
校門の前で何が起きていたのか――声を上げる高校生と、授業を受けたい高校生
11月5日木曜日、トゥールーズ近郊トゥルヌフイユの高校に、覆面をした若者たちが花火用迫撃砲を撃ち込んだ。校内では火災が起き、建物の一部が煙に包まれた。高校の受付と生徒生活担当部門は荒らされた。共和国治安機動隊(CRS)の隊員が数十人配備された。けが人は出ていない。高校は数日間閉鎖され、オクシタニー地域圏によると被害額は数万ユーロに上る見込みだ。
現場にいた女子生徒は、目の前で爆竹などが使われた衝撃をこう語っている。「すべてを燃やしても面白くないし、何の役にも立ちません。自分たちの権利を訴える助けにもなりません」。別の若者の言葉はもう少し複雑だ。破壊に加わったのはこの高校の生徒ではない人がほとんどだと承知している。破壊する人たちを正当化してはいけないし、自分たちもしていない。ただ、「高校生の要求よりも暴力や騒乱に注目が集まりすぎている」というのだ。
この発言は、今回のフランスの動きを考えるうえで示唆に富む。壊された校舎の写真が出回るほど、校門の前で本来語られるはずだった要求が見えにくくなる。そして、授業が止まって困るのは、要求を掲げた当人たちだけではない。
数十万人の若者が動いた日に、「声」と「暴力」は同じものとして語られた
この日、フランス各地で新たな動員が行われた。RFIによれば、抗議運動は数十万人の若者を街に出した。高校生は自校を封鎖し、学生も参加を続けた。そこに、CGT、CFDT、FOといった伝統的な労働組合と、購買力をめぐって動員されているジレ・ジョーヌが加わった。
つまり、これは高校生だけの運動ではない。ニュース1は、学生の動員や生活費高騰への抗議に伴って暴力が起きたと伝えている。高校生の封鎖、学生のデモ、労組のスト、購買力への怒りが、同じ時期に重なっていた。
ここで問題になるのは、暴力をどこに位置づけるかだ。政府は、ソーシャルメディアが暴力に関与したという見方を示した。ローラン・ニュニェス内相は10月27日、RTLで次のように述べている。10月17日には商店を略奪するために公共の場へ来た破壊行為者や略奪者がいて、彼らはSNS上で互いに警戒を呼びかけ、行き先を定め、情報を交換していた。内務省は反乱を呼びかけるコンテンツを通報するための専従チームを設置した。セバスチャン・ルコルニュ首相はプラットフォーム各社を招集し、暴力や略奪を呼びかける違法コンテンツの流通を「より適切に防ぐ」よう求めた。ジェラルド・ダルマナン法相は検察官に対し、有罪判決に付随する刑罰としてSNS利用の禁止を含めるよう求めた。一時はアクセスの停止さえ検討されたという。
TikTokの約100万本の動画は、政府の見立てと少しずれていた
ところが11月3日、経済・応用研究センター(Cepremap)の研究者3人が、これに慎重な見方を示す研究を公表した。9月1日から10月29日までにTikTokで公開された動画約100万本を分析したものだ。動画の総再生数は160億回、コメントは450万件に上る。
結果は単純ではない。まず、動員の呼びかけが広く流通したことは確認された。10月17日という日付は、最初の報道記事が出る前の9月8日から10日にかけて、すでに認知度を高めていたという。動画の流通には連続する2つの波があり、10月1日と10月17日にピークを迎えた。これは高校生による抗議行動と、その後の若者運動の拡大に対応している。
そのうえで研究者らは、暴力の組織的な連携を示す痕跡は「依然として非常に限られている」と強調する。高校生の運動の初期に封鎖された学校のうち、封鎖の最初の映像が現れる前に動画で名前が挙がっていたのは8%だった。暴力の映像は再生数の14%で、その半数以上はメディアによるものだった。要求を伝えるコンテンツ(32%)やユーモア(31%)のほうが大きな割合を占めた。暴力を映した動画へのコメントでは、称賛より非難が約10倍多く、暴力を明示的に呼びかけるコメントは0.27%だった。外国勢力の介入やAIによって暴力的な映像が大規模に人為的に増幅された証拠も見当たらなかった。
ただし、研究者らは限界も明記している。個別メッセージアプリや別のプラットフォーム上での連携は観察範囲外にあり、今回の結果はそれを否定するものではない。したがって、「TikTokは暴力と無関係だった」と読むのは行き過ぎだろう。研究が言っているのは、観察されたデータからは、このプラットフォームが暴力行為の連携に使われたという主張を裏付けられない、ということだ。
ここから先は私の解釈になる。この研究が興味深いのは、「暴力の舞台」として語られがちな場所で、実際に多く流れていたのが要求とユーモアだった点だ。若者の声が可視化される場所と、暴力が語られる場所を同一視すると、前者まで規制の対象に含めてしまう恐れがある。研究者らが、暴力の予防に有効かどうかが明らかでない規制の妥当性を問い直すべきだと述べているのも、この懸念と重なる。
「要求は正当」と「暴力は許さない」を同時に言う大人たち
フランスの議論の特徴は、若者の要求そのものが社会の側で「正当」と受け止められている点にある。
私立独立教育部門(国と契約を結ばない教育機関)の労組Fep-CFDTは、最低賃金をめぐる年次交渉の決裂と購買力の低下を受け、史上初めてストを呼びかけた。書記長のヴァレリー・ジネは、高校生や大学生の要求を「正当なもの」と述べ、運動を支持すると表明した。「彼らが求めているのは、学び、訓練を受け、将来を築けるようにすることだけです」。さらに彼女は、教員が増え待遇が良くなれば、生徒たちもより良い環境で学習できると語り、自分たちの労働条件の要求と生徒の要求が重なると位置づけた。
