
国境という選別装置——寝室、住宅局、沈没船が教えること
2026/9/15
9月13日の日曜日、トルコ警察はイスタンブール、アンカラ、イズミルを含む15の県で、ゲイバーやLGBT+活動家の自宅に一斉に踏み込んだ。アキン・ギュルレク法相はXに、作戦名「私の家族は安全」のもとで「162人の容疑者、9つの団体、13の企業について司法手続きが開始された」と投稿した。少なくとも63人が拘束され、そこにはLGBT+活動家も含まれていた。政権はこれを、レジェップ・タイイップ・エルドアン大統領が掲げる「家族の10年」の一環であり、子どもと伝統的家族、社会秩序を守るための措置だと説明している。
同じ週、フランス北部エナン=ボーモンでは、大統領選の有力候補マリーヌ・ルペンが休暇明け初めての大規模演説を行い、「肌の色や宗教にかかわらず、フランス人は自分たちの国で優先される」と述べ、住宅政策を選挙戦略の中心に据えた。個人向け住宅手当(APL)をフランス人に限定し、社会住宅の一定割合を義務づけるSRU法を廃止し、公営住宅(HLM)を「フランス人に」売却する——これらは領土の境界線ではなく、福祉国家という共同体の内側で、誰が正当な受給者であるかを引き直す作業だ。
一見バラバラなこの二つのニュースは、実は同じ問いを別の角度から突きつけている。国境は地図の上の線ではなく、誰を「私たち」として承認し、誰を排除するかを日々決める装置になっているのではないか、という問いだ。
イスラエルの人権NGOベツェレムが同じ週に公表した249ページの報告書は、この装置がもっとも過酷な形で作動する現場を描き出す。占領下のヨルダン川西岸で、イスラエル当局が「暴力と威嚇、移動制限、経済的な締め付け、社会的・政治的破壊、民族浄化、領土の征服」を通じてパレスチナ国家の可能性そのものを排除しようとしている、というのが同団体の主張だ。報告書は、2023年10月7日以降、子ども245人を含むパレスチナ人1,107人がイスラエルによって殺害されたと集計している。ここでの国境は、誰かが政治的共同体として存在すること自体を許すか許さないかを決める線になっている。イスラエル当局はこうした人権侵害の申し立てを定期的に否定している。
そしてガヴドス島沖では、その線を越えようとした人々の一部が海に沈んだ。9月14日、ギリシャ沿岸警備隊は、77人を乗せた船が転覆し、1人が死亡、25人が行方不明になったと発表した。近くにいた貨物船とタンカーによって51人が救助され、Frontexのドローンも捜索に加わった。クレタ島とガヴドス島は庇護申請者の主要な玄関口だが、ギリシャ移民・庇護省のデータによれば、2025年8月から2026年8月までの到着者数は4万1,998人と、前年同期の6万1,112人から約3分の1減少している。到着者は減っているのに、船は沈み続けている。これは、国境管理が厳しくなるほど、越境そのものの危険度が上がるという構造を示しているように見える——ただしこれはニュースからの解釈であり、断定できる因果関係ではない。
この4つの出来事を並べてみると、共通する構造が浮かび上がる。国境は領土の外周だけでなく、住宅の受給資格、性的少数者の集会の自由、土地への居住、そして海を渡る権利という、まったく異なる場面で、同じ機能を果たしている。つまり「誰が正当な成員か」を選別する機能だ。フランスの住宅政策は国籍を基準に、トルコの摘発は「伝統的家族」という規範を基準に、イスラエルの占領政策は民族と土地の支配関係を基準に、それぞれ線を引き直している。EUの欧州委員会報道官クリスティアン・ヴィーガントが、トルコに対し「性自認や性的指向にかかわらず、すべての人の人権と尊厳の尊重」を求めたのも、まさにこの選別の正当性そのものが争われているからだ。
フランスでこの議論がとりわけ鋭く響くのは、社会保障が「国民の連帯」という理念の上に築かれてきた歴史があるからだと言われる。ルペンの「国民優先」は、その連帯の輪を、居住や納税ではなく国籍によって描き直そうとする提案だ。SRU法の廃止やHLMの売却が議論になるのは、フランスでは住宅が単なる商品ではなく、共同体への帰属を可視化する公共財として扱われてきたためだろう。
日本は地続きの難民ルートを持たないため、ガヴドス島のような場面が日常のニュースとして流れることは少ない。そのため、国境管理がもたらす人道的コストは、フランスや地中海沿岸諸国に比べて可視化されにくいと一般に言われる。だが、住宅や社会保障の受給資格をめぐる「誰が正当な受給者か」という問いは、形を変えて日本社会にも存在するはずだ。アメリカでも、移民政策や市民権と社会保障の結びつきをめぐる論争がしばしば政治の焦点になるとされる。国境の引き方は国ごとに違っても、「誰を私たちに含めるか」という問いそのものは、どの社会も避けて通れない。
ルペンが年金やウクライナ、スカーフ論争には触れず、住宅と「国民優先」だけを前面に押し出したのは、この論点が有権者の生活実感に最も直接届くと見ているからかもしれない。もしこの発想が広がり、社会権の配分原理が居住や納税ではなく国籍を基準にするようになれば、福祉国家が誰のために存在するのかという定義そのものが変わっていく。
共同体への帰属を国籍で優先することは、社会的連帯を守るのだろうか、それとも権利への入口を狭めることになるのだろうか。あなたの答えは、どちらだろう。