AntenneFrance N.189 シャルル・トレネ逝く

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  □シャルル・トレネ逝く
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◆◆シャルル・トレネ逝く
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  -フランスは”歌う道化師”(Fou Chantant)を失った-
    2001年2月19日/パリ
    Catherine Pouplain記者
                        http://www.rfimusique.com
 今度の5月18日に88回目の誕生日を迎えるはずであったシャルル・トレネ
 が、今夜、パリ郊外の病院にて発作によりこの世を去った。親族の発表は「彼は
 星になって天に召されました」というものであった。この陽気なアーティスト
 は、彼のユーモアを糧にキャリアを築き、天真爛漫でシンプルでありながら、実
 はしっかりと構成をされた数々の歌を、一世紀にわたり歌いつづけ、フランスの
 国のモニュメントとなった。彼はセンチメンタルでありながら、決して滑稽にな
 るのない類まれな才能をもった詩人として、忘れられることはないであろう。
 1999年11月、シャルル・トレネにとってPleyelでの最後となったショー開催の数
 日前、彼はこう発表した。「わたしのショーにきていただいた皆さんは、わたし
 の葬儀に欠席してもよろしいですよ。」これは、皮肉ではなく、シャルル・トレ
 ネのユーモアと死への恐れよりもずっと強い人生そしてショーへの愛がよく現れ
 ている発言だ。
 シャルル・トレネは、第一次世界大戦勃発直前の1913年、光溢れるフランス南部
 のNarbonneに生まれた。
 公証人の息子であり、母親の秘蔵っ子であったトレネは優秀な生徒でもあり、そ
 のアーティスティックな感性に導かれるように17歳でパリに出た。
 パリでは、映画関係の小さな仕事をしながら、ジャズを知り、詩や小説の執筆に
 燃えるとともに、その後 「Charles et Jonny」としてデュオを組むことにな
 る、若きピアニストJonny Hessと出会う。
 彼らの音楽はアメリカの軽快なミュージカルや、ガーシュインのスイング、そし
 てもちろんのことジャズの影響を受けている。トレネの最初のヒットはPatheから
 出たレコード『Quuad les beaux jours seront la, Sur le Yang Tse Kiang』で
 あった。
 1936年の軍事訓練の間に、トレネは将来シャンソンのクラシックとして残る有名
 な歌の数々を作る。その一つがあの『Y’a d’la joie』で、これはCasino de
 ParisでMaurice Chevalierと作ったものである。プロデューサーのRaoul 
 BretonはトレネをABCのステージに出させ、第二次大戦が始まる頃には、トレネは
 そのクールなスイングで、若者達のアイドルとなっていた。
 その頃からトレネは立て続けにヒットを連発する。『Je Chante』(1937)、
 『la Route enchante』(1938)、『Boum』(1938)、『Mam’zell Clio』(1939)。
 磨きに磨かれた歌詞、生き生きとしたメロディー、そして確かな構成力。トレネ
 はシンガーソングライターとしての才能を如何なく発揮、『Debit de l’eau
 debit de lait』(1942)に見られるようにスイングをしながら自由自在に言葉を
 操った。
 戦後には、トレネの評判はハリウッド、ブロードウエイまでおよび、ここでは
 『La Mer』(英語版はBeyond the Sea)というスマッシュヒットを飛ばした。
 50年代になると、トレネは数多くのリサイタルを行うようになる。Teathre de
 l’Etoileでは51年、60年の2回、オリンピア劇場は54年と55年に、l’Alhambraでは
 58 年にリサイタルを行っている。
 この時代には劇場の上のスターとなってしまったトレネが、新たにレコーディン
 グをする機会はほとんどなくなっていたが、まだぽつぽつと『le Jardain 
 extraordinaire』(1957)のような名曲が生まれている。
 しかし、68年の芸暦30周年記念の際には5月革命のため、当初の予定であった
 Bobinoではなく、パリの小さなキャバレーDon Camilloで祝うことになってし
 まった。そして1971年、『Fidele』を発売、これが1975年に現役引退を発表する
 までの最後のヒットとなった。その4年後の母の死は、トレネに大きな打撃をあた
 え、半隠居生活を営むまでになってしまった。
 シャルル・トレネの長年のファンであったJacque Higelinは彼のカムバックのた
 めに、情熱のすべてをかけ、1987年Printemps de Bourges大舞台にて、それは実
 現することになる。75歳のシャルル・トレネは一夜にして再びスターとしてよみ
 がえり、フランス全土が、彼にひざまずき、祝福した。
 88年のChatlet、89年および93年のPalais des Congre、 99年のPleyelでのコン
 サートはまさに単なるコンサートを超えた”事件”となり、特に1994年L’Opera
 Bastileでのリサイタルで見せた彼のパフォーマンスは特別なもので、時の大統領
 フランソワ・ミッテランなど各界重鎮が殺到するものとなった。
 フェスティバル、ツアー、3つのアルバム(92年Mon coeur s’envole、95年Fais
 ta vie、99年 Les Poetes descendent dans la rue)のすべてを自ら手がける
 シャルル・トレネの気力に満ち溢れた姿、その楽天主義と自らの老齢自体を冗談
 にしてしまうほどの明るさは、プロデューサー、聴衆に大きな喜びを与えた。
 その晩年、シャルル・トレネは、彼が83年に2度にわたり辞退をしたAcademie 
 Francaiseの称号に代わる数々の賞、称号を得、(Legion d’Honneour, Gran Prix
 national des Arts et Lettres, Membre de L’Academie des Beaux-Arts)、フラ
 ンス文化の中で揺るぎない地位を得た。
 また、同じに多作な作曲者である彼は、アーティストたちからも尊敬される存在
 でもあった。トレネの往年のファンであるGeorges BrassenからLudwigVan88
 (84年に『Boum』をカバー)まで、数々のアーティストがトレネの曲をカバー
 し、その数は数百に上る。
 その中でも特に有名で、ミッテラン時代の象徴ともいえるのは、1986年のフラン
 ス/アルジェリアのグループで、Pachid TahaがリーダーのCarte de Sejourによ
 る『Douce France』であろう。
 また、1996年にJerome Savaryは舞台『Y’a d’la joie』にて、シャルル・トレネ
 のやさしく、滑稽な人気曲の数々を取り上げ、この舞台は近年のシャルル・トレ
 ネへのオマージュのなかで最も心に残るものとなった。
 歩行に障害がでており、最後の数ヶ月の疲労はかなりなものであったが、シャル
 ル・トレネが笑みを忘れることはなかった。シャルル・トレネの最後の舞台のポ
 スターでは、彼は天使のように羽をつけ、霊妙な雰囲気が漂っている。しかし、
 この青い目の夢見る道化師は、いつも陽気で、楽天的で、そして地に足がついて
 いた。そして、2000年10月25日、パリで行われたCharles Aznavourのコンサート
 のプレミアが、シャルル・トレネが公に姿をあらわした最後となった。
 シャルル・トレネが我々に残したもの、その喜びに満ち溢れた歌の世界、リズ
 ミックなメロディー、見事に操られた数々の歌詞はずっと我々の記憶に残りつづ
 けるであろう。
 ”Longtemps, Longtemps, Longtemps/ Apres que les poetes ont disparu/Leurs
 chansons courent encre/Dans les rues”
 (詩人がいなくなった/そのずっとずっとずっと後になっても/彼らの歌は街角で
 流れ続ける。)
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