
精管切除術が15年で28倍になった国で、俳優はベルギーへ渡った
2010年、フランスで精管切除術を受けた男性は約2000人だった。2022年には3万2000人を超え、2025年には5万7000人を上回った。15年で28倍という数字を、単なる医療トレンドの話として読み飛ばしていいのだろうか。私はこの数字の裏に、フランス社会がここ数年繰り返し直面している、もっと大きな問いが透けて見える気がしている。それは「自分の体について、いつ、どこまで、誰が決めるのか」という問いだ。
精管切除術は、精巣から精子を運ぶ管をふさぎ、事実上は永久的な避妊効果をもたらす処置だ。理論上は再開通の余地があるとされるが、成功が保証されているわけではないため、実質的には「もう子どもを持たない」という決断とセットになる。フランスではこれまで、多くの国と比べて選ばれにくい選択肢だった。それが急増した背景として報じられているのは、SNS上で体験談が共有されるようになり手術への不安が和らいだこと、そして避妊の負担を女性だけに背負わせない意識が広がったことだ。可逆的な男性用避妊法——精管に注入するゲルや、小さなクリップ状の器具——の研究も進んでいるという。ただし、性感染症を防げる避妊法はコンドームしかないという点は変わらない。
この「避妊の負担をどう分かち合うか」という話は、実はフランスが同じ時期に向き合っているもう一つの現実、人工妊娠中絶の話と地続きだ。フランス保健省の統計によれば、2025年に行われた人工妊娠中絶は25万9416件で、前年から2.9%増加した。中絶を非犯罪化したヴェイユ法から50年の節目にあたる年に、件数はむしろ増えている。利用の8割以上は薬による方法で、実施する担当者としては開業助産師が最多となり、その件数は前年から15%伸びた。
ここで見過ごされがちなのは、この統計が示しているのが「選ぶ権利があるかどうか」ではなく「その権利をどれだけ実行に移せるか」だという点だ。海外領土では中絶の利用率が本土の2倍に達する一方、当事者が住む県以外で処置を受ける割合は地域によって55%から96%までばらつく。フランス政府の統計部門は、この差が個人のプライバシー配慮による選択である可能性と同時に、「地域の医療アクセスの困難さ」を映している可能性の両方を指摘している。つまり中絶は制度としてはすでに保障されているが、実際にどこで、どれだけ早く、どんな方法で受けられるかは、住んでいる場所によって不平等だということだ。制度の勝利と、現場の格差は別の話なのである。
そしてもう一つ、この夏から秋にかけてフランス社会を揺さぶったのが、俳優アルノー・ドニ氏の死だ。彼は2023年にヘルニア手術でポリプロピレン製の人工器具を埋め込まれた後、耐え難い痛みと重度の障害状態に陥った。フランス国内で対応できる専門医が見つからず、2024年には米国でインプラントを除去したが症状は改善しなかった。パリ検察への刑事告訴は不起訴となり、彼は「医療制度の暴力」を告発する言葉を残して、ベルギーで安楽死を受けた。43歳だった。フランスの医薬品安全庁には今年1月から5月だけで75件の被害報告が寄せられており、当局は監視強化や疫学調査に動き始めているという。制度が救済に追いつかなかったとき、彼が向かったのは国境の向こうだった、という事実が重い。
同じ時期、フランスでは教皇レオン14世の訪問という象徴的な出来事も起きている。マクロン大統領は訪問中のどのミサにも出席しないと発表され、パリでの屋外ミサには夫人と首相が代理で出席することになった。カトリック系紙は、教皇庁がフランスの終末期法をめぐる対立を訪問日程の判断材料にしたと報じたが、大統領府はこれを否定し、「立法日程はすでに過ぎた問題」だと述べている。真相がどちらであれ、この報道自体が示しているのは、終末期に関する法律が、フランスの世俗国家とカトリック教会のあいだで依然としてくすぶる火種だという事実だろう。アルノー・ドニ氏がベルギーまで行かねばならなかった背景に、フランス国内での選択肢の限界があったのだとすれば、この二つのニュースは無関係ではない。
避妊、中絶、終末期——並べてみると、フランスがこの三つを驚くほど似た構文で語っていることに気づく。法的に認められているかどうかではなく、実際にアクセスできるか、費用は誰が負担するのか、地域や立場によって不平等が生じていないか。フランスは世俗国家(laïcité)を国是とする国であり、身体に関する決定を宗教的権威ではなく個人と医療の関係として扱おうとする傾向が強い。教皇訪問中もミサを欠席する大統領、というのはその象徴的な一場面だと言えるかもしれない。
日本ではどうだろうか。中絶や避妊をめぐる議論では、配偶者の同意や家族の意向が個人の判断より前面に出やすいと一般に言われる。避妊の負担についても、女性側が主に担うものとされがちだという指摘は根強い。終末期の意思決定についても、本人よりも家族や医療者が中心になって進めるという構図が語られることが多い。フランスが「個人がどこまで実質的に選べるか」を軸に議論しているとすれば、日本では「誰が本人の代わりに、あるいは本人と一緒に決めるのか」という関係性そのものが焦点になりやすいのかもしれない。これは優劣の話ではなく、個人と共同体の距離感の違いとして捉えるべきだろう。
米国に目を向ければ、中絶をめぐって連邦と州、宗教と個人の自由が正面からぶつかり合う構図が一般に知られている。フランスのように「制度は認めた上で実質的アクセスの格差を測る」段階にはまだ遠く、そもそも制度の存在自体が州ごとに揺れているとされる。同じ「身体の自己決定」というテーマでも、フランスが平等化の技術的課題として扱おうとしているものを、米国では価値観の分断そのものとして戦っている、という違いが浮かび上がる。
これから先、フランスでは男性用の可逆的避妊法の実用化が進めば、避妊の責任分担というテーマはさらに具体的な形を取るだろう。中絶については、地域格差という数字が政治的な争点であり続けるはずだ。そして終末期については、アルノー・ドニ氏のようなケースが積み重なるたびに、国内法の枠を越えて隣国に解決を求める人がいるという現実が、フランス社会にじわじわと問いを突きつけていくだろう。
身体に関する決定が本人のものだと言うなら、その選択を実際に可能にする医療、情報、費用を、社会はどこまで引き受けるべきなのだろうか。あなたの国では、その問いに誰が答えを出しているだろうか。
出典
- franceinfo (titres):La vasectomie gagne du terrain (2026/9/20)
- franceinfo (titres):Ne supportant plus des douleurs liées à un implant anti-hernie, le comédien Arnaud Denis s'est fait euthanasier en Belgique (2026/9/22)
- franceinfo (titres):Le nombre d'IVG en hausse de près de 3% en 2025 en France, avec 259 416 avortements pratiqués (2026/9/23)
- franceinfo (titres):Emmanuel Macron n'assistera à aucune des messes du pape pendant sa visite en France (2026/9/22)