ジスカール・デスタン元大統領死去

48歳で大統領に就任したジスカール・デスタン氏が新型コロナウィルスにより2日夜94歳で死去しました。

ジスカール・デスタン氏はフランスとドイツの和解の必要を訴え続け、欧州憲法制定条約の起草に尽力しました。
ジスカール・デスタン氏のフランスは1970年代、フランスが駆け足ですすんだ時代でした。

大統領任期の最初の4年で電話回線は3倍に、インターネットの祖先でるミニテルは1980年に登場しました。
テレビ画面にキーボードが付き、電話番号などが検索できる端末です。

TGVやアリアンヌロケットなどが登場し、エネルギー危機のため原子力発電を推進しました。

西ドイツのシュミット氏との長きにわたる友好関係があります。ともに財務相時代に知り合った2人は、後のEUとなる欧州の統合に尽力しました。
ともに20年後、30年後と言う長期的視野を持って、欧州通貨システムを築きました。

当時はECUと呼ばれていたユーロのイメージを既に持っていたジスカール・デスタン氏は、単一通貨を中心として欧州の人々が団結する連邦制の欧州を目指していたのです。民主的な欧州連合を目指し、大統領在任中の1979年には普通選挙による初の欧州議員選挙が実現しました。

そんな中で、欧州連合にまつわる大敗北も経験しています。2001年から2005年にかけて欧州憲法を起草しましたが、フランスの国民投票で憲法条約は否決されたのです。このときの敗北は後まで悔やんでいました。

マクロン大統領は、テレビで下記のようにスピーチしました。

親愛なる国民の皆さん。
ヴァレリー・ジスカール・デスタン元大統領が昨晩彼が愛した国と仕えた国民の元を去りました。
波乱の時期に、世界を混乱に陥れ、我々の戦いの相手である災いによってなくなりました。
ジスカール・デスタン氏は共和国の歴史において中心的な存在でした。
30代でドゴール政権、次いでポンピドゥー政権の大臣を務め、48歳で大統領に就任しました。

かつて無いペースで国の現代化を図り、またヨーロッパにしばしば欠けていた理想と意思をもたらしました。

私はジスカール・デスタン氏の在任中に生まれた世代の一員です。
ジスカール・デスタン氏が、私が我々世代のために、いかにフランスを変えたか充分理解していなかった世代かもしれません。

しかし女性擁護と社会進出、合意に基づく離婚、18歳での人工妊娠中絶、障害者の社会包摂など、我々の社会が刷新され、開かれ我々の人生がより自由なものになったのは、ジスカール・デスタン氏の勇気と大胆さにも負っているのです。

ヨーロッパ議会選挙における普通選挙、欧州理事会の定例化、単一通貨の準備、ヘルムート・シュミット首相との独仏タンデムなどヨーロッパが団結し強くなったのはジスカール・デスタン氏のヨーロッパに対する熱意のおかげでもあります。そして主要国首脳会議G7の開設、今世界が時代の課題を前に団結できるのは、その線形性に富む知性による貢献が大きいのです。

そうです。変容、改革、行動により、その作品と思想により、ヴァレリー・ジスカール・デスタン氏は今、私たちが考える以上に我々の人生に息づいています。

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