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「私はそうしない」と叫ぶ男と、宿敵に手を差し伸べる男――パリ郊外とエルサレムで分かれた「勝ち方」の哲学

2万人を超える支持者が、パリ北東の郊外、セーヌ=サン=ドニ県のル・ブルジェに集まった土曜日のことだ。壇上のジャン=リュック・メランションは、こう語った。「支持を得て対立を和らげるために、主張を少し抑えるべきだと勧める解説者もいる。私はそうしない」。

同じ週末、約3,000キロ離れたエルサレムでは、まったく逆の言葉が発せられていた。イスラエルの主要野党ブロックを率いるガディ・アイゼンコット氏が、これまで倒そうとしてきたネタニヤフ首相のリクード、さらに極右の宗教シオニスト党に向けて、自分の政権に加わってはどうかと呼びかけたのである。

一方は、妥協を拒むことを支持者への約束にした。もう一方は、宿敵にさえ扉を開けることで勝とうとしている。どちらが正しいのか。この問いは、遠い国の政局の話のようでいて、実は私たちが「政治家に何を期待しているのか」を映す鏡でもある。

パリでは「潰し合いをやめろ」、エルサレムでは「団結の時だ」

まず、この週末にフランスとイスラエルで起きたことを並べてみたい。一見するとばらばらだが、並べると一本の線が見えてくる。

フランスでは、次の大統領選に向けて、右派と中道の陣営が「候補者が多すぎる」という悩みを抱えている。国民議会で共和党系会派を率いるローラン・ヴォキエ氏は11月8日、フランス・アンテールとフランス2に出演し、「惨状だ。こんな潰し合いは終わらせるべきだ」と訴えた。右派の候補者が15日以内に会合を開き、クリスマス前に候補を一人に絞るべきだという。選び方は候補者たちに委ねるとしながらも、本人が「望ましい解決策」として挙げたのは予備選だった。

その前日の11月7日には、主に与党ルネサンス所属の国会議員66人が、日曜紙「ラ・トリビューン・ディマンシュ」に論説を寄せ、「民主主義者と共和主義者の予備選」を呼びかけていた。内訳は下院議員53人(うちルネサンス所属51人)、上院議員9人、欧州議会議員4人。彼らが掲げた目的ははっきりしている。ラ・フランス・アンソミーズ(LFI)とラスンブルマン・ナシオナル(RN)による決選投票という事態を避けること。署名者たちは「自分たちの自尊心よりフランスを優先する時間はまだある」と書いた。

この文面から読み取れるのは、彼らが左右の両端にある二つの勢力を「極端」とひとまとめにし、その両者が最終局面に残ることを最悪のシナリオと見ている、ということだ。だからこそ中間の陣営は割れている余裕がない。少なくとも彼らはそう考えている。

ではイスラエルはどうか。10月27日の総選挙では、勝者も明確な多数派も決まらなかった。ヘルツォグ大統領はアイゼンコット氏に組閣を正式に委ね、「あなたに投票した人にも、しなかった人にも奉仕する政権を」と求めた。アイゼンコット氏を支える「変革ブロック」には、ヤイル・ゴラン氏の民主党から、民族主義右派のアヴィグドール・リーベルマン氏の「イスラエル・我が家」まで、左右に幅広い政党が並ぶ。彼らが掲げるのは「国民緊急政権」という看板だ。

フランスの右派・中道は「一本化」を、イスラエルの野党は「連立」を語っている。言葉は違うが、どちらも「勝つためには、異なる者同士が手を組まなければならない」という同じ前提に立っている。

