「私たちの文化」と言うとき、誰が玄関で待たされるのか――城、テロ、宴会から見るフランスの線引き
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「私たちの文化」と言うとき、誰が玄関で待たされるのか――城、テロ、宴会から見るフランスの線引き

ピエルフォン城は、アミーヌ・カシッドにとって「自分の家」だという。16年前にすべてが始まった場所で、以来何度も訪れている。「家に帰るときと同じ気持ちです」と彼は語る。初期の動画は許可を得られず、無断で撮らざるを得なかった。それでもアカウントの人気が高まるにつれ、城の門は少しずつ開いていった。今では「アミーヌ・ル・コンケラン」の名でInstagramに約400,000人のフォロワーを持ち、50の城を撮影・解説してきた。紹介したい城は160に及ぶ。

ところが、その動画の下にはこんな書き込みも並ぶ。「お前はフランス人ではないし、これからもそうなることはない。自分のものでもない城を見て撮影するより、働いたらどうだ」。殺害予告まで含まれていると、France 2の番組は伝えている。

城は誰のものなのか。この問いに、フランスで最もよく知られる歴史の語り手ステファヌ・ベルンは明快に答えた。「文化遺産は、出自や信条、肌の色、宗教が何であろうと、誰のものでもあります」。彼はSNSでアミーヌをフォローし、支援している。

本稿は、この一場面を入口に、同じ時期のフランスで報じられた別々のニュースを並べてみる試みだ。「私たちの文化」という言葉は、いつ共有の呼びかけになり、いつ門前払いの合図になるのか。

「侵略されている」という言葉と、法が引く線

アミーヌの動画が放送された2026年10月30日、フランスの報道は別の話題で持ちきりだった。パリ西方イヴリーヌ県トラップで起きた人種差別的テロから1週間がたち、左派の政治家らが「大置換」理論への言及を禁じるよう求めていたのだ。

franceinfoによれば、この理論は極右の作家ルノー・カミュが2011年の著書で体系化した。欧州やフランスの人口が、主にアフリカから来る移民に置き換えられていくという主張で、記事は人口統計の数字によって否定されていると説明する。それでも極右系サイトでは支持を集め、近年はエリック・ゼムール、マリオン・マレシャル、ジョルダン・バルデラといった有力政治家も取り上げているという。

トラップ市長のアリ・ラベは、事件の実行犯が「フランスでは、侵略されていること、そしてそれに対して何もできないことに、もう耐えられない」と述べていたと指摘し、「これはまさに『大置換』理論の論理だ」と語った。一方で彼は、こうも言っている。「思想を禁止することはできませんし、決してそうすべきではありません。しかし、国内に敵がいると考える人々の発言を違法にすることはできます」。

この発言は、法的にはかなり繊細な位置にある。環境派の国会議員サブリナ・セバイとスティーヴィー・ギュスタヴは、「大置換」理論への言及を違法にする法案を国民議会に提出した。報道の自由に関する1881年7月29日法を補う内容だ。しかし憲法専門家のバンジャマン・モレルは、表現の自由を過度に侵害するとして、憲法院で無効とされる可能性が高いとみている。モレルは、現行法でも人種差別的な言説は処罰できるという立場でもある。

過去の判例を見ると、線引きの考え方が浮かぶ。これまで「大置換」理論を支持したこと自体で有罪になった人はいない。2016年、ルノー・カミュは移民を公の場で「侵略者」と呼んだことなどで4,000ユーロの罰金を科された。破毀院は、それが単なる意見ではなく暴力への呼びかけだったと判断した。逆に2019年には、ベジエ市長ロベール・メナールが、学校のクラス写真を1970年代のものと比べて「進行中の大置換の明白な証拠」と投稿した件で、無罪が支持された。裁判官は、状況を正確に示していなくても描写にすぎず、特定の反応を促してはいないと見たのである。

つまりフランスの司法は、何を信じるかと、何をけしかけるかを分けて扱ってきた。ここからは私の解釈だが、この区別は「文化」をめぐる議論にもそのまま当てはまる。「私たちの文化はこういうものだ」という自己規定は、それだけでは差別ではない。問題が生じるのは、その規定が特定の人々を「侵略者」や「ここにいてはならない者」と名指す方向へ傾いたときだ。

二つの文章に共通する構造

ここで、冒頭のコメントとトラップの実行犯の言葉を並べてみたい。ただし、両者の間に直接のつながりがあるという事実は、報道のどこにも書かれていない。以下はあくまで私の読みである。

「自分のものでもない城」という言い方と、「侵略されている」という言い方は、いずれも「この国には本来の持ち主がいて、他の者は借りているか、奪っているのだ」という前提に立っている。文化遺産であれ国土であれ、帰属を出自で決めるという発想だ。アミーヌの人生は、この前提と正面から衝突する。路上生活者を支援する赤十字の夜勤を10年続けた人物が、昼は城を訪ね歩いてきた。彼はその活動と同時に、路上で暮らす人々を城の見学に連れていく計画も温めてきたという。文化遺産に近づく入口を、広げる側に立っているのだ。

この対比は、フランスの国家観の核心に触れていると思う。ベルンの言葉は、文化遺産を血筋の相続物ではなく、市民が共有する財産として語っている。他方、「大置換」の語り口は、共有の範囲を出自で閉じようとする。どちらもフランスの名で語られているところが、この国の議論をややこしく、かつ熱くしている。

