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壁の落書きと映画の回顧展——フランスは「誰の歴史を共有するのか」を同時に問われている

10月31日土曜日の朝、パリの複数の商店の外壁に、スプレーで書かれた文字が見つかった。「remigration」。人種差別的で外国人排斥的な書き込みだった。社会党のエマニュエル・グレゴワール市長はXに投稿し、これは「極右の人種差別的な計画」であり、「この憎悪を私たちの街に根付かせることは許さない」と書いた。市長は刑事訴訟法第40条に基づいて共和国検察官に通報し、「犯人を特定し、訴追するために告訴する」と表明した。市は清掃チームを送り、落書きを消しに向かった。

商店の壁を想像してみてほしい。朝の通勤客が通り過ぎる場所に、ある日突然、自分や隣人の存在を否定する言葉が現れる。この記事で考えたいのは、その言葉をどう消し、どう罰するかという問題だけではない。消したあとに、この国の「私たち」をどう語り直すのか、という問いである。

白い粉の手紙と、禁止された集会

まず事実を整理しておく。

市によれば、今回の落書きは「極右運動が掲げるスローガンを繰り返すもので、人種的憎悪を扇動するもの」だ。市は、数日前にトラップで人種差別的なテロ事件が起きたばかりであることから、とりわけ重大だとしている。

「remigration」は、急進的な極右勢力が、外国にルーツを持つ人々を大量に追放する政策を指して使う言葉だと報じられている。この考え方は欧州に広がり、とりわけドイツでは「ドイツのための選択肢」を通じて広まったという。

当局の対応は落書きの処理にとどまらなかった。木曜日には、パリ警視総監とオー=ド=セーヌ県知事がそれぞれ禁止命令を出した。対象は、土曜日にプレシ=ロビンソンで開かれる予定だった「remigration」をテーマとするシンポジウムと、日曜日にパリで予定されていたデモである。

同じ日、トラップでは別の知らせがあった。襲撃から1週間後、市長のアリ・ラベ氏宛てに、白い粉の入った人種差別的な手紙が届いたのだ。モンティニー=ル=ブルトンヌーの郵便仕分けセンターから市役所宛ての不審郵便の報告があり、手紙はコート=ダルモール県から投函されていた。中には、選挙で選ばれた公職者であるラベ氏への侮辱や人種差別的な文言があった。警察筋は、粉はタルクの可能性があると説明している。捜査は始まっている。

背景にあるトラップの事件は、深刻なものだった。男がトラップとラ・ヴェリエールで発砲し、26歳の男性が死亡、12歳の少女を含む5人が重傷を負った。少女は8発の銃弾を受けたという。反テロ検察が捜査を担当し、事件は人種差別的なテロ襲撃と位置づけられた。ラベ氏は、極右から発せられる憎悪の言説が、ケビン・テシエによる実行を可能にする風潮を作ったと非難している。

壁の落書き、市長への手紙、禁止された集会。三つはそれぞれ別の出来事だが、いずれも、人種的な線引きを公共空間に持ち込む動きへの対処として並んでいる。

「普遍主義」という同じ言葉が、違う場所に人を連れていく

ここからが、フランスらしい論争の入り口である。差別を非難することでは、おおむね皆が一致している。割れているのは、そのあとの進め方だ。

ラジオ番組に出た欧州議会議員のナタリー・ロワゾーは、トラップの事件をめぐるマクロン大統領の発言を「誤り」と呼んだ。大統領は、肌の色や、人々がその人に与える宗教を理由にフランス人を狙った、初めて計画された襲撃だと述べた。のちにエリゼ宮は、これは肌の色を指していたと説明した。ロワゾーによれば、この表現はほかの襲撃事件の被害者家族を傷つけた。彼女は「自分が特定の宗教や肌の色に属していなくても、私たちの国で起きていることについて誤った説明がなされれば、衝撃を受ける」と述べ、「私は普遍主義を掲げます」と結んだ。

ラベ氏は「大置換」論を処罰の対象にすることを求めている。これに対してロワゾーは、新たな法的手段は必要ないとする。「人種差別は意見ではなく、犯罪です」。こうした考えには公共の議論と選挙で対抗すべきだという立場だ。サン=ドニ市長が提案した国民連合の発言時間を削る案にも反対し、「反対勢力を禁止しようとし始めれば、まっすぐ権威主義へ向かう」と警告した。

一方、共和党の事務総長オトマン・ナスルーは、トラップの追悼集会に同党の幹部が出なかった理由をこう説明した。その集会にいたのは左派の議員だけで、追悼の場にそぐわない政治的メッセージがあった。同じ時間帯にラ・ヴェリエールで開かれた追悼式には、自分たちの陣営の代表者が出席していた、と。彼は人種差別を「最も強い言葉」で非難したうえで、人々を互いに対立させ、アイデンティティをめぐる緊張を意図的に高めようとする考え方を「ラシアリスム」と呼び、これとも闘わなければならないと述べた。右派は共和主義的普遍主義を擁護しており、左派の一部がそこから離れていることを残念に思う、という。2015年のパリ襲撃事件のあとにあった国民の一致が今は難しいのは、その後に左派の一部が緊張をあおったからだ、というのが彼の見立てである。

