
合法であることと、守られていることは、同じではない
オー=ド=セーヌ県クラマールの診療所で、ある女性が医師に訴えていた。「朝、熱が38.5度あり、頭の中で脈打つような感じがします」。診察に来た患者の5人に1人が同じような症状を抱えているという。新型コロナかインフルエンザか、医師でさえ見分けがつかない。フランス公衆衛生局によれば、これは9月に毎年見られる季節性の増加でもあるが、油断はできないという。10月13日から始まるワクチン接種は、誰にでも同じように呼びかけられているわけではない。妊婦、ぜんそくや心疾患、糖尿病、腎疾患のある人、免疫機能が低下している人――名指しされているのは、重症化のリスクを個人の努力だけでは減らせない人たちだ。
ここに、この記事で扱いたい問いの輪郭がすでに現れている。誰もが同じように「自分で決める」ことができるわけではないとき、社会はどこまで手を差し伸べるべきか。同じ週、フランスではこの問いが、まったく異なる4つの場所で形を変えて浮かび上がっていた。
ひとつは、終末期をめぐる言葉だ。ルルドを訪れた教皇レオン14世は、病者や障害のある巡礼者を前に、「合法であることが、必ずしも道徳的とは限らない」と述べた。フランス議会が2か月前に尊厳死への支援法案を可決したことを踏まえた発言だった。教皇は「偽りの慈悲」を理由に人を死なせる誘惑を退けるよう訴え、いかなる法律も人が自らの尊厳を確信することを妨げてはならないと語った。ここで問われているのは、自己決定権そのものではなく、その決定が本当に「自由な選択」と呼べる条件のもとで下されているのか、という点だ。病や高齢によって弱っている人が「死を選ぶ」とき、それは社会が十分なケアを提供できなかった結果の消去法ではないのか——教皇の発言は、そうした疑いを言語化したものと読める。
もうひとつは、まったく違う年齢層をめぐる話だ。米アラバマ州でTikTokは、訴訟を避けるために少なくとも1億ドルを州に支払い、若年利用者に1日2時間の利用上限を設けることを受け入れた。未成年者の保護に取り組むパリの弁護士ローラ・ブトロン=マルミオン氏は、これを「励みになる兆候」と呼んだ。彼女によれば、欧州を含む各地で若者が危険なほど強い不安の状態にあり、10歳や11歳という年齢での自殺すら報告されているという。プラットフォームが「自分たちのアプリは有害ではない」と言い続けることは、もはや難しくなっている。ここでも、問われているのは「利用するかどうかを選ぶ自由」ではない。選ぶ力がまだ育っていない年齢の人間に対して、誰が利用の設計そのものに介入するのか、という話だ。
そして、その「介入」が間に合わなかった場合に何が起きるかを、ジロンド県の事件が突きつけている。16歳の少女が、酒を無理に飲まされたうえで集団性的暴行を受け、その様子を撮影されたとされる事件で、未成年者2人を含む男3人が予審の対象となり収監された。関与した男は計10人に上る可能性があると少女は証言している。ここにあるのは、保護すべき側とされる未成年同士のあいだで、力の非対称性がそのまま暴力に変換されてしまう現実だ。年齢が同じでも、力は同じではない。制度が「未成年だから守られるべきだ」と一括りにする前提そのものが、現場では崩れている。
スペインの話は、フランスの外の出来事だが、同じ構造を映し出している。マドリードで70年間暮らしてきた87歳の女性マリカルメン・アバスカルさんは、不動産会社が家賃を275%引き上げた末に、警察にドアを破られ担架で運び出された。この映像をきっかけに数千人がマドリードを行進し、「次のマリカルメンはあなたかもしれない」という横断幕が掲げられた。ペドロ・サンチェス政権は賃貸契約の自動更新や立ち退き規制の強化を含む「マリカルメン令」の承認を目指しているが、議会で過半数を持たないため成立は不確実だという。ここでも問題は、彼女に「住み続けるかどうかを選ぶ自由」があったかどうかだ。契約上は合法な家賃引き上げであっても、87歳という年齢と70年という居住実態を前にしたとき、それは実質的に選択の余地のない「退去命令」に等しい。
こう並べてみると、5つのニュースは分野もスケールもばらばらに見えて、実は同じ軸の上に並んでいることが分かる。終末期の患者、感染症のリスクを負う人、SNSに晒される子ども、力の非対称の中にいる未成年、家賃を吊り上げられた高齢者。それぞれの場面で、「本人の選択」という言葉が使われながら、その選択を支える土台――健康、年齢、経済力、周囲の力関係――が、あらかじめ傾いている。フランスの教皇の発言も、TikTokをめぐる弁護士の言葉も、スペインの抗議デモも、突き詰めれば同じことを問うている。制度が「これは個人の自由だ」と言うとき、その自由は本当に対等な条件の上に成り立っているのか、という問いだ。
フランスでは、こうした問いが公共の場で正面から議論される傾向が強いように見える。尊厳死法案は議会を通過し、教皇はそれに公然と異を唱え、プラットフォーム規制は弁護士や活動家の運動を通じて「パラダイムの転換」として語られる。住宅危機も、一人の高齢女性の映像が数千人のデモへと直結する。弱者の保護は、個人の問題である以前に、共和国が答えるべき公共の課題として扱われることが多いということが、これらの報道からは読み取れる。
日本の状況は、これらのニュースには含まれていないが、読者の多くが実感として持っている構図と重ねて考えることはできるだろう。高齢者のケアや若者のネット利用をめぐる負担は、行政の一括した基準よりも、家族や個々の裁量に委ねられる場面が多いと言われることがある。もしそうだとすれば、フランスで起きているような「制度が介入すべき境界線はどこか」という公然の論争そのものが、まだ十分に可視化されていない可能性がある。米国のTikTok訴訟のように、州単位で規制の強さが異なり、訴訟という形で企業の責任が問われる仕組みも、フランスや日本とは異なる回路として興味深い。
この先、終末期の法制度、プラットフォームの年齢制限、住宅市場への規制、感染症下でのケア優先順位は、それぞれ別々の分野の政策に見えて、実は「誰の選択を、どこまで社会が支えるか」という一つの基準に収斂していくのかもしれない。2026年が「プラットフォームの有害性をめぐる転換点」になるとフランスの弁護士が予測しているように、複数の分野で同時に基準の見直しが進む可能性はある。
選択肢があること自体は、自由の証明にはならない。その選択肢を、弱い立場の人が安全に選べる条件が整っているかどうか。あなたの身の回りで、その条件は本当に整っているだろうか。
出典
- franceinfo (titres):"Ce qui est légal n'est pas nécessairement moral", juge Léon XIV, dans un discours sur la fin de vie prononcé à Lourdes (2026/9/28)
- franceinfo (titres):Covid : les consultations en hausse de 76 %, faut-il craindre une nouvelle épidémie ? (2026/9/27)
- franceinfo (titres):L'accord accepté par TikTok aux Etats-Unis est "un signal encourageant", selon une avocate engagée dans la défense des mineurs (2026/9/27)
- franceinfo (titres):En Gironde, trois hommes, dont deux mineurs, mis en examen pour viol en réunion sur une jeune fille de 16 ans (2026/9/27)
- franceinfo (titres):"Vous pourriez être la prochaine Maricarmen" : des milliers de manifestants dans les rues de Madrid pour soutenir une octogénaire expulsée de son appartement (2026/9/27)