教室と宴会に現れる、国家の距離感

事件の余波は学校にも及んだ。イヴリーヌ県教育アカデミーの視学官はfranceinfoが確認したメールで、トラップとメニル=サン=ドニにあるすべての中学校・高校が、11月2日の授業初めの1時間を通常授業に充てず、教職員の意見交換にあてると伝えた。「生徒たちを迎える準備をするため」だという。さらにメニル=サン=ドニの中学校と、10月23日の校内待機措置の影響を受けたラ・ヴェリエールの小学校には、相談・傾聴のための支援チームが置かれる。

法案をめぐる論争が表現の自由という大きな原理を巡っているのに対し、学校の対応は驚くほど具体的で、生活に近い。これは私の推測だが、「誰がこの社会の一員か」という問いは、国会の条文より先に、子どもたちが教室で互いをどう見るかという形で現れるのだろう。

もう一つ、国家が文化の「語り」とどう距離を取るかを示す事例がある。ビアリッツで11月28日に予定される「カノン・フランセ」の宴会だ。同社は「フランスの土地の恵みと遺産を価値づける」ことを掲げ、各地で大規模な宴会を催す企業である。しかし、超保守派の大富豪ピエール=エドゥアール・ステランが株主になって以降、極右思想を広めているのではないかとの疑いが強まった。今年4月には、France InterとICI Normandieが、ノルマンディーでの同社の宴会でナチス式敬礼や人種差別的な侮辱発言があったと報じている。バスク地方の著名人100人が開催に反対する声明に署名し、10月中旬にはバイヨンヌ副県庁前で中止を求める集会も開かれた。

これに対し、ピレネー=アトランティック県庁が取った手段は、禁止ではなく費用の請求だった。県知事のシモン・フェテは、国内治安法典第L.211-11条に基づき、警備にあたる警察・憲兵隊の部隊費用45,000ユーロを主催者に求めた。県庁は、音楽祭やサッカー、ラグビーの試合と同じ通常の慣行であり、「差別的な措置ではない」と説明している。運営責任者2人は、チケットは80ユーロで、警備は自分たちで担うと主張し、請求に異議を唱えた。

ここは慎重に読みたい。県庁が示しているのは、催しの思想的な中身ではなく規模に応じた一般ルールの適用だという建前である。この建前が実際にどう受け止められるかは、報道だけでは判断できない。ただ、構図としては、国が「何を語るか」には踏み込まず、「何が起きるか」に対処する枠組みで臨んでいるように見える。トラップの法案をめぐる議論で、司法が思想と煽動を分けてきたことと、どこか響き合っている。

日本の読者にとっての問い

日本ではどうだろうか。「日本の文化」や「地域の伝統」を誰が語り、誰が代表できるとみなされるのかという問いは、一般に、祭りや食、方言といった身近な場面で顔を出すと言われる。フランスのように「出自」を前面に出した議論の形では現れにくいとしても、「ここの人間ではない」という空気が、静かに参加の敷居を上げることはあるかもしれない。これは確かめた事実ではなく、読者それぞれの経験に照らしてもらいたい見方だ。

米国など他国との比較は、さらに慎重であるべきだと思う。差別への対処と表現の自由の境界は、国ごとの憲法や判例の積み重ねによって異なる。フランスの議論は、1881年の法律、破毀院の判断、憲法院の審査という、この国固有の制度の上で進んでいる。他国の方が「自由」か「厳しい」かと単純に並べても、得るものは少ないだろう。

これから何が起きるか

見通せることは限られている。法案が実際に審議され、仮に成立した場合、憲法院が審査する可能性をモレルは指摘している。無効とされれば、議論は現行法の運用に戻るだろう。そこでは、暴力や憎悪をあおる言説を、既存の枠組みでどこまで拾えるかが焦点になりそうだ。ただし、いずれも現時点では推測にとどまる。

一方、アミーヌのような語り手が増えれば、文化遺産への入口は物理的にも心理的にも広がっていくかもしれない。城が彼を迎え入れるようになったのは事実だ。ただ、それが差別的な書き込みを減らすかどうかは、報道からは分からない。

ベルンは「市民として、これほどの人種差別が一気に広がるのを見てショックを受けた」と語った。文化を共有する営みと、それを閉ざそうとする言葉への対処は、同じ社会の中で同時に進んでいる。

あなたが「私たちの文化」と口にするとき、その「私たち」の中には誰がいて、玄関の外にはまだ誰が立っているだろうか。

出典

  • franceinfo (titres):Après l'attentat raciste de Trappes, les discours sur le "grand remplacement" peuvent-ils être interdits ? (2026/10/30)
  • franceinfo (titres):Des cellules psychologiques déployées au collège public du Mesnil-Saint-Denis et dans une école de La Verrière à la rentrée, après l'attentat raciste dans les Yvelines (2026/10/31)
  • franceinfo (titres):"Pays de chiottes" : la Norvège se moque de Donald Trump et transforme l'insulte en publicité touristique (2026/10/31)
  • franceinfo (titres):La préfecture demande aux organisateurs du banquet du Canon français à Biarritz de payer 45 000 euros pour assurer la sécurité de l'événement (2026/10/30)
  • franceinfo (titres):VIDEO. "Le patrimoine français appartient à tout le monde, quelles que soient nos origines, nos convictions" : quand la passion d'Amine le Conquérant pour les châteaux de France se heurte au racisme en ligne (2026/10/30)

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