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「やる気がない」のは誰のせいか――アヴィニョンの映画学校、疲れ果てた教師、稼げないクリエーターから考える

フランス語を学び直すために、映画を一本撮る。アヴィニョンのオラトワール地区にある学校では、そんな授業が行われている。

「École numérique des apprentissages」(ENA)は、学校から離れつつある、あるいは職業上の目標を持てずにいる14〜21歳の若者を受け入れている。校長のFouziya Limoan(フジヤ・リモアン)は「映画制作を通して、フランス語や口頭表現に取り組みます」と説明する。国語の補習をやるのではなく、映画の中で国語をやるわけだ。

この小さな学校のやり方を知ったとき、私は日本の読者に一つ問いたくなった。教室に座れなくなった若者を前にしたとき、私たちはまず「本人の意欲」を疑っていないだろうか。

今回は、一見無関係に見える四つのフランスのニュースを並べてみる。この学校のほか、教師の孤独を描いた小説、稼げないクリエーターたちの統計、シーズン途中で去ったサッカー監督の話である。どれも「個人の頑張り」と「それを受け止める仕組み」の距離を映しているように、私には読めた。

映画で学び直す学校は、意欲を「前提」にしていない

まず事実を確認しておく。ENAは、映像・音響の非営利団体「Volt par l'image et le son」が運営している。2020年以降に展開されている取り組みの枠組みで設立された。映像、ラジオ、映画を教材にして、基礎学習だけでなく表現力、創造性、共同作業の力も育てる。

体制も具体的だ。国民教育の教員1人、教育支援員、映像・音響技術者3人が連携し、一人ひとりに合った道筋を提案する。少人数制で個別の支援ができる。少年司法保護局(PJJ)との連携も活用しており、司法関係機関との連絡役を担う教育支援員が常勤している。アヴィニョン・オペラやヌーヴェル・イマージュ校といった地域の文化関係者とも協力し、若者がそれまで触れる機会のなかった職業や文化の世界に出会えるようにしている。

ここで注目したいのは入口の設計だ。紹介や進路案内を行うのは、国民教育機関、児童保護機関、地域若者支援機関(Mission locale)、就労・社会参加支援の関係機関などである。つまり若者が「自力で見つけて申し込む」ことを前提にしていない。周囲の機関が、困難を抱えた若者をこの学校へつなぐ。

ここから先は、記事に書かれた事実ではなく私の解釈である。この学校の発想では、学ぶ意欲は入学の条件ではなく、むしろ取り組みの成果として戻ってくるものと位置づけられているように見える。記事の見出しも「学ぶ意欲を取り戻す」だった。意欲がないから学べないのではなく、学べる形に出会えていないから意欲が見えなくなる。そう考える余地を、この学校は残している。

「教師たちの孤独は果てしない」という叫び

同じ週、フランスの文学賞では、学びの現場の別の側にいる人たちが話題になった。11月4日(水)、ヤニック・アエネル(Yannick Haenel)が小説『La solitude des professeurs est infinie』(ガリマール刊)でフェミナ賞2026を受賞した。邦題をつけるなら「教師たちの孤独は果てしない」だろう。

アエネルは作家、エッセイスト、『シャルリー・エブド』のコラムニストになる前の15年間、教師だった。小説は、その経験を文学上の分身ジャン・デイシェルに託して描く。1990年代初頭、22歳のフランス語教師見習いが、使命感を胸にマント=ラ=ジョリーの中学校に赴任する。周囲からは「生徒に笑顔を見せたら、食いものにされる」と警告される。それでも初年度は、どこか浮世離れした幸福感のうちに過ぎる。

転機は2年目だ。じわじわとした疲弊、過密な時間割、一部の生徒による暴力、そして管理職の臆病さが重なる。記事によれば、デイシェルが文学を死んだ言葉にしないための授業をすればするほど、その熱意は、細かく枠を定める行政のどの分類にも収まらなくなり、彼は異物のように排除されていく。やがて彼は激しい鬱状態に陥る。

