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「帰っていい」と言われた日、猫をキャリーケースに入れられなかった女性の話
社会・文化

「帰っていい」と言われた日、猫をキャリーケースに入れられなかった女性の話

2026/8/4

8月3日月曜日の朝7時半、ジロンド県ル・ポルジュ。退職者のエヴリーヌ・ドリビエは、まだ誰もいない道路脇に立っていた。公式の帰宅許可は14時からだったが、彼女はそれより6時間半も早く、自宅に近い場所まで来てしまっていた。「少し楽になりました。あれは地獄でした」。同じ頃、隣町コランではイザベルという女性が、避難していた自宅への帰宅を許可されながら、あえて戻らないことを選んでいた。「猫をキャリーケースに入れ、書類や衣服を持って帰宅しても、1時間後にまた避難させられないとは思えない」。

行政が出す「帰宅許可」という言葉と、当事者が抱く「帰る」という感覚のあいだには、思いのほか大きな距離がある。この夏、フランス南西部を襲った山火事の報道から見えてくるのは、まさにその距離の存在だ。

ジロンド県では、レージュ=カップ・フェレとル・ポルジュを中心に約22万4,000人が避難し、8月3日にはほぼ全員が帰宅を認められた。だが「認められた」ことと「戻れる」ことは同じではない。ル・ポルジュでは被災区域にあった240軒の住宅のうち183軒が全焼した。マルシャル・ザニネッティ市長は住民の「大きな安堵」を語りながらも、同時に「住宅の構造が損傷していないか確認すること」「風向きが変わったらマスクを着用すること」という注意喚起を欠かさなかった。フェロン地区とプレーヌ・ソレイユ地区では砲弾も見つかり、爆発物処理班が24時間から48時間かけて対応にあたっていた。安全宣言の裏側には、まだ終わっていない作業が積み重なっている。

ヴァール県のコランでは、より露骨な形でこの距離が現れていた。住民には帰宅許可が出ていたが、消防士約1,500人は依然として6,000ヘクタール以上を焼いた火災の再燃防止にあたっており、村の狩猟者シリルは「森林地帯の90%が焼けた。まだ何日も作業を続けることになる」と語っていた。行政上の「解除」と、現場の消防士が感じている「まだ終わっていない」という感覚が、同じ空間の中で共存していたのである。

「戻る」ことがトラウマになりうるという発想

この距離を制度としてどう埋めるか、という点でフランスの対応には興味深い層構造が見える。ル・ポルジュ市は、行政手続き・弁護士・保険といった実務面の支援と並行して、住民が経験した「トラウマに関する医療面の支援」を明確に用意していた。被災者支援部門の担当者ファニー・オダールは「戻ることは、確かにショックになり得ます。焼けた家を見ることがトラウマになる可能性があります」と述べている。ここで注目したいのは、心のケアが復興の「おまけ」ではなく、住居確保や保険手続きと同列の、独立した支援項目として位置づけられている点だ。安全が確認された家に戻ることと、その光景を精神的に受け止められることは、まったく別の作業だという理解がそこにはある。

そしてもうひとつ、フランスの復興観で見過ごせないのが時間軸の長さだ。ザニネッティ市長は、住居を失った住民への長期支援について「2年から3年という、年単位」になる見通しを示し、そのあいだ村にとどまりたい住民のために市営キャンプ場やトレーラーハウスを準備していると説明した。「帰れる」という言葉は、その日に鍵を開けられることではなく、数年がかりで生活の器を作り直す過程の出発点として語られている。

この長さを裏づけるのが、ジロンド県ランディラスの現在地だ。2022年に2万ヘクタール以上を焼いた火災から4年が経つが、住民のモルガン・リュセは今回の近隣の火災報道に触れ「炎、煙、避難、パニック……フラッシュバックのようでした」と振り返る。森は今も「灰色がかった粉末」に覆われた地平線のままで、技術サービス責任者ファブリス・リュセは「以前はここが森だった」と繰り返すしかない。住民たちは給水車や貯水槽、デジタル地図、秋に設置予定のサイレン、衛星電話といった装備を自らの手で整えてきたが、それは裏を返せば、4年経っても「もう安心だ」とは言い切れない土地に暮らしているということでもある。避難解除という行政上の終点は訪れても、記憶と警戒心の終点はなかなか訪れない。

復興を支えているのは行政だけではない。ギヨーム・カネやジョージ・クルーニーといった著名人たちの動きは、この「帰る」という過程にもうひとつの層があることを示している。カネがフランス赤十字などへの寄付を呼びかけた一方で、歌手のジェレミー・フレロやローラ・スメは、キャンセルが相次ぐ観光業への影響を懸念し、営業を続ける施設への訪問継続を呼びかけた。住居の再建や心のケアだけでなく、地域の経済——ホテルや商店が客を迎えられるかどうか——もまた、「戻れる」ことの一部として扱われている。ヴァール県に滞在していたクルーニー夫妻自身も避難を経験し、市長への手紙に「何が私たちの村に起きようとも、復興に貢献する決意です」と記した。著名人の関与は単なる話題づくりではなく、住居・心・雇用という三つの回復軸のうち、雇用と地域経済という軸を可視化する役割を担っているように見える。

こうした重層的な復興観を、日本の読者はどう受け止めるだろうか。日本でも避難指示の解除が生活再建のゴールを意味しないという経験は、一般に広く語られてきたことだと言われる。仮設住宅から恒久住宅への移行や、住民の帰還率が地域や世代によって分かれやすいという指摘も、しばしば耳にするところだ。フランスの事例と重ね合わせるなら、共通しているのは「解除」と「再建」が別の時間軸で進むという構造そのものであり、違いがあるとすれば、心理的支援や地域経済支援をどれだけ制度として独立に立て、誰が担い手になるかという配分のしかたなのかもしれない。米国についても、被災後にその土地に住み続けられるかどうかが保険の有無に大きく左右されやすいと一般には言われるが、今回のニュースからその具体像を確認することはできない。

秋に予定されるランディラスのサイレン設置や、ル・ポルジュの2〜3年にわたる住居支援計画は、これから先も報じられ続けるだろう。そのとき問われるのは、家が建ち直ったかどうかだけではなく、そこに住む人が煙を見ても怯えずにいられるか、地域の店に再び客が戻るか、という、数字では測りにくい回復のはずだ。

「帰宅できる」という行政の判断は、あなたにとって、生活を再び営めるという保証まで意味するだろうか。それとも、そこから始まる長い作業の、単なる合図に過ぎないのだろうか。

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