
家族に頼れなくなったとき、社会は誰の肩代わりをするのか
マドリードのアパートに70年間暮らしてきた87歳の女性、マリカルメン・アバスカルさんのことを想像してみてほしい。子どもの頃からの部屋、隣人との挨拶、近所の市場――そうした生活の積み重ねが、ある日突然終わりを告げる。彼女の住居を買い取った不動産会社が家賃を275%引き上げようとし、支払えない彼女は立ち退かされた。一人の高齢女性の暮らしが、投資会社の収益計算の前に崩れ落ちた瞬間である。
この出来事がきっかけとなり、10月3日、スペイン各地で住宅への権利を求めるデモが行われた。マドリードでの参加者数は、当局発表の7万人から、借家人組合が主張する50万人まで大きく食い違っている。数字の差自体が、この問題がどれほど政治的に火種を抱えているかを物語っている。直前に政府が提出していた法案――生活困窮者の立ち退きを2030年まで停止し、いわゆる「ハゲタカファンド」への対策を盛り込み、賃貸契約の自動更新を定めるもの――は否決された。前倒し総選挙の可能性すら取り沙汰されている。つまりここで問われているのは、一人の高齢者が家を失うかどうかという個別の悲劇ではなく、国家が住まいをどこまで権利として保障するつもりがあるのか、という制度設計そのものだ。
この問いは、住居だけにとどまらない。同じ時期、フランスではエドゥアール・フィリップ氏が年金改革案を発表し、当初示唆していた67歳という退職年齢の基準から、65歳へと方針を変えた。財政収支を是正するための措置だと説明されているが、彼自身はこれを「全ての人に責任があり、各人に公正」な改革だと位置づけている。裏を返せば、老後の生活をどう支えるかという問題は、もはや家族内の蓄えや子どもの扶養だけで解決できる規模ではなく、国家財政と世代間の負担配分という、きわめて政治的な交渉の対象になっているということだ。老いは個人の問題である以前に、予算編成の項目になっている。
そしてケアの話は、暴力の問題とも地続きだ。イヴリーヌ県アシェールで、パートナーを殺害した疑いのある男が警察に自ら通報し、身柄拘束された。痛ましいのは、これが特異な事件ではないという点である。フランス省庁間女性保護ミッションの統計によれば、2024年に配偶者または元配偶者に殺害された女性は107人にのぼり、2023年の96人から増加した。家庭という最も私的な空間が、最も危険な空間にもなりうるという事実は、「家族に委ねれば安心」という前提そのものを揺るがす。親密圏の中で起きる暴力から誰かを守るには、家族の自助努力ではなく、通報の仕組みや保護体制という社会的な装置が要る。
こうした断片をつなぎ合わせると、一つの輪郭が見えてくる。住居を失う高齢者、老後資金をめぐる国家財政の綱引き、家庭内で命を落とす女性たち――いずれも、生活の土台が崩れたときに誰がそれを支えるのかという問いに行き着く。フランスでは社会保障制度の厚みがある一方で、住宅市場の不安や親密圏の暴力への対応は、依然として個人や家族の側に重くのしかかっている構図が、これらのニュースから透けて見える。
この構図を、少し離れた場所から眺めてみるとどうなるだろうか。日本では一般に、高齢者の介護を家族、とりわけ女性が担う傾向が強いと言われ、単身で暮らす高齢者が増えるなかで、その家族依存の前提自体が揺らいでいるとされることが多い。家族という防波堤が小さくなっていくとき、何がその代わりを果たすのかという問いは、フランスで住居や年金をめぐって起きている議論と、根は同じではないかと思える。アメリカでは、雇用と健康保険、住居が強く結びついているとされ、病気が生活基盤そのものの喪失に直結しやすい構造があるとも言われる。働けなくなること、家族の支えを失うことが、そのまま生活の崩壊を意味してしまうなら、ケアを家族任せにしないという理念は、絵に描いた餅で終わってしまうだろう。
興味深いのは、モロッコで初めて女性首相となったファティマ・エッザフラ・エル・マンスーリ氏が直面している課題だ。彼女の政党は、年金を270ユーロ相当の3000ディルハムまで引き上げることや、最低賃金を5000ディルハムまで引き上げることなどを公約に掲げ躍進したが、議会で絶対多数を持たず、公約の実現は経済学者からも疑問視されている。公約が果たされなければ国民の失望を招き、議席を伸ばしたイスラム主義勢力に政治的な余地を与えかねないという。老後の生活保障という本来地味であるはずの政策課題が、政権の正統性そのものを左右する政治的賭けになっている様子は、国を問わず、この問題がいかに切実かを示している。
もう一つ、見過ごされがちな角度からの手がかりがある。フランスのスポーツジムでは、見た目の筋肉づくりから、持久力や敏捷性を重視する「ハイブリッドアスリート」向けのトレーニングへと関心が移っているという。社会学者ギヨーム・ヴァレ氏は、この流れを「脆弱性の資本主義」と呼び、誰もが将来起こりうる脆弱性に、とりわけ身体を通じて備えるよう求められている時代だと説明する。これは筋トレの流行という一見軽い話題だが、裏を返せば、病や老い、身体の衰えに対する備えを、公的制度ではなく個人の努力と消費によって先回りしておかなければならないという感覚が広がっていることの表れとも読める。家族も国家も十分に支えてくれないかもしれないという不安が、ジムの会員継続率という経営指標にまで滲み出ている、と見るのは言い過ぎだろうか。
スペインの住宅法案の行方、フランスの年金改革をめぐる世論の反応、モロッコ新政権が公約をどこまで実現できるか――これらはどれも、今後数カ月から数年のうちに、家族任せにしないケアの仕組みがどこまで現実のものになるかを試す試金石になる。どの国も、答えをまだ出せていない。
あなたの家族が、もし明日から住まいを支えられなくなったら、病や老いを抱えきれなくなったら、誰がその肩代わりをするべきだと思うだろうか。国家の財政か、保険の仕組みか、それとも自分自身の備えか。この問いに、あなたはどう答えるだろう。
出典
- franceinfo (titres):Au Maroc, la nouvelle cheffe du gouvernement au défi de la crise sociale (2026/10/4)
- franceinfo (titres):A Madrid, une manifestation pour le droit au logement rassemble entre 70 000 et 500 000 personnes (2026/10/3)
- franceinfo (titres):Un homme soupçonné du meurtre de sa compagne placé en garde à vue dans les Yvelines (2026/10/3)
- franceinfo (titres):Hyrox, "athlète hybride"… Comment les salles de sport tentent de se renouveler pour fidéliser ou attirer de nouveaux clients (2026/10/3)
- RFI France:Politique, le choix de la semaine - Édouard Philippe essaie de ne pas buter sur les retraites (2026/10/3)