この小説が私の関心を引くのは、教師の熱意が足りないという話ではまったくないからだ。むしろ熱意はあり余っている。記事が強調するのは、うまくいくために必要な「ほかの条件」、すなわち支援、指導体制、研修、追加の人員や予算が整っていないことだ。

記事が引くアエネルの言葉は鋭い。「教師たちが自分を犠牲にしていることを、彼らはよく知っている。そして、そのことを知っているからこそ、内心では安堵する。誰かが代わりに厄介な仕事をしてくれているからだ」。社会の側が、教師の自己犠牲に安心してもたれかかっているという指摘である。記事は最後に、何かが変わるまでに「打ち負かされるジャン・デイシェルをあと何人、数えなければならないのか」と問う。

注意しておきたいのは、記事が、アエネルは過去の恨みを晴らそうとしているのでも、誰かを犯人に仕立てているのでもない、と書いていることだ。原因は多岐にわたり、以前からある。そして問題は今も解決していないと、記事は受け止めている。

90億ユーロの市場で、半数以上が年5000ドル未満

生徒、教師と来て、三つ目は「働いて稼ぐ」側の数字だ。同じ11月4日、調査会社Coherent Market Insightsが、Paris Creator Weekの開幕に合わせて、フランスのコンテンツクリエーター市場の調査を公表した。2026年に約90億ユーロ、前年比23,7%増に達する見込みだという。

華やかな数字だが、中身を見ると様相が変わる。フランスで収益化している約33万人のうち、年収5000ドル未満(約4420ユーロ)は56,1%に上る。一方、3万ドル(約2万6580ユーロ)を超えるのは9,5%にすぎない。市場価値の配分も、クリエーター自身が45,4%、プラットフォームが31,3%で、残りはソフトウェア開発会社や代理店などのサービス提供事業者に回る。

この調査は、国際的な経済・業界データの分析、業界企業のデータベース分析、市場関係者369人への聞き取りをもとにしたものだ。数字の読み方には一定の慎重さが要る。それでも、「市場が伸びること」と「そこで働く個々人が食べていけること」が別の話だという構図は、はっきり見える。

ここでも私の解釈を挟む。この種の話題になると、「成功しないのは工夫や努力が足りないから」という語りが出てきやすいと、一般に言われる。だが、収益の大きな部分が個人の外側に分配され、個人に届く額の分布が大きく偏っているなら、努力の量だけでは説明しきれない部分が残る。調査関係者が今後の課題として挙げているのが「資金調達と専門性の向上」であることも、個人の根性論ではなく、周辺の仕組みに目を向けた指摘に読める。

サッカー監督の「離脱」が見せた、もう一つの組織の姿

最後に、少し毛色の違うニュースを置く。同じ日、OLことOlympique Lyonnaisは、Paulo Fonseca(パウロ・フォンセカ)監督の退任を正式に発表した。Sporting Portugalから接触を受けた監督が退任の意向を伝え、クラブは「シーズンの最中というタイミングもあって深く遺憾」としつつ、全面的な取り組みを確保できない協力関係の継続はクラブの利益にならない、と判断した。Sporting Portugalは、契約の前倒し解除に伴い、OLに「cinq millions d'euros」の補償金を支払う。

学校や教室の話とは別世界のようだが、あえて並べてみたい。ここでは、働き手が職場を離れるという出来事が、声明と補償金額という形で、組織同士の取り決めとして処理されている。暫定的に指揮を執る人物(元アシスタントコーチのJorge Maciel)も、後任の選び方の方針も、すぐに示された。ひとりの離脱が、個人の挫折としてではなく、組織が引き受ける出来事として扱われているわけだ。

もちろん、プロスポーツの頂点にいる監督と、中学校の教師や無名のクリエーターを同列には論じられない。これは構造の違いを際立たせるための対照であって、同じ尺度で優劣を言うものではない。ただ、教師が心身を壊して去る場合には、こうした組織的な受け皿が見えにくい、という読み方は成り立つように思う。

