだ。

時代は変わり、既に国際マーケットが興味を持っているのは、フランスのシャンソン ではなく、フランスのテクノ音楽である。(French Electro/French Touch) 最近のFrench Electroの国際的な成功を受けて、今回MIDEMに参加したフランスのプ ロデューサー達が自画自賛の騒ぎにふけっていると思うかもしれない。ところが驚い たことに彼らはすべてを謙虚にうけとめているようであった。

France Influenceの独立系プロデューサーの代表として発言したPatrick Zelnikは 聴衆に慎重になるよう求め、現在の輸出状況はもっとよくなる可能性があったと主張した。 Zelnikはフランスの音楽がヨーロッパ各国の市場において、20%のシェアをとれな い理由はなく、また、Jean-Loup Tournierの質問に対しては、フランス音楽という のは必ずしもフランス語の歌詞である必要はないのではないかと発言した。また、最 後にはフランス政府に対して、フランス音楽の海外でのプロモーションのための”輸 出補助”を強く求めた。

大変興味深いことに、今年のMIDEMでは、多くの政府高官が出席しており、彼らがフ ランスのテクノ音楽、ヒップ・ホップ、パリ発のワールドミュージックが与える経済 的効果のポテンシャルを認識していることを示していた。

フランス外務省のEtienne Fiatteはフランスの”文化外交”はFrench Touchよりも ずっと前から存在し、外務省の予算の40%はフランス文化の海外でのプロモーション に費やされていると発言した。しかし、”文化外交”のための予算が必ずしもいつも 十分でないこともほのめかしならが、Fiateは今日では世界のフランス大使館は既 に”文化的”な利益と”商業的”な利益に差をつけていないと発言した。また、フラ ンス外務省が最近、フランスの音楽の海外でのプロモーションをサポートするため に”音楽産業局”を設置したことをあげた。

Fiatteを引き継いだのはAFAA(フランス外務省に属し、フランスのミュージシャンの 海外でのツアーなどをサポートしている)のディレクター Oliver Poivre d’Arvor で、彼はAFAAが年間1千万フランの予算をフランス音楽につぎ込んでいると発言し た。(そのうち4百万フランがコンテンポラリーミュージックにあてられている。) また、彼はAFAAでは近年、フランスのアーティストの海外での市場性をますます認識 するようになっていると述べた。

2001年のフランス音楽の海外での最も大きな成功のひとつとして上げられるのは、ア ルジェリア生まれのシンガーRichid Tahaである。Oliver Poivre d’ArvorはMEDIMの スピーチのなかで、Tahaの最近のアジアでのツアー、そして、Tahaや彼のようなアー ティストが、その時間とエネルギーと費やして、短期的にすぐ利益を生まない国々プ ロモーション活動をしていることに対して賛辞を送った。 また、彼はPatricia Kaasに対しても、これまでフランスのアーティストが足を踏み 入れたことのない国々でコンサートを行っていることに対して敬意を表した。

”French Influence”の後半では、フランスのレコードレーベル各社の代表がフラ ンス音楽を海外でのマーケティングについての経験、戦略などを語った。
Atomospheriquesの若手ディレクターであるMarcThononは雄弁に、Atomospheriquesの アルターナティブアプローチについて雄弁に語り、いかに彼らの純粋に”アーティス ティック”な戦略によって、Tahiti80が日本でのゴールドディスクを獲得するに 至ったかを説明した。

ThononのBarclay(Universal)に働いているときには、決してTahiti80やLouise Attaqueのようなアルターナティブなグループと契約することが許されなかったという話は、 フランスの新しい才能を海外で花咲かせるには、インディペンデントレーベル方が適 しているとの印象を与えた。

それに対して、SonyのVergine Auclairはメジャーレーベルも輸出に貢献しているこ とを示した。たとえばSonyのPatricka Kaasは全売上の30%が海外での売上、またイ ンドネシア生まれのAnggunなどはなんと全セールスの70%は海外での売上である。 Virgin(Daft Punk、Air、Manu Chao)、Universal(Modjio、Era、Khaled、Tarkan)な ど他のメジャーレーベルにおいても同様にアーティストの最近海外での成功が目立っ てきている。

昼食の後、JVC-JapanのAya OhiとMSI-USAのAdam Herkoがフランスのアーティストの 活動が海外でどのように見られているかについて発言、その後はフランスの女性デュ オLes Nubiansが登場し、アーティス自らが最近のアメリカでの成功について話した。

彼女達は、海外でのツアーがレコードセールスや、パブリックイメージのアップにつ ながるだけではなく、インスピレーションの源となることや、文化的経験が深まるこ と、また新たな人との交流も生まれるといった新たな視点を提示した。

ツアーコーディネーターのBernard Batzenはより経済的側面に焦点をあてた。Batzen は海外ツアーのコストを中心に、フランスの”ワールド”ミュージックのグループの プロモーション特有の問題(ステージにのぼるにも、飛行機に乗るにも人数が多すぎ ること)について述べた。また、元La Mano Negra(海外で成功したフランスのグルー プの先駆けの1つ)のマネージャーでもあった彼は、フランス政府や民間の団体の支 援に感謝しながらも、その官僚的な手続きによって、せっかくの補助金を受け取るの に、必要以上の時間がかかることに苦言を呈した。

Batzenの後、何人かのスピーチがあったはずのだが、2人の魅力的な女性がステージ にあがるまで、うつらうつらしてしまいよく覚えていなことを告白しなければなるま い。

一人目はSCAMEのトップ Jean-Loup Tournierの娘 Nathalie Tournierであっ た。彼女はロスアンゼルスでのFrench Music Officeのトップ、もう一人の Marie-Agnes BeauはロンドンのFrench Music Officeにおり、彼女達はそれぞれ 日々の業務について語った。

これらの海外のオフィスはフランスのレコード業界にとって重要なアンテナであり、 フランスの業界のプロフェッショナルとロンドン、ロスの音楽ネットワークを繋ぐ重 要な役割を果たしている。

Marie-Agnes Beauがどうやって英国のティーンエイジャーにフランス語を教えるた めに、フランスのラップグループを招待したかという話に、我々は将来フランスの音 楽が海外にあたえる影響について、なんら心配する必要はないとの感を持った。 フランスの外務省の予算とBeau氏が行っているような創造的なプロジェクトによっ て、現在のフランス音楽の輸出ブームは、実際に長期的続くものになるかもしれない のだ!

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