注意したいのは、ここで二人が使っている「普遍主義」という言葉の働き方だ。ロワゾーにとっては、被害の語り方を正確にし、特定の属性の人々だけの出来事にしないための言葉である。ナスルーにとっては、追悼の場がアイデンティティ政治の舞台になることを警戒する言葉である。同じ語が、一方では言論を規制しないという自制に、もう一方では集会に出るかどうかという判断に結びついている。これは原文から読み取れる私の解釈にすぎないが、フランスの論争では「普遍」が合意の基盤であると同時に、相手を批判する道具にもなっているように見える。

ナスルーの発言には留保も要る。左派の議員だけが集まったというのは彼の説明であり、集会の主催者や参加者の側の見方は、今回の記事群からは分からない。

展覧会が描く、もう一つの「普遍」

ここで、一見まったく別のニュースに目を移す。フランス映画の展覧会「Une nouframe histoire du cinéma français(フランス映画の新しい歴史)」である。

※正しくは「Une nouvelle histoire du cinéma français」。

展覧会は、60年以上にわたり、マグレブ系移民出身の映画監督や俳優たちがフランス映画を変容させてきた道のりをたどる。監督ではアリ・ガネムの先駆に始まり、メディー・チャレフ、ラシド・ブシャレブ、ハフシア・ヘルジ、リナ・スワレム。俳優ではジャメル・デブーズ、ラシダ・ブラクニ、ロシュディ・ゼム、サミ・ブアジラ。名前が並ぶだけで、一つの歴史の厚みが伝わってくる。キュレーターのクレマンティーヌ・デルードイユとルシール・アンベール・ベルジュドゥリが企画し、映画史家サリマ・テンフィシュらがカタログの刊行を主導した。

注目したいのは、展覧会の選択である。移民像がスクリーンの上でどう描かれてきたかに固執するのではなく、1960年代以降の長い歴史の一部を、これまで語られてこなかった作家の視点から描くことを選んでいるという。映画の断片、ポスター、撮影風景の写真、ストーリーボード、セザール賞のトロフィー、新聞のアーカイブが並ぶ。最後は未来の章で、ジャンル映画の登場、女性の重要性、形式的自由、物語の大胆さ、「二つの岸」を結ぶ新しい声が示される。

これを、被害に遭う人々として移民系の人々を見る視点から、フランス映画という共有財産を作った当事者として見る視点への転換だ、と読むのは自然だろう。ただし、この展覧会がフランスの社会でどれほど広く受け止められているかは、紹介記事からは分からない。

守ることと、記すこと

ここまでの話をつなげてみる。

落書きを消し、告訴し、集会を禁止するのは、人々の安全と尊厳を守るための手続きだ。「remigration」という語の背後にあるのが、外国にルーツを持つ人々を追放するという発想なら、これは誰が社会の一員なのかという線引きに直接関わる問題になる。一方、展覧会は、その同じ人々の営みを、フランス映画の歴史そのものとして記す。つまり、「追い出すな」という防御と、「ここに居て、築いてきた」という承認が、同じ週末の紙面に並んでいるのである。

私の見方では、この二つは別の話ではない。差別を禁じる法や警備は、いま危険にさらされている人を守る。歴史の語り方は、その人たちが十年後、百年後にも「この国の一員だった」と言える土台を作る。どちらかが欠けると、国民像は片足で立つことになる。

日本の読者にとっては、被害への対処と文化史への包摂が、別々の話題として扱われがちだという感覚が、一般にあるかもしれない。差別の事件は社会面で、移民や外国にルーツを持つ人々の文化的貢献は文化面で、という具合にである。フランスの今回の記事群は、その二つが同じ問いの両面であることを示しているように見える。ただし、日本の具体的な状況について、ここで断定することは控える。

見通しと、残る問い

今後の展開について、確かなことは多くない。ロワゾーは、人種差別的言説には新法ではなく公共の議論と選挙で対抗すると述べ、ラベ氏は「大置換」論の処罰を求める。この二つの立場の間で、法的な手段をどこまで広げるのかという議論は続くだろう。大統領選を意識した政治の空気の中で、ナスルーが懸念する追悼の場の政治利用をめぐる応酬も、おそらく繰り返される。

もう一つ、見ておきたいのは、記憶と表象の側である。展覧会が示す「二つの岸を結ぶ新しい声」のような動きが、安全をめぐる議論と結びつくのか、それとも別々の領域にとどまるのか。これは今回の材料だけでは判断できない。

ただ、一つだけ言えることがある。壁の落書きは数時間で消せる。しかし、誰をこの国の歴史に記すかという問いは、消した後にも残る。

差別を非難することに加えて、あなたの国の共通の歴史には、誰の経験が記されているだろうか。そして、まだ記されていないのは誰だろうか。

出典

  • franceinfo (titres):La mairie de Paris saisit la justice après la découverte de tags "remigration" sur des façades de commerces (2026/11/1)
  • franceinfo (titres):Une semaine après l'attentat de Trappes, une lettre raciste contenant une poudre blanche a été adressée au maire Ali Rabeh (2026/10/31)
  • RFI France:L'Atelier politique - Nathalie Loiseau: «J'ai le sentiment que Mélenchon est le directeur de campagne de Marine Le Pen» (2026/10/31)
  • RFI France:Tous les cinémas du monde - «Héritages maghrébins» : le cinéma français au prisme de l’immigration (2026/10/31)
  • franceinfo (titres):Othman Nasrou (Les Républicains) : “Aucun Français ne devrait être pris pour cible en raison de sa religion ou de sa couleur” (2026/10/31)

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