
4,200ユーロの弔いと、1万2千鉢の菊――万聖節のフランスが映す「悼む機会」の値段
タルブ北墓地の一角に、灰色の大理石の墓碑がパレットに載せて積まれている。放置されたまま家族が途絶えた区画から、市が委託した葬儀会社が回収したものだ。刻まれていた文字はすべて消され、高圧洗浄機にかけられて、再び売りに出される。回収の際には装飾品も外される。たとえば、1985年に亡くなった男性の墓に残っていた「父をしのんで」の銘板もそのひとつだった。
11月1日の万聖節を前に、フランスの墓地は一年で最もにぎわう。この時期に報じられた三つのニュースを並べると、ひとつの問いが浮かんでくる。それは、故人を悼む機会が家族の経済力によって左右されてよいのか、という問いだ。
菊の鉢、墓地の守衛、再利用される墓碑
最初に、花の話から始めよう。セーヌ=エ=マルヌ県で五世代にわたって菊を育てる家族経営農園「レ・セール・ド・ボワシー」は、この秋、合計1万2千鉢を出荷する。経営者のヴァロリス・デュトワによれば、買い手の大半は個人客だ。墓地に持っていく人もいれば、庭の花壇に飾る人もいるが、「墓地向けが売り上げの中心」だという。報道によれば、フランスで墓参りと菊が結びついたのは1919年、第一次世界大戦の兵士を追悼するためだった。客のひとりは、子どものころミサのあとに墓へ菊を供えたこと、今は自分が娘に同じことをしていること、遠い墓地まで毎年菊を持って回ることを語っている。
次に、花を供える場所を守る人の話だ。グルノーブルのサン=ロシュ墓地は同市で最も古く、「小さなペール・ラシェーズ」と呼ばれる。敷地は13ヘクタール、迷路のような回廊は25kmにおよぶ。管理人のセバスチャン・ロカは51歳で、4年前に着任した。前職は路面整備の作業員だという。仕事は訪問者の案内で、専用のソフトで区画を調べ、見つからない人には墓まで付き添う。来訪が年に一度という人は、場所を忘れてしまうこともあるからだ。事務所には1866年の記録簿があり、埋葬権のカードが引き出しに収まっている。これらは区画を管理し、再埋葬ができるかどうかを判断する手がかりにもなる。ロカは「質問はしない。話すかどうかは家族次第」と言い、万聖節は「すべての家族が来る時期」で、この時期にしか来られない人もいると語る。
三つ目が冒頭のタルブだ。市議会は9月末、放置された旧墓地使用権から回収した墓や記念碑に「社会料金」を適用すると決めた。通常、墓碑は平均1万5千ユーロだが、所得などの条件を満たす世帯には1,800ユーロから提供される。価格は最大で10分の1になり、世帯の家族係数に応じた3段階の料金制だ。背景にあるのは、市民の3人に1人が貧困線を下回るという数字である。これは全国平均の2倍にあたる。
ある女性は、弟の葬儀に4,200ユーロかかり、両親にその金がなくてローンを組んだと語る。両親は家族墓の購入にも数千ユーロを払っていた。第一副市長のピエール・ラゴネルは、きちんとした墓を用意したい、あるいは火葬を選びたくない家族が、墓地使用権や納骨室、墓碑の支払いに大きな困難を抱えていると説明する。市はこの施策の費用を25万ユーロと見積もり、すでに約10件の申し込みを受けている。
三つの話をつなぐもの
花、人、石という異なる話に見えるが、私は三つとも「悼む」という行為を支える条件の話だと読んだ。以下は報道の事実ではなく、私の解釈である。
菊の鉢は、個人が数千円で買えるような小さな市場の中にある。花を供けること自体は、おそらく多くの人に開かれている。一方、墓碑は1万5千ユーロである。万聖節の菊が象徴する「年に一度、家族が墓に集まる」という習慣は、集まる先の墓がなければ成り立たない。花は誰にでも手が届くが、花を置く場所には値段がついている。このズレが、タルブのニュースの核心だと思う。
