
顔面を撃たれた14歳と、100万ユーロの請求書――フランスの高校生が問う「教育は権利か資源か」
9月28日月曜日の午前10時30分、パリ郊外ヴァル=ドワーズ県の職業高校の前で、14歳の少年が地面に倒れ込んだ。警察官が発射した「クーガー」と呼ばれる装置の飛翔体が、彼の顔に当たったのだ。搬送先の病院で判明したのは、上の歯が全部折れ、下の歯もどれだけ残っているか分からない状態だったという。母親は新聞に「口をめちゃくちゃにされた」と語った。
この少年は、その日フランス国内で封鎖されていた約180校のうちの一つにいた生徒だった。彼が抗議していたのは、授業を受けたくないという話ではない。過密な教室、断熱性の低い校舎、教員不足――つまり「学ぶための最低限の条件」が整っていないという訴えだった。ある高校生は取材に「1クラス35人以上。猛暑の間、教室の体感温度は40度を超え、ほぼ毎日誰かが具合を悪くしていた」と話している。
事件をめぐっては現在、警察監察総局(IGPN)が発射行為について、そして少年による警察官への暴力についても、それぞれ別の捜査を進めている。内相のロラン・ニュネスは「警察官の対応が不釣り合いだったとは全く思わない」と述べ、介入はそのたびに正当だったと主張した。一方、現場にいた教員たちは声明で「治安部隊の不釣り合いな対応によって状況が悪化した」と述べ、月曜日から安全上の理由で職務を停止する権利を行使すると発表している。この落差そのものが、この運動が単純な「秩序と混乱」の物語には収まらないことを示している。
なぜここまで対立が深まったのか。手がかりは、イル=ド=フランス地域圏が示した別の数字にある。地域圏は、封鎖に伴う高校施設の被害額を約100万ユーロと見積もった。出入り口の門は約10カ所が使用不能になり、火災、落書き、割れた窓、警備や清掃の追加費用が発生しているという。地域圏議会議長のヴァレリー・ペクレスは、抗議を支持したサン=ドニ市長バリ・バガヨコを「破壊行為をする者たちを扇動した」と批判し、修繕費として10万ユーロ超を市に請求する意向を示した。バガヨコ市長は「ある時点では、暴力が正当化されることもあり得る」と述べつつも、「避けられる場合は常に、避けた方がよい」と釈明している。
ここで見過ごされがちなのは、被害額100万ユーロという数字と、生徒たちが訴えている「不足」が、実は同じコインの両面だということだ。地域圏は高校の建物維持管理の権限を持つ立場であり、その予算が壊れた門の修理に消えていく一方で、生徒たちはまさにその同じ予算の不足――過密学級や老朽化した校舎――を訴えている。壊された門を直す金はあるが、最初から教室を増やす金はなかったのか、それともこれから優先順位が変わるのか。この問いに、まだ誰も明確に答えていない。
教員の側にも割れる思いがある。全国高校・中学校組合(SNALC)のジャン=レミ・ジラール会長は「私たちは皆、国民教育の現実的な危機を経験している」と認め、「人数の多いクラス、まったく適応していない校舎、なかには実際に崩れかけている建物もある」と語った。同時に彼は、封鎖現場に「その高校の生徒ではない者が突然現れ、治安部隊と衝突する」危険を警告している。運動の正当性を認めながら、暴力の応酬に発展することを恐れる――この二つの感情が、多くの教育関係者の中で同時に存在しているように見える。
この矛盾は、生徒自身の間にも表れている。アルジャントゥイユの高校前で取材に応じた17歳の女子生徒は、要求そのものには賛同しながらも「ごみ箱を燃やしたり、道路やバスを妨害したりする意味は分かりません。少し行き過ぎました」と語った。彼女の言葉は印象的だ。「迷惑をかけるべきなのは外にいる人々ではなく、私たちの声を届けるために高校の方です」。つまり彼女は、抗議の宛先を間違えるなと言っているのだ。教育条件の不足という不満は正当だが、その矛先が地域社会そのものに向かってしまえば、運動の説得力はむしろ損なわれる――そういう感覚を、10代の生徒自身が抱いているという事実は、この運動が単なる暴走ではなく、内部に自己反省の回路を持っていることを示していると読める。
