誰が「安全」を決めるのか——ガザの武装解除合意とイラクの空爆否認が突きつける、主権という境界線
2026/8/1
「合意には、イスラエルが自らの義務を尊重し、履行することに同意しなければならないと明確に定めた条項があります。イスラエルが合意を履行しないなら、私たちも履行しません」——ハマスの交渉団メンバー、ガジ・ハマド氏はそう語った。この一文には、戦後処理という営みの本質がにじんでいる。誰かが武器を置き、誰かが軍を退く。だがその「誰か」を決める権利は、いったい誰の手にあるのか。
7月31日、パレスチナのイスラム主義組織ハマスは、ガザ地区での武装解除に関する合意に同意したと発表した。2023年10月の攻撃を引き金に始まった戦争は、2025年10月にいったん停戦の第1段階を迎え、人質と拘束者の交換が行われていた。今回の第2段階では、イスラエル軍の「段階的な撤退」と、イスラエルが関与しない形でのハマスの武装解除、そして国際部隊の展開がセットになっている。ドナルド・トランプ米大統領が1月に新設した「平和評議会」が実施の中心を担い、その下でパレスチナ人技術官僚組織「ガザ行政国家委員会(NCAG)」だけが武器の目録作成と保管の権限を持つ。さらに「国際安定化部隊」が新たなパレスチナ警察と協力し、治安を確保するという構想だ。
仕組みとしては筋が通っているように見える。だが、よく見ると奇妙な構造でもある。武装解除を決めるのはハマス自身だが、それを管理するのは米国主導の評議会であり、治安を担うのは構想段階の多国籍部隊だ。イスラエルは合意発表の時点で公には反応していない。ガジ・ハマド氏の警告——イスラエルが履行しなければ自分たちも履行しない——は、この合意が対等な当事者間の約束というより、外部が設計した枠組みに当事者が条件付きで乗っている状態であることを物語っている。停戦発効後もイスラエルはガザの60%以上を支配し続け、空爆も続いており、保健省によれば停戦発表以降だけで少なくとも1,214人のパレスチナ人が死亡している。「合意」という言葉の下で、現実の力関係はなお非対称なままだ。
この非対称性は、ガザに限った話ではない。同じ週、イラクではまったく別の角度から同じ問いが浮上した。米国とサウジアラビアが、イラク国内の親イラン武装組織に対して共同空爆を実施し、ハシュド・アル=シャアビによれば構成員20人が死亡、32人が負傷した。これに対し、イラク政府報道官ハイデル・アル=アブーディ氏は国営テレビで、政府は空爆について知らされておらず、いかなる攻撃も承認していないと明確に否定した。
ここで見過ごされがちなのは、この食い違いそのものが持つ意味だ。米国側は空爆を既に実施済みの既成事実として扱い、イラク政府は「承認していない」という言葉で自国の主権を守ろうとしている。同じ出来事について、一方は作戦の正当性を前提とした物語を語り、他方は侵害の物語を語る。戦後・紛争後の秩序維持において、外部の軍事力が「治安のため」と説明する行為が、当事国政府の目には主権の一方的な行使に映ることがある——この二つの言い分の間にある溝こそ、今回のテーマの核心だろう。
シリアの地雷原は、この問題をさらに別の角度から照らす。バッシャール・アル=アサド政権の崩壊から1年以上が経ち、政治的には「戦後」が語られ始めているが、地面の下ではまだ戦争が終わっていない。国内各地で地雷や不発弾による犠牲者はすでに4,000人を超えた。NGO「Elif」の責任者マルグリット・ドリロン氏は、「シリアでは500万人が完全に避難した状態にあり、その多くは自宅が地雷原になっているため帰還できません。まず地雷を除去しなければ、住民は家を再建して帰ることができません」と説明する。ダマスカス近郊の村では、16歳の少年がオリーブの木の近くで爆発物を見つけて命を落としたという証言もある。
復興とは、条約に署名したり評議会を設置したりする瞬間のことではなく、こうした一つ一つの地面を安全にしていく、地味で終わりの見えない作業の積み重ねなのだと、この報告は静かに教えてくれる。ところが、その作業を支えるはずの専門機材の輸入は、国際的な経済制裁によって滞っている。政治体制を罰するための制裁が、体制崩壊後に地雷原の中で暮らす市民の帰還を妨げているとすれば、そこにあるのはねじれとしか言いようがない構図だ。誰の主権を守るための制裁で、誰の安全が犠牲になっているのか。
こうした戦後処理のあり方を、フランスやEUはおおむね国際法と多国間枠組みを通じて正当化しようとする傾向がある。ガザの「国際安定化部隊」や「平和評議会」という発想も、単独国家による占領ではなく、複数国・複数機関が関与する統治モデルを志向している点では、その延長線上にあると見ることができる。ただし、これはあくまで枠組みの設計思想であり、現地の政治的正統性——つまり、その統治を住民自身がどう受け止めるか——を確保できるかどうかは、また別の課題として残る。
一般に日本は、憲法上の制約と非軍事支援の伝統から、戦後・紛争後の関与において資金協力や地雷除去支援、人材育成といった分野に重心を置いてきたとされることが多い。武力による治安維持の主体になるのではなく、シリアで報じられているような地雷除去や、住民への予防教育といった「土台をつくる」支援に比較優位を見出してきた、という見方もできるだろう。もしそうだとすれば、日本的な関与のあり方は、今回のガザやイラクの事例が示す「誰が武力を行使し、誰が承認するのか」という緊張そのものを回避する道を選んできた、とも言えるかもしれない。
一方の米国は、軍事力と外交力の双方を持つがゆえに、関与への期待も警戒も大きくなりやすい。米国主導で実施された空爆をイラク政府が否定した一件は、米国の意図と現地政府の受け止めがすれ違う典型例だろう。ガザの停戦の枠組みも同じ大統領のイニシアチブによって設計されており、政権が代われば、その枠組み自体の継続性が問われる可能性は十分にある。
ハマスによれば、合意の実施方法や日程は、エジプト、米国、カタール、トルコとの協議を経て、少なくとも2週間かけて詰められる見通しだという。カイロでの仲介国会合が近く開かれる予定だが、イスラエルがまだ公式に反応していない段階では、この2週間がそのまま平和への滑走路になるとは限らない。シリアの地雷除去も、制裁が解けない限り、必要な機材が届かないという状況が続くだろう。武装解除の合意文書や国際部隊の派遣計画は紙の上では整っていても、それを現地の人々が「自分たちの選択」として受け入れられるかどうかは、また別の時間軸で決まっていく。
秩序を取り戻すために外部の力を借りることと、その先の政治的未来を誰が決めるかということは、本来別の問題であるはずなのに、戦後処理の現場ではしばしば一つの合意文書の中に押し込められてしまう。ガザの武装解除条項も、イラクの空爆をめぐる食い違いも、シリアの地雷原も、突き詰めれば同じ問いを投げかけている——安全を保障する主体と、未来を選ぶ主体は、本当に一致しているだろうか。読者のあなたなら、この二つが引き裂かれたとき、どちらを優先すべきだと考えるだろうか。