
教皇が通る2.5キロと、店の前を素通りする20万人
ルルドのポー川沿いでバーを営むローランは、9月27日を指折り数えて待ってはいない。教皇レオ14世を一目見ようと押し寄せる巡礼者たちは、検問を抜けるために3時間も4時間も前から並び、洞窟にたどり着けばそこに一日中とどまるだろう。「商店では誰の姿も見られなくなるでしょう」と彼は言う。人口1万3000人の町に20万人が押し寄せるのに、その恩恵は店の売上には及ばない――住民の一人は封鎖に備えて1週間分の食料を買い込んだという。信仰の高揚と、生活者の負担。この記事が問いたいのは、その間にある溝についてである。
9月25日から28日まで、レオ14世はパリ、ルルド、メスを巡る4日間の訪問を行っている。パリではノートルダム大聖堂での晩課、ユネスコ本部やカトリック学院での演説、スタッド・ド・フランスでの若者集会、そしてコンコルド広場での屋外ミサが予定され、ミサへのオンライン登録者は約60万人に達した。当初の想定は10万人だったというから、その乖離だけでも熱狂の規模がうかがえる。移動には全長2.5キロの車列が組まれ、パリでは1万4000人の警察官・憲兵・軍人と2500人の消防隊員が動員される。地下鉄やRERの駅は時間帯を区切って閉鎖され、シャンゼリゼやコンコルド広場周辺では駐車も通行も禁じられる。ルルドでも2000人以上のボランティアが動き、メスのサン=テティエンヌ大聖堂ではシャガールのステンドグラスの下で最後のミサが行われる予定だ。
ここで確認しておきたいのは、フランスが「政教分離」を国是とする国だということである。1905年に確立されたライシテの原則のもとで、国家は特定の宗教を優遇しないことになっている。それでもマクロン大統領はオルリー空港で教皇を自ら出迎え、司教協議会が2700万ユーロと見積もる警備・道路関連費を国が負担する。この矛盾めいた光景をどう理解すればいいのか。ここで見過ごされがちなのは、バチカン側がこの関係を「個人的な政治の要素」にしないよう慎重に線を引いている、という事実である。教皇はマクロン氏がノートルダム大聖堂の「再建者たち」を紹介する共同訪問の提案を退けており、フランシスコ教皇に至っては在任中、パリではなくマルセイユやコルシカ島を選んで大統領と会うという振る舞いを繰り返した。つまりこれは、国家儀礼としての教皇訪問ではなく、あくまで教会が主催し国家が治安インフラを提供する、という線引きの上に成り立つ共存なのだ。
この熱狂は、フランスにおけるカトリックの静かな復興を示すものなのか。データを見る限り、答えは単純ではない。2026年の復活祭には成人1万3234人が洗礼を受け、前年比28%増、2016年の3倍以上に達した。宗教社会学者フィリップ・ポルティエは「5年か6年で洗礼者が3倍になるのは取るに足らないことではない」と評価する一方、この数字を1世代65万人という規模と比べれば相対化する必要があるとも釘を刺す。実際、子どもの洗礼は2000年の38万人から2024年には15万人へと激減しており、毎週ミサに通う人は1960年代の3人に1人からわずか5%にまで落ち込んだ。つまり起きているのは「復興」ではなく、少数派になったカトリックが、少数派だからこそ可視化の戦略を強めているという現象らしい。ボルドー大学のヤン・レゾン・デュ・クルズィウが指摘するように、世俗化が進んだ社会では信仰を選び取ること自体が自己主張の手段になり得る。コンコルド広場を埋める60万人は、衰退の裏返しとしての熱気だと言えるのかもしれない。
こうした光景を、日本の読者はどう眺めるだろうか。日本にも政教分離の原則があり、公的機関と宗教儀礼の距離は折に触れて論点になるとされるが、フランスのように一つの宗教行事に国家の警備網や交通インフラが数日がかりで動員される例は、少なくとも今回のニュースの規模とは性格が異なる。フランスの場合、ライシテという建前と、カトリックが歴史的に社会の基層に刻んできた記憶――ノートルダム大聖堂やルルドの聖域といった場そのものが持つ重み――が同居している。ヨハネ・パウロ2世が1980年にシャン・ド・マルスでミサを行い、ベネディクト16世が2008年にアンヴァリッドを訪れたように、教皇のパリ訪問には積み重ねられた前例がある。今回のレオ14世自身、ノルマンディー出身の祖母を通じてフランスに個人的な系譜を持つというエピソードも、単なる外国元首の来訪とは違う情緒を呼び込んでいるように見える。
もう一つ興味深いのは、この教皇が米国生まれだという点だ。レオ14世はシカゴ出身でペルー国籍も持つ。政教分離を国是としながらも宗教的な公共性が社会に根強く残っているとされる米国的な背景と、ライシテを掲げるフランスの土壌との間で、この教皇がどちらの文脈にも接続しうる存在として迎えられている構図は示唆的である。ただし今回のニュースの範囲では、米国での受け止め方そのものについては具体的な材料がなく、ここでは指摘にとどめておきたい。
今後を見通すなら、鍵となるのは洗礼者数の増加が一過性の「教皇効果」で終わるか、それとも若い世代が宗教を選び取る動きとして定着するか、という点だろう。ポルティエが指摘するように、この動きが衰える兆しは今のところ見えないというが、子どもの世代への継承が弱まっている以上、数字の反転というより、少数の熱心な層による可視化の継続と見るのが妥当かもしれない。そしてもう一つ、忘れてはならないのが、ルルドの店主やローランのような、行事の当事者ではないが日常を支えている人々の存在だ。宗教間対話や共同声明が語られる一方で、20万人の来訪によって生活の糧を得られない商店主がいるという事実は、公共的連帯という理念が誰の負担の上に成り立っているのかを静かに問いかけている。
信仰を持たない人、あるいは異なる信仰を持つ人にとって、道路が2日間封鎖され、地下鉄が止まり、店の客足が消えることは、どこまで受け入れるべき「公共性」なのだろうか。祝祭としての宗教行事が生む連帯感と、それに参加しない人々が払う静かな負担――この二つを同じ天秤に乗せたとき、あなたならどちらに重みを置くだろうか。
出典
- RFI France:Dix choses à savoir sur la visite du pape Léon XIV en France (2026/9/24)
- franceinfo (titres):REPORTAGE. Lourdes attend (et redoute, pour certains) la visite du pape (2026/9/24)
- franceinfo (titres):"C'est comme une réunion de famille" : la ferveur monte chez les fidèles à 24 heures de l'arrivée du pape (2026/9/24)
- RFI France:L'engouement pour la venue du pape Léon XIV, reflet d'un regain du catholicisme en France? (2026/9/24)
- franceinfo (titres):Restrictions de circulation et de stationnement, fermetures de stations de métro… Comment s'organiser pour la venue du pape Léon XIV à Paris ? (2026/9/24)