AntenneFrance

海峡は誰のものか——「安全と主権」という言葉が覆い隠すもの
国際

海峡は誰のものか——「安全と主権」という言葉が覆い隠すもの

2026/8/16

ワルシャワの川岸に立っていたアリナという女性は、頭上を通過するF16とF35を見上げながら、子どもたちの手を握っていた。「少し恐ろしく、少し不安な気持ちになります。普通なら戦時中に見るような機体ですから」。そう語りながらも、彼女はこう付け加えている。「でも、とても壮観です」。8月15日、ポーランドの「軍隊の日」に合わせてワルシャワで行われたこの軍事パレードには、300台の戦闘車両と約2,000人の兵士が参加し、同国史上最大規模になったという。

恐怖と壮観という、本来なら相容れないはずの感情が同じ胸の内に同居する。この光景こそ、いま世界のあちこちで起きていることを理解するための、ちょうどいい入り口になる。安全を守るための力が誇示されるとき、それを見る側は安心すると同時に不安にもなる。なぜなら、その力がどこまで及ぶのか、誰にも正確にはわからないからだ。

ポーランドが誇示したものと、その裏にあった不安

ドナルド・トゥスク政権が「ポーランドSAFE」と名付けたこのパレードは、ロシアの脅威に対する再軍備を国内外に示す狙いがあったと報じられている。同時に、軍の準備不足を指摘する批判をかわす目的もあったという。実際、7月末にはロシアのミサイルが同国東部の野原に落下し、危険地域の一部では警報サイレンが鳴らず、戦闘機もミサイルを迎撃しないまま、直径10メートル・深さ5メートルのクレーターが残された。

パレードを見ていたエルジビエタという女性の言葉は、示威と実態のずれを鋭く突いている。「紙の上ではすべてが完璧に見えますが、実際には別の話です。政府がすべてを管理できるわけではありません」。国家が「守る」と宣言することと、実際に守れることの間には、埋めがたい距離がある——彼女の言葉は、そのことを教えてくれる。

この距離は、ポーランドだけの問題ではない。ほぼ同じ時期、世界の別の場所でも、「安全のため」「主権のため」という言葉を掲げた力の行使が、それを受け止める側の生活を大きく揺さぶっていた。

8隻という数字が語るホルムズ海峡の姿

ホルムズ海峡では、米国とイランが「誰の海峡か」をめぐって言葉と実力の応酬を続けている。トランプ大統領は「われわれはホルムズ海峡を完全に掌握している」と述べ、イラン側は「イスラム共和国の完全な管理と支配下にある」と真っ向から否定した。両者の主張の間で、実際に海峡を通過できた船はある日わずか8隻だったと報じられている。世界の石油物流の生命線とされるこの海峡で、米国は封鎖を突破しようとした船舶に発砲したとされ、イラン側も「敵がすべての条件を受け入れるまで海峡を閉鎖しておく」という姿勢を崩していない。

さらに8月14日、トランプ氏はニューヨーク近郊の集会で、笑みを浮かべながら「イランを打ち負かし終えたら、近いうちにホルムズ海峡を米国の領土だと宣言する」と語った。冗談めいた口調ではあったというが、一国の指導者が国際海峡の領有を口にしたという事実そのものは、記録として残る。トランプ氏は同じ場で、燃料価格の上昇についても「ガソリン代を少し多く払わなければならないとしても、それでいい」と述べ、開戦の正当性を重ねて主張した。米国のガソリン価格は戦争前より35%以上上昇し、フランスでも軽油とSP95-E10の平均価格が2ユーロを超え、紛争開始時より約30セント高くなっているという。海峡の主権をめぐる言葉遊びのような発言の代償を、実際に支払っているのは、海峡から遠く離れた国の消費者たちだ。

「安全確保」の名の下で家を封鎖された人びと

主権と安全という言葉が最も生々しい形で人の生活に及んだ例が、占領下のヨルダン川西岸クスラで起きた。8月9日以降、数十人のイスラエル人入植者がパレスチナ人住宅の近くにテントを設置し、住民は食料や薬の供給を断たれたと訴えた。ある住民は電力を太陽光パネルだけで確保していたという。イスラエル軍は複数回介入し、違法な前哨拠点を解体したと発表したものの、入植者が「隣の丘」に残る状況はその後も続いた。