「誰と組むか」より難しい、「誰とは組まないか」

ここで見過ごされがちなのは、まとまろうとする動きが、必ず「線引き」を伴うという点だ。

ヴォキエ氏は、予備選の枠について、リスナール氏、ルタイヨー氏、フィリップ氏ら候補者全員が、サラ・クナフォ氏と政党「再征服(Reconquête)」を対象から外している点を挙げた。つまり極右は最初から枠の外にある。さらにヴォキエ氏は、ガブリエル・アタル氏が「ラファエル・グリュックスマンからブルーノ・ルタイヨーまで」を含む綱領を望むなら「受け入れられない」とも述べた。求めるのは「右派らしい候補であり、その点に曖昧さがないこと」だという。

ここが面白いところだ。ヴォキエ氏は一本化を最も強く求める人物の一人でありながら、同時に「純度」も手放していない。右に寄りすぎた勢力も、左に開きすぎた綱領も排除する。まとまれ、ただし右派として明確に――。妥協と純度は二者択一ではなく、どこに線を引くかという匙加減の問題なのだと、この発言は教えてくれる。

実際、予備選を支持する人々の間でも、その線の位置は揃っていない。リスナール氏を外したい人がいる一方で、本人は関心を示していないグリュックスマン氏を入れるべきだと考える人もいる。そして、この陣営の有力候補とされるエドゥアール・フィリップ氏は、予備選という原則そのものを強く拒否している。一本化を呼びかける声が大きくなるほど、「誰と」をめぐる不一致が浮き彫りになる。皮肉な構図だ。

イスラエルでも、問題の核心はまったく同じ場所にある。アラブ系政党の「統一リスト」と「ラアム(統一アラブリスト)」は、合わせて19議席を獲得し、今回大きく躍進した。両党はアイゼンコット氏を推すと表明している。ラアム党首マンスール・アッバス氏は「ネタニヤフ政権を退陣させるため、できることをする」と語った。数字だけ見れば、この支持を受け入れればアイゼンコット陣営は多数派に届く可能性がある。

だが、野党ブロックの有力者リーベルマン氏は、たとえ間接的な形でもアラブ系政党の支持を「断固として」拒んでいる。変革ブロックが提案したのは「シオニスト政権」であり、現段階ではアラブ系政党との合意を排除しているように見える。その一方で、リーベルマン氏は超正統派政党との連携については拒否姿勢を撤回し、宗教学生の徴兵問題などで「妥協」する用意があると述べた。超正統派2党は合わせて13議席。合意できれば、アイゼンコット氏はごくわずかな差で多数派を得られる可能性があるという。

つまり、リーベルマン氏はある相手とは妥協し、別の相手とは妥協しない。その線は、議席の計算だけでは引かれていない。何をもって「自分たちの陣営」とするかという、国家観そのものに関わる判断がそこにある、と読むのが自然だろう。

ネタニヤフ首相の側も、この線引きを武器にしている。彼はアラブ系政党が「テロリズムを支持」し「イスラエルをイスラム化」しようとしていると非難し、陣営はカタールの資金で票が買われたとまで主張した。ただ、これを裏付ける証拠は現時点でなく、当事者も否定している。選挙管理委員会も、詳細な確認の結果、不正や結果改変の証拠は見つからなかったと発表した。「誰を正統な政治の担い手とみなすか」という問いは、相手を排除するための言葉にもなりうるのだ。

純度を選んだ人々が見ているもの

では、メランション氏のように妥協を拒む側は、ただの頑固者なのだろうか。

LFIのアントワーヌ・レオマン議員の発言は、その論理を垣間見せてくれる。彼は8日、franceinfoで、マクロン政権下で起きたのは「国民全体の貧困化」だと述べ、最低賃金を手取り1,700ユーロに引き上げるべきだと主張した。それを下回る引き上げは「わずかな施し」にすぎないという。政府首脳、経営者団体、労働組合が生活費高騰への対策を話し合う社会会議を翌日に控えての発言で、「この政府には、われわれ自身が取って代わること以外、もうほとんど期待していない」とまで言い切った。

