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泳いで海岸に着いた4人と、あなたの名前がついた高速道路
国際・欧州

泳いで海岸に着いた4人と、あなたの名前がついた高速道路

2026/8/3

マリアはスペイン領セウタの海岸で、写真を一枚撮った。移民が4人、泳いで岸に上がってくる瞬間だった。「数分前まで海岸にいたのに」と彼女はfranceinfoに語っている。「食べ物も水もないまま、街をさまようことになります。どこで夜を過ごすのでしょうか」。この問いに、答えを持っている人は誰もいない。

セウタは、モロッコに囲まれたスペインの飛び地だ。人口8万4,000人、面積18.5平方キロメートルというその小さな街に、数日間で6万人を超える移民が押し寄せた。スペイン政府はほぼ全員がモロッコへ戻ったと説明しているが、住民のペドロは「危機が始まってから、今日が初めて外に出た日です」と振り返る。恐怖で家に閉じこもっていたのだという。彼が求めているのは単純だ。「モロッコがいつでも再び同じことを始められると分かっています。だから私たちセウタの住民は、国境の監視を強化するよう求めています」。スペイン当局は海上に浮体式の障壁を設置したが、住民の不安はほとんど和らいでいないと現地では伝えられている。

このニュースを読んで、ふと気になったことがある。同じ週、モロッコは南部と西サハラを結ぶ全長1,055キロの高速道路に「ドナルド・J・トランプ高速道路」という名前をつけていた。ムハンマド6世国王は、トランプ大統領が2020年にモロッコの西サハラに対する主権を認めたことへの謝意として、この命名を行ったと説明している。西サハラはサハラウィ独立派が領有権を主張する係争地だ。国王は書簡で、この道路が「アフリカ全土で最も長い道路インフラとなる」と誇らしげに述べ、トランプ氏はSNSで「何という大きな名誉でしょう」と喜びを投稿した。

セウタの海岸で泳ぐ4人と、係争地を貫く1,055キロの道路。一見すると無関係な二つの出来事だが、どちらもマドリードとラバトという同じ二国間関係の延長線上にある。国境や領土の扱いをめぐる決定は、王や大統領のあいだで交わされ、記念碑や道路の名前として刻まれる。その一方で、その決定が実際に及ぶ土地に暮らす人々――西サハラの帰属をめぐって声を上げられないサハラウィの人々や、セウタで恐怖のうちに家に閉じこもる住民――は、その決定の「対象」として扱われこそすれ、決定の当事者としては現れてこない。これは筆者の解釈だが、二つのニュースを並べて読むと、安全保障や領土主権をめぐる物語がしばしば「誰の名前がつくか」というレベルで語られ、「誰がそこで暮らしているか」というレベルでは語られにくいことが見えてくる。

同じ構図は、中東でも繰り返されている。トランプ大統領は、イランへの新たな攻撃を「イランと地域の他の国々からの要請」を理由に一時停止すると発表した。その条件として挙げられたのは、ホルムズ海峡の「完全かつ全面的な開放」と「イランの核の脅威の終結」だ。ここで語られているのは、航路の自由と核の脅威という、国家間の戦略計算である。米国は自国民に対しては中東からの退避を検討するよう勧告していたが、攻撃の標的に想定されていた石油精製所や発電所の周辺で日々を過ごす人々の安全そのものが、交渉の主語になっているわけではない。

レバノン南部の状況も同様だ。国連は、停戦下にもかかわらずイスラエルが続けている解体作業について「非常に憂慮すべき」と懸念を表明した。イスラエルは、ヒズボラの「テロトンネル」を破壊するためだと説明し、約700トンの爆薬を使用したという。爆発はユネスコの危機遺産リストに登録されたボーフォール要塞の近くで起き、レバノンのアウン大統領は「持続的な平和」への「直接的な脅威」だと非難した。国連が指摘したのは、この解体作業が「民間インフラ、文化遺産、そして地域社会の集合的記憶」に及ぼす影響だ。安全保障上の必要性が語られる一方で、そこに積み重なってきた暮らしや記憶は、後回しにされやすい。ウクライナがロシア国内の製油所や燃料施設、貨物船への攻撃を増やし、サラトフ州で2人が死亡したという出来事も、モスクワによる攻撃への対抗という文脈で語られはするが、亡くなった2人がどんな生活を送っていたかは、報道の主題にはならない。

フランスでは、こうした国境管理と人権保障の両立が、まさに政治の中心的な争点になりやすいと言われる。セウタのような周縁地域は地理的にも心理的にも「本国」から遠く、その負担が可視化されにくいまま政治問題化する構造があるからだ。日本の場合、海に囲まれているために大規模な陸路からの流入という経験は限られているとされるが、難民の受け入れや離島の安全保障をめぐっては、同じ種類の緊張――国家の防衛と、そこに関わる個人の権利をどう両立させるか――が形を変えて存在していると言えるだろう。米国は、国境管理を国内政治の激しい争点にする一方で、今回のホルムズ海峡のように、遠く離れた海峡の航行の自由には強く関与する。自国の国境と他国の海峡とで、安全保障の物差しが変わって見えるとしても不思議ではない。

これから先、資源や物流、領土をめぐる競争がやむ気配はないだろう。西サハラの高速道路も、セウタの国境も、ホルムズ海峡も、レバノン南部も、当分のあいだ交渉のテーブルに乗り続けるはずだ。だとすれば問われるのは、そうした安全保障の正当性が、そこに暮らす人々の保護や、移動する権利、被害を受けた人への救済をどこまで組み込めるか、ということではないか。高速道路には名前がつく。海峡の開放は条件になる。テロトンネルの破壊は発表される。では、泳いで岸に着いた4人の名前を、誰が覚えているだろうか。

国境を守る政策は、その場所に暮らす人を安全保障の対象ではなく主体として扱えているだろうか。あなたの住む街の近くに、もし同じような境界線が引かれていたら、と一度考えてみてほしい。

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