ロカの仕事は、そのズレを埋める側にある。彼は訪問者の経済状況を尋ねたりはしない。区画を探し、付き添い、話を聴く。記事で強調されていたのは、これが市の職員による公共サービスだということだ。ここから読み取れるのは、フランスでは「悼む場」の一部が、行政の手で管理される公共のインフラとして成り立っているという構図である。タルブの試みは、その延長線上にある。市は放置された区画を回収して再利用し、浮いたコストを困窮世帯の負担軽減に回している。公共が墓地を持つなら、そこに入る入口の価格にも公共が責任を負うべきではないか。市議会のこの判断は、そう考えているように見える。
もちろん、この制度に全員が納得しているわけではない。夫の墓を訪れていたパトリシアは、納骨室は空になっているとはいえ、中にいた人たちを取り出したのだから「少し奇妙な感じがする」と話している。故人の尊厳と、残された家族の家計をどう両立させるか。この制度は、その問いを正面から突きつけている。同時に、その居心地の悪さを引き受けたうえで、市が制度化に踏み切った点も見逃せない。
菊の意味の違いが示すもの
日本の読者にとって、ここで引っかかるのは菊だろう。報道によれば、アジアで菊は2千年以上栽培されてきた。日本では皇室の象徴であり、永遠、長寿、幸福を表すとされる。他方、日本でも菊は葬儀や仏前の花として思い浮かべる人が多いと一般に言われる。フランスの花店主は、菊は「伝統的で少し退屈な墓地の花」と思われがちだと言う。実際には色も形も多彩で、最近は切り花や室内装飾としても人気が広がっているという。
同じ花が、文化によって「めでたさ」と「墓」の間で別の顔を見せる。ただ、私が注目したいのは、花の意味そのものより、花が「死をどこまで日常に置くか」の物差しになっている点だ。フランスでは、墓参りの花が家庭の花壇や室内にも広がっている。死者への花と生活の花の境目は、思ったよりゆるやかなのかもしれない。
日本の墓や葬儀の費用負担については、原文に具体的な根拠がないため数字を挙げることは控える。ただ、墓参りは家族の私的な営みであり、費用も家族が負うものだと考える人は、一般に多いのではないか。今回のフランスの事例は、その前提を問い直す材料になる。万聖節という、社会全体で死者を思い出す日が国の暦にあるからこそ、「悼む機会の格差」が可視化されやすいのかもしれない。これもまた私の推測にすぎない。
これからどう動くか
タルブの制度は始まったばかりで、申し込みは約10件にとどまる。費用は25万ユーロと見積もられているが、その財源をどう確保し続けるのか、需要がどの程度伸びるのかは、報道からは分からない。再利用される墓碑の数にも限りがあり、約30基を清掃する予定とされているだけだ。パトリシアのような違和感が広がれば、制度の受け止め方も変わるだろう。他の自治体が同様の仕組みを取り入れるかどうかは、現時点では何とも言えない。
それでも、この小さな試みが示すものは大きい。悼む権利は誰にあるのか。その権利を実際に行使できるかどうかは、財布の中身に左右されてよいのか。そして、墓を持つ・維持するという選択を、家族だけが背負い続けるべきなのか。
菊を抱えて遠い墓地まで歩く人の背後には、墓碑の値段に頭を抱える人もいる。あなたの身近な人を見送るとき、悼む場所や費用は、誰が、どこまで負担するものだと考えますか。
出典
- franceinfo (titres):Toussaint : incontournable dans les cimetières, le chrysanthème est aussi devenu une fleur d'intérieur (2026/11/1)
- franceinfo (titres):PORTRAIT. "Les familles se confient à moi, me racontent leur histoire" : gardien de cimetière, Sébastien se sent utile aux autres (2026/11/1)
- franceinfo (titres):REPORTAGE. À Tarbes, des sépultures et des concessions abandonnées sont proposées à prix réduit pour les familles modestes (2026/11/1)