注目したいのは、その直後の言葉だ。ジネは「あらゆる暴力を非難します」と述べながら、デモのルートを確保することが困難を極めるようになっていると指摘した。集団で意見を表明する場がどれほど残されているのか、考える必要がある。デモは権利であり、実際に行使でき、安全が確保されなければならない。
つまり、暴力は非難する。しかし、声を上げる場の安全も守れ、という二つの主張が同時に出ている。生徒を政治的な発言者として扱うことと、暴力を許さないことは、フランスの議論では矛盾せず併存している。
授業を受けたい生徒の権利は、どこで脅かされたのか
それでも、冒頭の疑問は残る。発言したい生徒だけでなく、授業を受けたい生徒の権利はどうなるのか。
今回のニュースに、この点を直接論じたものはない。ただ、断片は見える。トゥルヌフイユの高校は数日間閉鎖される。これは、どの生徒の意見を持っていようと、全員が授業を受けられなくなる状況だ。封鎖そのものが授業の妨げになりうることも、一般的な推論としてはありうる。ただし関連ニュースは、各校でどの程度授業が止まったかを伝えておらず、影響は学校ごとに異なるだろう。
もう一つ、安全の問題がある。パリ郊外セーヌ=サン=ドニ県ラ・クルヌーヴでは、リセ・ドニ=パパンの前で、16歳の生徒が胸部をナイフで刺されて負傷した。命に別条はない。パリ警視庁の説明では、部分的な封鎖行動の際にごみ箱を燃やしていた抗議参加者に、成人の生徒が反対し、その後に刺したという。容疑者は20歳で、武器の携帯と武器を用いた暴行の疑いで逮捕された。検察庁によれば、身柄拘束中に精神鑑定を受ける予定だ。
市長で国民議会議員のアリ・ディウアラは、行動に参加している高校生に冷静さと最大限の警戒を呼びかけ、政府と地域圏に安全対策の責任を求めた。週の初めから市内の高校で緊張が確認されていたとも述べている。
これらは別々の事件で、運動全体を代表するものではない。トゥルヌフイユでは、破壊したのは在校生ではないとする生徒の証言もある。それでも、私にはここに一つの構造が見える。学ぶ権利は、教室に入れるかどうかだけでなく、学校の周りが安全かどうかにも左右される。封鎖の現場で衝突が起きれば、運動に参加しない生徒も、参加する生徒も、等しくそのリスクを負う。
日本の読者として、どこに引っかかるか
日本の学校では、生徒が授業を止めてまで意見を表明する場面は、一般にあまり想像されないと言われることが多い。私自身もそうした通念を持って今回のニュースを読んだ。この点は、日本の学校の実態を示す根拠があるわけではなく、あくまで通念に基づく感覚にすぎない。
それでも、日本との違いを一点だけ挙げるなら、「声を上げる権利」と「授業を受ける権利」を、どちらを優先するかという二者択一で考えがちなことだろう。今回のフランスの議論では、労組が「要求は正当」と「暴力は非難する」を同時に語っていた。さらに、生徒自身が「要求と暴力を混同しないでほしい」と訴えていた。この二重の語り方は、日本の議論にも参考になるかもしれない。
アメリカや欧州全体との比較は、関連ニュースからは行えない。ここでは踏み込まない。
これから問われること
今後の焦点は二つあるだろう。
一つは、規制の議論がどこへ向かうかだ。政府はSNS上の暴力を呼びかけるコンテンツへの対応を強めようとしている。一方、Cepremapの研究は、観察されたデータの範囲では暴力の連携を裏付けられないと述べ、有効性が未確認のまま規制を進めることの妥当性を問うている。この溝がどう埋まるのかは、まだ見えない。
もう一つは、学校が生徒の意見表明をどう制度に組み込むかだ。RFIは、若者の関与が本当に再燃しているのか、労働の世界への認識が高まっているのかを問いかけている。これは、今後も注視すべき点だ。仮に若者の参加が続くなら、学校は「声を上げる場」を封鎖や衝突の前に用意できるのか、そして授業が止まったときの学習をどう補うのかが、避けて通れない課題になる。
最後に、読者の皆さんに問いたい。発言したい生徒と、授業を受けたい生徒。その双方の権利を、学校は具体的にどう守れるのだろうか。意見を聞く場を日常的に設けておくことか。それとも、授業が止まった後の学びの保障を先に考えることか。トゥルヌフイユの高校生が口にした「要求より暴力に注目が集まりすぎている」という言葉は、そのどちらにも通じる問いだと思う。
出典
- franceinfo (titres):TikTok n'a eu qu'un rôle "très limité" dans les violences en marge des manifestations et des blocus lycéens, selon une étude (2026/11/6)
- Radio France Économie:Grève du 5 novembre : "Il faut apporter des réponses sociales", selon un syndicat de l'enseignement privé (2026/11/5)
- RFI France:«Porter la voix de mes camarades»: quand les jeunes se questionnent sur l'engagement syndical (2026/11/5)
- franceinfo (titres):Près de Toulouse, un lycée saccagé par des tirs de mortiers d'artifice (2026/11/5)
- franceinfo (titres):Un adolescent de 16 ans blessé par arme blanche par un autre élève majeur, en marge d'un blocage devant un lycée de La Courneuve (2026/11/5)