ここから読み取れるのは、彼らにとって妥協とは「中途半端な施し」と同義だ、という感覚である。中間点を探すことそのものが、怒っている人々への裏切りに映る。だからこそ、壇上での「私はそうしない」という一言が、2万人を超える聴衆を前に支持者への約束として響く。純度は、それ自体が支持を集める資源になりうる。

逆に言えば、66人の議員たちが恐れているのは、まさにこの「純度の磁力」が左右両端で働き、中間が空洞化することなのだろう。妥協して一本化する側と、妥協を拒んで結束する側。両者は互いを鏡のように意識しながら動いているように見える。

合意を重んじるとされる日本から眺めると

日本の政治は、一般に、与党内の調整や連立の積み重ねを重んじ、公然とした路線対立を避ける傾向があると言われることが多い。その目から見ると、候補者たちが全国放送で互いの「純度」を問い合い、予備選の是非を公開の場で争うフランスの光景は、ずいぶん騒々しく映るかもしれない。

だが、その騒々しさには一つの効用もある。誰が誰と組み、誰を排除するのかという判断が、有権者の目の前で行われるということだ。ヴォキエ氏の「受け入れられない」も、リーベルマン氏の「断固拒否」も、メランション氏の「私はそうしない」も、すべて記録に残る言葉として発せられている。合意が水面下で静かに形成されることが多いとされる政治文化と比べると、どちらが有権者にとって判断しやすいのかは、簡単には決められない問いだ。

もう一つ、イスラエルのヘルツォグ大統領が組閣を委ねる際に、トランプ大統領のガザに関する20項目計画の実行や、米国の選挙後の「新たな政治的現実」への対応を課題に挙げた点も見逃せない。国内でどこまで妥協できるかが、外交の安定とも直結している。連立が成るかどうかは、一国の内政にとどまらない話なのだ。

クリスマスまでに、何が見えてくるか

これから注目すべき点は、いくつかに絞られる。フランスでは、ヴォキエ氏の言う「15日以内の会合」が実際に開かれるのか、予備選を拒むフィリップ氏がどう動くのか、そして「クリスマス前」という期限が守られるのか。イスラエルでは、リーベルマン氏が超正統派とどこまで歩み寄るのか、アラブ系政党の19議席が最後まで線の外に置かれるのか、そしてアイゼンコット氏がリクードに向けた呼びかけに誰かが応じるのか。

ここから先は推測になるが、どちらの国でも、最終的な結果は「妥協か純度か」の二択ではなく、「どこまでの妥協なら純度を損なわないと支持者に説明できるか」という、きわめて細い線の上で決まるのではないだろうか。妥協しすぎれば支持者が離れ、純度にこだわりすぎれば多数派に届かない。その綱渡りは、選挙制度が違っても、民主主義である限り避けられない。

最後に、あなたに問いたい。もし自分が支持する政治家が、勝つために主張の一部を引っ込めると言ったら、あなたはそれを「大人の判断」と受け止めるだろうか。それとも「裏切り」と感じるだろうか。そして、その線をどこに引くかを、誰に決めてほしいだろうか。

出典

  • franceinfo (titres):En Israël, Gadi Eisenkot affirme que le Likoud, parti de Benyamin Nétanyahou, est bienvenu pour former une coalition gouvernementale (2026/11/9)
  • franceinfo (titres):"Que ce jeu de massacre cesse" : Laurent Wauquiez veut une rencontre des candidats de droite à la présidentielle dans les 15 jours pour s'accorder sur un nom (2026/11/8)
  • franceinfo (titres):En vue de la présidentielle, 66 parlementaires appellent à une primaire contre les "extrêmes" (2026/11/8)
  • franceinfo (titres):DIRECT. Politique : "Je n'attends plus grand-chose de ce gouvernement, à part de le remplacer par nous-mêmes", tacle le député LFI Antoine Léaument (2026/11/8)
  • franceinfo (titres):Où en sont les négociations pour former un nouveau gouvernement en Israël, près de deux semaines après les élections législatives ? (2026/11/8)

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