
干しブドウになったブドウと、外に出せない雌羊——気候変動はフランスの「原産地」をどこまで書き換えるか
2026/8/23
8月半ば、ソーヌ=エ=ロワール県のブドウ農家ティエリ・ジャナンは、収穫したブドウの房を手に取ってこう漏らした。「少しプルーンのような味がすると思います」。本来なら瑞々しいはずのブドウの粒は、干しブドウのように干からびていた。彼の畑では、1ヘクタール当たりの収量が2023年の56ヘクトリットルから、2024年に42、2025年に32へと下がり続け、2026年は「せめて20ヘクトリットルには届いてほしい」という水準まで落ち込んでいる。度重なる猛暑が「現象を本当に加速させた」と彼は語る。
同じ頃、南西部のミヨー高地では、AOPロックフォールの生産者ピエール・カサンが別の悩みを抱えていた。ロックフォールのチーズは、雌羊の飼料の75%以上を自社生産でまかない、外部からの購入は1頭あたり年間200kgまでという厳格な規定で守られている。しかし今夏、乾燥で牧草地が焼かれ、雌羊を外に出すことすら難しくなった。AOPロックフォールの総連盟は、外部飼料購入の上限を引き上げる例外措置を、原産地と品質の機関(INAO)に申請している。実はこの団体、2023年にも同様に上限を年400kgへ引き上げる要望を出しており、事務局長のアンソニー・ソリエ氏は「来年度も同様、あるいはより高い水準になる可能性がある」と話す。
干しブドウのようなブドウと、外に出せない雌羊。一見バラバラに見えるこの二つの出来事は、実は同じ問いにたどり着く。フランス各地の「土地の名前」を冠した産品——AOP(原産地呼称保護)——を支えてきた厳格な基準は、気候変動の前でどこまで曲げられるのか、という問いだ。
この夏、同じ構図はフランス各地で繰り返されている。オード県コルビエール地方では、干ばつと2025年8月の大規模火災が二重に襲いかかった。生産者ジャン=マリー・マルセルーは「このブドウはコリント種(干しブドウ用の小粒品種)のようだ。乾燥していて果汁がほとんど出ない」と話し、通常1万キロ収穫できる畑で5000キロしか採れなかった。協同組合セルリエ・デ・ドゥミゾレットでは畑の8割が火災で焼失し、責任者は「水がなければブドウも農業も成り立たない」と訴える。バスク地方では、AOPエスプレット唐辛子の生産者が同じ言葉を口にしていた。相次ぐ猛暑で唐辛子の株が病気に侵され、農場によっては6万株の3割が被害を受けた。生産者は4年前の208人から171人へと減少し、生産者パンピ・オライソラ氏は「このような年があると、生産者はさらに嫌気が差してしまう」と語る。彼らが今求めているのは、これまで認められてこなかった「かんがい」をAOPの生産基準書に加えることだ。さらに北のアルザスでは、ライン川の水位そのものが歴史的な低さとなり、船の積載量が通常の10%しか使えず、穀物の輸出コストが跳ね上がっている。
これらの事例に共通するのは、気候変動が農業の「量」だけでなく、「土地に固有のやり方で作る」という約束事そのものを揺さぶっている、という構造だろう。AOPは単なる品質保証マークではない。飼料の何%を自給するか、水をどこまで人為的に与えてよいか、収穫はいつからいつまでか——そうした細部の規定こそが、その土地でしか作れない理由を担保してきた。フランスでこの制度が特別な重みを持つのは、原産地呼称が食文化と農村の景観、そして生産者の生活を一体のものとして守る仕組みとして根づいてきたからだ、と言えるだろう。だからこそ、規定を緩めることは「その名前が意味してきたもの」への信頼を損ないかねない一方、規定を守り抜くことは生産者自身の廃業を早めかねない。ロックフォールの例外申請が「より頻繁になる傾向がある」とされ、カントゥールAOPも生産規則の改訂を進めていると報じられているのは、この矛盾が個別の産地の問題ではなく、フランス農政全体で繰り返し問われる構造になりつつあることを示している。
この緊張関係を、日本の読者はどう受け止めるだろうか。日本にも地理的表示(GI)制度や伝統的な特産品の保護は広がっているが、フランスのAOPほど、飼料の自給率や灌漑の可否といった生産方法の細部まで規定し、しかもその変更を国の機関が個別に審査するという仕組みは、一般に日常の食卓や地域の政治経済にここまで深く組み込まれてはいないと言われることが多い。フランスでは「この土地の水と草で育てた羊でなければロックフォールではない」という発想が、生産者の生活を守る法的な盾であると同時に、変化を許しにくい足かせにもなっている。この二面性こそが、フランスという国の農業観をよく表しているのではないか。
一方、アメリカでは品種改良や大規模灌漑といった市場主導の適応が進みやすいと一般に言われる。原産地の規定に縛られるよりも、技術や資本を投入して環境変化そのものに対応する発想が優先されやすい、という構図だ。もしその見立てが正しいなら、フランスの生産者たちが直面しているのは、単なる技術的な適応の遅れではなく、「土地との契約をどこまで書き換えてよいか」という、より根の深い制度的・文化的な選択なのだろう。
これから先、INAOのような認証機関が、いつ・どの産地に・どこまでの例外を認めるかが、フランスの食と農村の未来を左右する焦点になっていくとみられる。基準を硬直的に守れば、エスプレット唐辛子のように担い手が減り続け、産業そのものが消えかねない。かといって安易に緩め続ければ、その名前が保証してきた「らしさ」が薄れ、消費者の信頼を損なう恐れもある。アルザスの穀物のように、生産の現場だけでなく輸送というインフラの限界が新たな制約として浮上している点も見逃せない。気候変動は、畑の中だけでなく、収穫物を運ぶ川の水位にまで及んでいるのだ。
最後に、一つ問いを残しておきたい。伝統の価値を守るとは、過去の作り方をそのまま固定し続けることだろうか。それとも、生産者がその土地で暮らし続けられる条件を守ることだろうか。ロックフォールの雌羊もエスプレットの唐辛子も、答えを出すのはまだこれからだ。あなたなら、どちらに「本物らしさ」を見出すだろうか。