国連は、2026年初め以降ヨルダン川西岸でパレスチナ人76人(うち子ども18人)が殺害され、入植者による暴力や立ち退きでおよそ3,800人が避難を強いられたとしている。イスラエル国内でも、次期選挙でネタニヤフ首相の対抗馬とされるガディ・アイズェンコット氏が「クスラでの出来事は、この政府の失敗と弱さを改めて示している」と批判し、駐イスラエル米国大使マイク・ハッカビー氏でさえこの封鎖を「テロ行為」と呼んだ。フランス外務省も「最も強い言葉で」非難し、イスラエルに国際法上の保護義務を果たすよう求めている。

ほぼ同じ頃、レバノン南部ではイスラエル軍の空爆で9人が死亡したと保健省が発表した。犠牲者には子ども3人と女性2人が含まれ、レバノン大統領は「一家全員が死亡したこと」を「国際法に対する度重なる違反」だと非難した。イスラエル軍は「ヒズボラのテロインフラ」への対応だったと説明している。どちらの言い分にも「正当防衛」の論理があるが、その論理の外側で失われた命の重さは変わらない。

力の行使が「誰かの日常」を通過していく

ポーランドの再軍備、ホルムズ海峡の封鎖、クスラの包囲、レバノンへの空爆——これらは地理的にも文脈的にもばらばらの出来事に見える。しかし並べてみると、共通する構造が浮かび上がる。国家や軍事勢力が「安全」「主権」「合意違反への対応」を語るとき、その力が実際に通過していくのは、決定を下した当事者ではなく、その外側にいる人びとの日常だということだ。ポーランドでは市民が「政府がすべてを管理できるわけではない」という不安を抱え、ホルムズ海峡では8隻しか通れない海を挟んで世界のガソリン価格が動き、クスラでは一家族が水と電気を絶たれ、レバノン南部では民間人が犠牲になった。

フランスは、これらの事態に対して国際法や停戦合意の順守を求める立場を繰り返し表明している。外務省はクスラの入植者による住宅占拠と暴力を非難し、犯人の司法引き渡しとパレスチナ人住民の保護をイスラエルに求めた。EUも「入植者による暴力を阻止する具体的な行動」を要求している。ただし、これらの声明が実際に力の行使を止める力を持つかどうかは別の問題だ——ここは記事の事実からは判断できないが、外交的な非難と現場の実力行使の間に距離があることは、これまで見てきた出来事からも読み取れるだろう。

日本はこうした海峡の緊張を、軍事というより海上交通路への依存という角度から見ることが多いとされる。原油の多くを中東からの輸送に頼る立場からすれば、ホルムズ海峡で船が8隻しか通れないという事実は、遠い紛争のニュースではなく、自国のエネルギー安全保障に直結する数字として映るはずだ。一方で米国は、トランプ氏の発言に見られるように、軍事的な抑止と「航行の自由」を結びつける言葉遣いを好む傾向があるとされる。しかしその言葉遣い自体が「海峡は我々のものだ」という主権的な主張に転じたとき、それは緊張を和らげるどころか、かえって増幅させる側面を持ちうる——これは今回の一連の出来事から導かれる、ひとつの解釈にすぎないが、示唆的ではある。

今後、ポーランドの再軍備がどこまで進むのか、ホルムズ海峡の封鎖がいつ解けるのか、クスラのような包囲が他の村でも繰り返されるのか、レバノンでの空爆が「合意違反への対応」という名目でどこまで続くのか——そのどれもが、まだ結末の見えない話として残されている。ただ確かなのは、これらすべてに共通する論理が、力を行使する側の「必要性」を語る言葉によって進められているという点だ。

安全保障のために国家が力を持つ必要があることは、多くの人が認めるところだろう。しかしその力が、海峡を通る第三国の船を止め、占領下の家族から水と電気を奪い、罪のない子どもの命を奪うところまで及んだとき、それでもなお「安全のため」という言葉だけで正当化できるのか。あなたなら、どこに線を引くだろうか。

フランスメディアの関連記事