
ガソリン価格の裏で進む「見えない戦争」への備え——フランスは自由とどこまで引き換えるのか
2026/9/19
パリ近郊のガソリンスタンドで、価格表示のデジタル数字がまた一段上がる。マクロン大統領自身が9月18日、「ガソリンスタンドの価格は歴史的な水準に達し、現在、多くの人々を大きく苦しめています」と認めたその数字の裏には、ホルムズ海峡とイランをめぐる戦争がある。中東の海峡で起きていることが、なぜパリの家計に直結するのか——この単純な問いこそ、この日エリゼ宮で開かれた会合の出発点だった。
マクロン氏はこの日、各政党の党首と2027年大統領選の候補者たちをエリゼ宮に集めた。議題はウクライナと中東をめぐる国際情勢の急速な悪化。出席者が口をそろえて「深刻だった」と語るこの会合で、大統領は具体的な出来事を並べた。ウクライナのポーランド国境近くでの旅客列車への攻撃、欧州諸国の領空への侵入、そして爆発物を搭載したドローンが関わったとされるドイツ・ライプチヒ空港への攻撃未遂。さらに、フランス大統領選に対する介入の試みが約100件あったことも、この場で共有されたという。
ここで見過ごされがちなのは、これらの出来事がいずれも「宣戦布告」の形を取っていないことだ。列車、空港、選挙、それぞれ単発で見れば事故や不審事案の域を出ないかもしれない。だがフランスの治安当局筋は、これを一つの戦略として読み解いている。ロシアはウクライナへの軍事的圧力を維持する一方で、欧州を「戦略的縦深」——ウクライナを支える兵器・物流・防衛産業の後方基地——とみなし、そこを静かに攻撃し始めているという見立てだ。ポーランドやチェコの兵器貯蔵施設や工場、補給網が標的とされ、ドイツでは防衛関連企業の経営者に暗殺の脅迫まで及んだとされる。欧州の情報機関の間には、ロシアが大規模な軍事侵攻ではなく、秘密裏あるいは半ば秘密裏の「くすぶる戦争」を続けるだろうという見方が広がっている一方、スウェーデン軍参謀総長は、ロシアが過去にも重大な戦略的リスクを取ってきた——それも多くの場合、自国にとって悪い結果に終わったにもかかわらず——と公然と警告してもいる。つまり「読み筋」はあっても「保証」はない、という不安定さがこの脅威の本質なのだろう。
マクロン氏の対応は、この曖昧さに輪郭を与える試みだったと言える。政府に対し、「ドローン攻撃やサイバー攻撃から、重要インフラと、防衛産業・技術基盤の中でも最も機微な施設を守る計画」を準備するよう指示し、数週間以内にエネルギーを議題とするG7を招集する意向も示した。興味深いのは、この「防護」が軍事施設だけでなく、燃料供給や家計の安定という、きわめて日常的な領域とも地続きに語られている点だ。大統領は、直接的な金銭給付よりも供給確保と外交を優先すると説明し、「最大限の資金を使う前に、その原因に対処するために動員されなければならない」と述べた。安全保障と生活防衛が、同じ演説の中で分かちがたく結びついている。
そしてこの会合と同じタイミングで、フランス国内ではもう一つの「見えにくい脅威」が表面化していた。極右思想に傾くとされる35歳の警察官が、テロ行為の準備をした疑いで勾留・起訴されたのだ。3Dプリンターでの武器製造、オンラインでの扇動——外国からのハイブリッド攻撃を警戒する同じ国が、制服を着た内部の人間による暴力の準備にも直面している。捜査当局は前年から、極右の脅威が「注目されるべき課題」であり、SNSやダークウェブを通じた拡散の速さが特徴だと指摘してきた。外から来る脅威と、内側から育つ脅威。フランスが今問われているのは、この両方をどう可視化し、どう対処するかという、単一の答えを持たない課題なのだと思う。
こうした状況下で、マクロン氏が繰り返したのは「団結」という言葉だった。「分断は、こうした危機に立ち向かう私たちを弱くする」と述べる一方で、「社会的な動員は常に正当です」とも付け加えている。ただし、それが効果を持つのは「政府が動かせる出口がある場合」に限られ、今回はそうではないと釘を刺した。黄色いベスト運動への言及が会合内で出たことからも分かるように、これは単なる安全保障の話ではなく、抗議する権利と、抗議が「正当に効果を持つ条件」を、権力の側から線引きしようとする発言でもある。フランス社会が街頭での異議申し立てを民主主義の作法として受け止めてきた歴史を踏まえれば、この一言は決して軽くない。大統領は同時に、大統領選までの間、政党や候補者を集めた「透明性のための会合」を必要な限り開くと約束してもいる。情報を独占せず政治勢力に共有すること自体を、自らの「義務」と位置づけたわけだ。
この「団結」と「透明性」の組み合わせは、日本の読者にはやや馴染みの薄い光景かもしれない。フランスでは、国家元首が野党党首や大統領選候補者を招集し、脅威の中身を説明し、対応方針への理解を求めるという場面が、それ自体一つの政治的儀式として機能している。安全保障上の判断が、市民的自由や社会的動員の是非とセットで、公然と論じられる。これに対し、一般に日本では治安対策が行政・警察の専門領域として扱われることが多く、監視や情報収集の強化がどのような民主的手続きを経て決まっているのかが、外からは見えにくいとされることがある。どちらが優れているという話ではなく、脅威への対応を誰がどう検証するのかという回路の作り方が、そもそも違う文化に根ざしているのだろう。
アメリカについても、同じ問いは別の形で立ち上がっているとされる。一般的に、米国では安全保障機関の権限と、SNSなどの民間プラットフォームとの協力関係が、脅威対応の大きな部分を占めると言われる。国家が単独で情報を集めるのではなく、民間企業のデータやインフラが防衛の一部に組み込まれていく構図は、フランスが今描こうとしている「防衛産業・技術基盤」の防護計画とも、遠くない発想を共有しているのかもしれない。
では、この先どうなるのか。フランスは数週間以内にエネルギーG7を開き、重要インフラ防護計画を具体化させ、燃料支援策の延長を協議していく。だがロシアの脅威が「水平的エスカレーション」——欧州各国の防衛産業へと標的を広げていく可能性——を含むとすれば、防護の対象は際限なく広がりうる。ドローンやサイバー攻撃から「最も機微な施設」を守るという言葉は聞こえがいいが、その「機微」の範囲を誰が決め、どこまでの監視や情報収集が正当化されるのかは、これから先の政治過程でしか答えが出ない問いだ。国内の警察官によるテロ準備事件が示すように、脅威は外からだけでなく内からも来る。境界線が曖昧になればなるほど、「防衛」の名の下に集められる情報や制限される自由も、静かに広がっていく危険がある。
見えない攻撃から自分たちを守ってもらうために、どこまでの情報収集や制限を受け入れられるか。それはガソリン価格の数字ほど分かりやすくは表示されない。だからこそ、私たち自身がその線をどこに引くのか、一度立ち止まって考えてみる価値があるのではないだろうか。