フランスでこうした光景が成立する背景には、教育を「一律に保障されるべき権利」として掲げる国家の建前と、実際には予算・人員・施設が地域ごとに配分される資源であるという現実との間の緊張がある。生徒が「本来フランス全土の高校生に共通して保障されるはずの最低限のものさえない」と訴えるのは、まさにこの建前を根拠にした異議申し立てだ。彼らは制度の外側から石を投げているのではなく、制度が自ら掲げた理念を突き返している。そして高校生自身が街頭に出て封鎖という直接行動に訴える点も、フランスの政治文化の中では珍しいことではないようだ。労働組合のCGT書記長ソフィー・ビネが「高校生の動員を管理するのは内務相ではなく、国民教育省であるべきだ」と述べたのも、この運動を治安問題としてではなく教育政策の問題として扱うべきだという主張であり、教育をめぐる不満がまず「誰が対応すべきか」という統治のレベルの争いに転化する様子を映している。
日本の学校で同じような不満――過密学級や施設の老朽化、教員不足――が生じたとき、それが生徒自身による封鎖という形に直結することは一般に少ないと言われる。むしろ保護者、教職員、教育委員会といった経路を通じて要望が伝えられることが多いとされる。この違いは、どちらが優れているという話ではなく、誰が教育条件の当事者として「声を上げる主体」だと想定されているかの違いを映しているのかもしれない。フランスの生徒たちは、自分たちこそが教育の受け手であり、その資格において直接行動する権利があると考えているように見える。
アメリカについては今回のニュースの範囲では直接の言及はないが、教育を受ける条件が地域や家庭の状況によって大きく異なりうるという構造そのものは、フランスの高校生が訴えている「格差」の問題と響き合う部分があるかもしれない。ただし具体的な制度や統計についてここで語ることは、今回参照した報道の範囲を超えてしまう。
この先、この運動がどこに向かうのかは見通しにくい。SNALCのジラール会長が懸念するように、要求が聞き入れられない状態が続けば「事態が逸脱し、もはやまったく制御できない事態に発展する可能性がある」。一方で、100万ユーロという被害額が政治的な取引材料として使われ続ければ、生徒たちが本来訴えていた「教室の条件」という論点そのものが、誰が費用を負担するかという別の争いにすり替わってしまう危険もある。教員たちが職務停止の権利を行使し始めている以上、この対立が学校運営そのものに影響を及ぼす段階に入ったとも言えるだろう。
教育を権利と呼ぶなら、その権利は誰にとっても同じ教室、同じ支援、同じ発言の機会として保障されているべきはずだ。だが今回のニュースが示すのは、その理念と、実際に配分される予算・人員・施設という資源との間に、埋まらない溝があるという現実だ。あなたの身の回りにある学校は、その溝をどちらの側から見ているだろうか。
出典
- franceinfo (titres):Ce que l'on sait du lycéen blessé au visage après le tir d'un projectile par un policier lors d'un blocage dans le Val-d'Oise (2026/9/29)
- franceinfo (titres):INFO FRANCEINFO. La Région Ile-de-France estime à près d'un million d'euros les dégâts causés par le blocage des lycées (2026/9/30)
- franceinfo (titres):VIDEO. Les blocages de lycées se multiplient et la contestation se répand partout en France (2026/9/29)
- franceinfo (titres):"On vit tous une crise de l'Éducation nationale réelle", affirme le Syndicat national des lycées et des collèges (2026/9/29)
- franceinfo (titres):REPORTAGE. "Là, c'est parti un peu trop loin" : à Argenteuil, des lycéens déplorent les débordements lors des manifestations (2026/9/29)