
死刑を廃止した国と、死刑を宣告した国――同じ火曜日に地中海の東側で起きたこと
2026/8/12
8月11日火曜日、ベイルートの議会では死刑廃止法案が可決され、司法相は「歴史的」だと胸を張った。同じ日、ダマスカスの法廷は、ロシアに逃げ延びたまま姿を見せない元大統領バシャール・アル=アサドに、戦争犯罪と人道に対する罪で死刑を言い渡した。処罰の道具である死刑という制度を、一方は手放し、もう一方はまさにその日、最も重い相手に対して行使する。この偶然の同日性は、暴力のあとに社会がどう「正義」を組み立て直すかという問いが、いかに一様な答えを持たないかを、そのまま映し出しているように見える。
レバノンの決定は単純明快だ。議会が可決した法律により、施行前の犯罪には終身刑が科され、2004年以降執行が止まっていた死刑制度そのものが撤廃される。司法相のアデル・ナッサールは、これによってレバノンがもはや死刑廃止国からの容疑者引き渡し要請を拒まれなくなる、という実務的な利点も強調した。人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチは「残酷で恣意的な刑罰との明確な決別」と評し、フランスのジャン=ノエル・バロ外相はXへの投稿で「歴史的で勇気ある」決定だとたたえた。バロ外相がわざわざ「1か月前にパリで開かれた第9回死刑廃止世界会議での約束を果たした」と付け加えたところに、フランスという国の立ち位置が透けて見える。死刑廃止を単なる国内制度ではなく、外交上のブランドとして掲げてきた国だからこそ、レバノンの決定を自分たちの規範の勝利として語りたくなるのだろう。
ところがその同じ枠組みが、シリアでは正反対の結論に向かう。新しい移行当局は4月に旧体制関係者の訴追を始め、6月には「もっと早く裁け」という市民の抗議デモまで起きていた。積み重なった内戦の犠牲と、逃げ延びた独裁者への怒りを思えば、欠席裁判であっても死刑という最も重い言葉を選ぶことは、被害者たちにとって「ようやく認められた」という感覚につながるのかもしれない。ここで見過ごされがちなのは、レバノンが死刑を捨てることと、シリアが死刑を宣告することは、実は矛盾していないという点だ。どちらも、暴力の後始末をどう制度化するかという同じ問いに対する、異なる社会の異なる答えにすぎない。レバノンには「もう死刑は要らない」と言えるだけの落ち着きがあり、シリアにはまだ「最大限の罰でなければ正義とは呼べない」という切迫がある——そう読むこともできるが、これはあくまで筆者の解釈であり、ニュースそのものが両国の心理を説明しているわけではない。
日本の読者にとって、この対比は他人事では済まない角度を持っている。日本は死刑を維持している国であり、被害者や遺族の感情と刑罰の不可逆性をめぐる議論は、フランスとは異なる位相で続いてきたと一般に言われる。フランスのように死刑廃止を対外的な価値観として掲げる立場からすれば、日本の制度は説明を要する対象になりやすい。しかし今回のニュースが示すのは、死刑という制度の是非そのものよりも、「重大な暴力のあとに、その責任をどう可視化し、誰に何を認めさせるか」という、より広い設計問題だ。レバノンのように制度ごと手放す道もあれば、シリアのように最も重い罰を象徴的に用いる道もある。どちらが「正しい」かを一般論として決めることはできないし、この記事もその判定を試みない。
では、暴力の当事者を罰するのではなく、社会に戻すという選択はどうか。トルコでは8月10日、40年以上続いたクルド系武装組織PKKとの武力紛争を締めくくる法律が国会で可決された。武器を放棄した戦闘員について訴追や刑の執行を停止し、市民生活への復帰を認める内容で、初期段階では収監中の約3500人が対象になりうるという。ただし全面的な恩赦ではなく、歴史的指導者オジャランの処遇も宙に浮いたままだ。与野党は支持したものの、PKK側は「不備がある」としてオジャランの釈放を求め続けている。1984年以来少なくとも5万人が死んだ紛争の記憶を持つ社会が、それでも「復帰」という選択を採ったことは重い。処罰でも忘却でもなく、段階的な猶予期間を設けて再犯がなければ刑を消していくという設計は、レバノンの死刑廃止ともシリアの死刑判決とも違う、第三の答え方だ。
アメリカの立ち位置は、この一連の出来事の中でもう少し複雑な形で現れている。ドナルド・トランプ大統領が提示したガザの和平工程表は、ハマスの武装解除とイスラエル軍の撤退を段階的に結びつけ、パレスチナ人の政治的地位や自決にも触れる内容だったとされる。ハマス側はこれを受け入れていたにもかかわらず、ネタニヤフ首相は「ハマスが完全に武装解除されるまで撤退はしない」として拒否した。ジャーナリストのシルヴァン・シペル氏は、この拒否を連立政権の圧力だけで説明するのは一面的だとし、「世論のとりこ」だと指摘する。10月27日の総選挙を控え、米国案はネタニヤフ首相を支持する右派有権者の間でも広く不人気だという調査結果があるからだ。ここで浮かび上がるのは、暴力の後の政治的共存を制度として設計しようとしても、有権者の感情や選挙のタイミングがその設計を簡単に無効化しうるという現実である。米国が軍事支援という最大の圧力手段を実際には行使してこなかったことも、強硬な立場を維持するコストを下げているとシペル氏は見ている。
そしてミャンマーは、暴力そのものが止まっていない場所として、この並びの外側に立っている。国連の独立調査メカニズムは、軍が民間人への空爆や拘束、拷問、性的暴力を近月強化していると報告した。12月と1月に選挙を控えるなかで攻撃は「容赦なく」続き、2021年のクーデター以降の死者は10万人を超えるという。この調査メカニズムが集めている証拠は、将来の刑事訴追やロヒンギャをめぐる国際司法裁判所の手続きのために使われる。つまり、レバノンやシリア、トルコが「暴力の後」にどう正義を組み立てるかを試している一方で、ミャンマーはまだその手前、暴力そのものをどう止めるかという段階にいる。処罰の設計を語る前に、まず暴力を終わらせなければならない社会があるという事実は、今回の一連のニュースの中で最も重く、最も救いのない部分かもしれない。
これらの出来事に共通するのは、暴力のあとに残された社会が、真相究明、被害の承認、選別的な免責、政治参加という複数の要素を、限られた選択肢の中で組み合わせなければならないという構造だ。レバノンは制度としての死刑を手放すことで一つの答えを出し、シリアは最も重い罰を象徴として用いることで別の答えを出し、トルコは猶予と社会復帰という第三の道を選んだ。イスラエルとハマスの間では、その組み合わせ自体が選挙という別の力学に押し流されようとしている。そしてミャンマーでは、組み合わせを語る前提となる停戦すら見えていない。
被害者への正義を損なわずに、かつて暴力を行使した側が再びそこに戻らないための社会復帰を、どこまで認められるだろうか。答えは国によって、そして事件の重さによって、驚くほど違う形をとる。読者自身なら、罰と赦しと復帰のどこに線を引くだろうか。