共通しているのは、「個人の努力」だけで説明する癖への疑い

ここまでの四つを並べると、見えてくるものがある。

  • ENAは、学校から離れた若者に、意欲を求めるより先に、複数の専門家と地域機関がかかわる学びの場を用意している。
  • アエネルの小説は、熱意ある教師の疲弊を、個人の資質ではなく、支援や体制の欠如の問題として描く。
  • クリエーター市場の数字は、市場の成長と個人の収入の乖離を示す。
  • Fonsecaの退任は、働き手の離脱が組織間の取り決めとして処理される例を見せる。

これらを貫くのは、困難を「本人の努力不足」で終わらせず、本人の周りの条件に目を向ける視線である。フランスの読者が、この視線をどこまで自明のものとしているのかは、記事からは断定できない。ただ、教師の孤独を描いた小説が文学賞を受け、その受賞を伝える記事が「何が変わるべきか」を問い続けていること自体が、この問題を社会の課題として扱う空気を示しているとは言えるだろう。

日本の読者にとっての「入口」の問題

では日本はどうか。これは記事の事実ではなく、一般に言われる傾向についての私の連想として読んでほしい。日本では、学びや仕事の困難が「本人の頑張り次第」という言葉で語られやすいと、しばしば指摘される。教室に来られない生徒には「やる気」を、就職に苦戦する若者には「努力」や「経験」を、まず求める。そういう空気があるとされることは多い。

ENAの設計と比べると、違いが際立つ。ENAは、参加の条件として意欲を求めない。その代わり、紹介する機関のネットワークと、少人数の専門家チームという「入口の側の準備」を整えている。努力する場を用意することと、努力を求めることは、似ているようで逆方向だ。

米国についても、個人の能力を市場が評価するしくみが強調されることが一般には多いと言われる。ただし、本稿のニュースには米国についての具体的な根拠がないため、ここでは深入りしない。クリエーター市場の数字が示すように、個人が評価される世界ほど、配分の偏りという形で構造が見えやすくなる、という示唆にとどめたい。

今後の見通し:入口の次に問われる「続けられる条件」

この先を推測しておく。以下は根拠のある予測ではなく、あくまで私の見立てだ。

ENAのような取り組みは、教育から仕事への移行を支える。しかし、アエネルの小説が突きつけるのは、その先の問題である。入口に立てたとして、そこで働き続けられるだけの支援があるのかという問いだ。支援、指導体制、研修、人員、予算。教師に必要とされるこれらの条件は、おそらくクリエーターの「資金調達と専門性の向上」という課題とも、どこかで重なる。

学びの入口と、働き続ける条件。この二つをつなげて考えられるかどうかが、これからの論点になっていくのではないか。逆に、入口だけを整えて、中で消耗する人を個人の問題として扱い続ければ、同じ孤独が別の場所で繰り返されるおそれがある。

努力しても仕事に結びつかないとき、誰が条件を変えるのか

映画を撮って学び直す若者、打ち負かされたジャン・デイシェル、年に5000ドルに届かないクリエーターたち。彼らに共通するのは、努力が足りないことではなかった。足りなかったのは、努力を受け止める形である。

最後に問いを返したい。努力しても仕事や学びに結びつかないとき、あなたはまず、その人に何を求めるだろうか。そして、入口の条件を変える役割は、本人にあるのか、学校や職場にあるのか、それとも社会にあるのか。

教師の孤独は「果てしない」とアエネルは書いた。その果てを決めるのは、個人の我慢ではなく、周りの私たちの選択なのかもしれない。

出典

  • Radio France Économie:On pousse le portail d'une école Avignonnaise pas comme les autres : l'Ecole Numériques des Apprentissages (2026/11/4)
  • franceinfo (titres):"La solitude des professeurs est infinie" de Yannick Haenel, prix Femina 2026 : quand l'enseignement cessera-t-il d'être un sport de combat ? (2026/11/4)
  • franceinfo (titres):Ligue 1 : Paulo Fonseca quitte l'OL en cours de saison pour entraîner le Sporting Portugal (2026/11/4)
  • franceinfo (titres):En France, le marché des créateurs de contenus a représenté près de 9 milliards d'euros en 2026, selon une étude (2026/11/4)
  • franceinfo (titres):Le prix Femina 2026 est remis à Yannick Haenel pour "La solitude des professeurs est infinie" (2026/11/4)

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