
15歳が手を失った朝、フランスは「秩序」の値段を問い直している
10月5日月曜日の午前10時半、パ=ド=カレー県ランスのオーギュスト・ベアール職業高校の前には、200人から250人の高校生が集まっていた。県知事の説明によれば、彼らは警察官に石や花火、迫撃砲型の花火を投げ、警察側は規定の警告を行ったうえで介入した。その数分後、2年生の15歳の男子生徒が手を失った。内相ロラン・ニュネは「抗議行動で手を失うようなことがあってはならない」と述べ、国民教育相エドゥアール・ゲフレは「人道的に悲劇的だ」と表現した。だが誰も、何が起きたのかを正確には説明できていない。
生徒が証言しているのは、手榴弾を「拾った」のではなく、それが「手の上に落ちてきた」という場面だ。一方で検察は、使用された手榴弾の種類すら「確認も否定もできない」と述べている。内相は「音響手榴弾」の可能性に言及したが、警察労組筋は当初、包囲解除用の手榴弾だったとAFPに説明していた。この食い違い自体が、フランスという国が抱える問題の輪郭を示している――治安部隊が何を、どの基準で使ったのかを、事後に当局自身が正確に再構成できないという事実だ。
この事件は孤立した出来事ではない。同じ週、ヴァル=ドワーズ県サン=トゥアン=ローモーヌでは、9月28日に高校封鎖行動の最中、14歳のエデンが手投げ弾の発射を受けて顔と頭部に重傷を負っていた。弁護士によれば、顎の二重骨折、上の歯すべての脱落、下の歯4本の喪失という重傷だ。発射したとされる警察官は10月6日、公権力行使者による身体切断を伴う暴行の疑いで予審開始の対象となり、司法監督下に置かれた。同時に、発射直前にこの少年が別の女性警察官に暴行したとされる疑いについても、別件として捜査が進んでいる。つまりここでは、「誰が誰を傷つけたか」という問いが、二重の捜査線として並走している。
なぜ今、これほど立て続けに未成年が重傷を負っているのか。背景にあるのは、高校生による抗議行動そのものの拡大だ。10月6日火曜日には数万人の高校生が全国でデモに参加し、当局は新たな暴力を警戒して複数の高校を行政措置で閉鎖し、授業をオンラインに切り替えた。ある高校教師はフランス・アンフォの取材に「こんなことは見たことがない。新型コロナの流行時を除けば、オンライン授業に切り替えたことなどなかった」と語っている。彼女が指摘するのは、学校閉鎖が単なる安全対策ではなく、「集会の禁止と一体になっている」という点だ。生徒たちが集まることそのものを防ごうとする意思が、そこには透けて見える、と彼女は見ている。
興味深いのは、この閉鎖措置が副作用を生んでいることだ。オンライン授業では出席管理が緩み、皮肉にも生徒が街頭へ出やすくなる余地を作ってしまう。ある教師は新型コロナ流行時を振り返り、「出席確認もせず、WhatsAppやZoomでできる方法で対応していた」と話す。国家が集会を抑え込もうとする手段が、別の場所で抑え込みの効果を失う――この循環こそ、フランスの治安維持が抱える構造的なジレンマだと言えるだろう。
こうした状況の中で、マルセイユでは異なる光景が生まれていた。10月6日、5,000人が参加したデモ行進には、白い腕章をつけた保護者やFCPE(生徒保護者会連盟)、労働組合の警備担当者が加わり、行進の安全を見守った。ある母親は「警察の弾圧は行き過ぎています」と述べ、別の母親は「支えられていると感じるのは、やはり励みになる」という高校生の声を紹介した。ここで保護者が担っているのは、国家が果たせていない、あるいは果たす意思が疑われている「安全の保障」という役割だ。デモは平穏に終わり、騒乱は報告されなかった。つまり、大人たちの同伴という市民社会側の工夫が、国家の治安装置よりも実際に事態を鎮めた、という解釈が成り立つ。
政治の反応は割れている。環境政党エコロジストのマリーヌ・トンドリエは、負傷した高校生について「最前線にいたわけではない」とし、治安維持の運用指針そのものの改革を求めた。共産党のファビアン・ルッセルは「若者を身体不自由にすることで秩序を維持することはできない」と述べ、社会党のボリス・ヴァローは、未成年が参加する抗議行動では包囲解除用手榴弾やLBD、首を絞める手法を使えなくする法案を提出すると表明した。一方で与党Renaissanceのアグネス・パンニエ=ルナシェは「誰も法の上にはいられない」と認めつつ、高校生を暴力にさらすべきではないと述べ、警察の暴力は調査の対象になると強調した。擁護と検証が同じ発言の中に同居している点が、この国の政治的な綱渡りをよく表している。
ここで見過ごされがちなのは、これが単なる「警察 対 市民」の対立ではなく、未成年という存在をめぐる国家の二枚舌だという点だ。フランスでは高校生のデモが、教育を受けるべき子どもの逸脱としてではなく、国家権力の行使を検証する市民的行為として扱われる歴史がある。だからこそIGPNの捜査着手や予審開始が、政治家の発言と同じ速度でニュースになる。これは、未成年の身体の安全と、未成年の政治参加の権利の両方を、国家が同時に担保しなければならないという前提があるからこそ生まれる緊張だ。
日本では、未成年が街頭で警察と衝突するという場面自体が、一般にそれほど頻繁に報じられることはないとされる。学校や家庭による事前の統制が前面に出やすく、街頭に出る前の段階で摩擦が吸収されやすいと言われることが多い。アメリカでは、表現の自由という憲法上の原則が前提としてあるぶん、議論は警察対応の地域差や人種による格差という別の軸で構成されることが多いとされる。フランスの今回のケースが特異なのは、未成年の身体的損傷という結果が先に生じ、それが集会の自由をめぐる制度論へと逆流している点だ。
今後、IGPNの捜査結果がどう公表されるか、そしてヴァローが予告した法案が実際に審議されるかどうかが焦点になるだろう。もし手榴弾の種類や運用の適法性が曖昧なまま時間だけが過ぎれば、政府への不信はさらに積み上がる。逆に、予審開始という司法手続きが着実に進めば、治安維持と人権保障の両立という難題に、フランスなりの答えが一つ加わることになるかもしれない。
集会に出る権利を守ることと、集会に出た体を守ることは、本来どちらも国家の責務であるはずだ。その両方を同時に果たせない国家に対して、私たちは何を求めるべきなのだろうか。
出典
- RFI France:«Il est essentiel de sécuriser les lycéens», pour Agnès Pannier-Runacher, députée Renaissance (2026/10/7)
- franceinfo (titres):Ce que l'on sait après qu'un adolescent de 15 ans a eu la main arrachée par une grenade à Lens lundi, en marge d'une manifestation devant un lycée (2026/10/6)
- franceinfo (titres):"Je n'ai jamais vu ça" : les doutes des professeurs face aux cours en distanciel mis en place en raison de la mobilisation des lycéens (2026/10/7)
- franceinfo (titres):VIDEO. "Ça permet que ça se passe bien" : à Marseille, des parents accompagnent les lycéens pour sécuriser la mobilisation (2026/10/6)
- franceinfo (titres):Dans le Val-d'Oise, le policier soupçonné d'avoir blessé un adolescent au visage a été mis en examen et placé sous contrôle judiciaire (2026/10/6)