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介護施設の「欠勤率」が公開される国で、家族はもう「良い施設探し」をしなくていいのか
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介護施設の「欠勤率」が公開される国で、家族はもう「良い施設探し」をしなくていいのか

2026/8/10

85歳のニノ=アンヌ・デュピュイさんは、かつてオルレアン市の副市長を務めた人物だ。昨年7月、出血のため救急外来に運ばれた彼女は、そのままストレッチャーの上で6日間、5晩を過ごすことになった。入院先が見つからなかったからだ。最終的に彼女は、医師の勧告に反して退院する旨の免責書類に署名し、自宅に戻った。地元メディアの取材に対し、彼女はその経験を「到底許されない」「地獄」だったと語っている。

一人の高齢女性が救急外来のストレッチャーに6日間放置された出来事と、介護施設の職員配置率が官報に公表されることになったニュース。この二つは、一見すると別の話に見えるかもしれない。しかし並べてみると、同じ問いが浮かび上がってくる。高齢者へのケアが足りているかどうかを、私たちは家族の証言や偶然のメディア報道でしか知ることができないのか、それとも数字として検証できる仕組みがあるのか、という問いだ。

フランスでは8月9日、要介護高齢者向け施設(EHPAD)に関する新しい政令が官報に掲載された。これにより、施設は毎年、職員配置率、職員の欠勤率、そして職員の入れ替わり率という3つの指標を、全国自立連帯金庫(CNSA)に提出しなければならなくなる。CNSAはこれらの数字を、利用者向けの情報サイトを通じて一般に公開する。2024年4月に成立した高齢化・自立支援に関する法律の規定を実施するものだという。

入居者家族の団体「EHPAD入居者家族」の副会長アニー・ルソー氏は、この動きを「透明性を高められることはすべて、必ず良い知らせ」だと歓迎した。彼女自身、親をEHPADに入れる立場になるまで、思いも寄らないことがたくさんあったと振り返る。特に職員の「ターンオーバー」――つまり入れ替わりの激しさ――は、施設の健全性を映す鏡のようなものだと彼女は言う。人が次々と辞めていく職場で、行き届いたケアが続くとは考えにくい。数字を見れば、そこで働く人々がどれだけ定着しているか、逆に言えばどれだけ疲弊しているかが、家族にも見えるようになる。

この政令が公表される数日前、政府が委嘱した専門家グループが、フランスの医療制度と高齢化の間にある「不整合」について警鐘を鳴らしていた。2030年にはフランス人の4人に1人が65歳を超え、2050年には3人に1人に達する見通しだという。専門家の報告書は、老人医療部門やEHPADで35万床の追加が必要になる可能性にまで言及している。つまり、透明性の強化は単に「良い施設を見分けるための情報公開」ではなく、社会全体でケアの資源がどれだけ足りていないかを可視化する試みでもある、と読むことができる。

そう考えると、デュピュイさんの6日間は、個々の病院の失敗というより、この不整合が救急の現場で表面化した一例だったのかもしれない。サントル=ヴァル・ド・ロワール地域保健庁は、オルレアン大学病院に「徹底した経験の検証」を求め、なぜより短期間で入院先を確保できなかったのかを分析するよう要請した。病院側も「救急外来の後段にある入院能力へのひっ迫」を認め、9月から11月にかけて42床を再開し、職員も増やす計画を発表している。ここで注目したいのは、病院が単に謝罪して終わらせるのではなく、地域保健庁という公的機関が検証を要求し、病院側が具体的な病床数と時期を示して応答したという構図だ。個人の不運として処理されず、制度の問題として扱われている。

この一連の動きは、フランスにおいて高齢者ケアが「家族が頑張って良い施設を探す」という個人的な努力の問題ではなく、検証可能な公共サービスとして扱われるべきだという理念を反映しているように見える。EHPADの職員配置率や離職率が国の機関を通じて公開されるという仕組みは、施設選びを家族の勘や口コミに委ねず、数字という共通の物差しで比較できるようにする試みだ。この背景には、公的な社会保障制度によって高齢者ケアを支えるという、フランス社会に根強い考え方があるのだろう。

では日本ではどうだろうか。日本にも介護施設の情報公開の仕組みは存在する。ただ、フランスの今回の政令が象徴するように、職員の欠勤率や離職率といった「ケアの持続可能性」を直接示す指標まで、家族が当たり前に参照できる状況にあるかというと、地域差が大きいというのが実情に近いだろう。また、日本では家族介護への依存度がなお高いと一般に言われる。良い施設を見つけること自体が家族の努力に委ねられがちだとすれば、それはフランスが今まさに変えようとしている構図と重なって見える。

アメリカに目を向ければ、事情はさらに異なる基盤の上にある。介護は民間施設や保険、そして本人や家族の所得によって左右される部分が大きいと一般に言われており、アクセスの格差がより明瞭に現れやすい社会構造だとされる。フランスのように、国の機関が全施設に共通の指標提出を義務づけ、一律に公開するという発想は、公的医療・介護制度の位置づけそのものが異なるアメリカでは、同じ形では成立しにくいのかもしれない。この違いは、単なる制度の巧拙ではなく、ケアを「誰の責任」と考えるかという国家観の違いを映しているように思える。

もっとも、フランスの仕組みが理念通りに機能するかは、これからの運用次第だろう。指標を公表しても、そもそも人手を確保できなければ配置率は改善しない。専門家グループが指摘した35万床という数字の大きさを踏まえれば、透明性の向上は診断書を精緻にすることはできても、治療薬そのものにはならない。オルレアン大学病院が9月から11月にかけて示した42床の再開計画が、他の病院や施設にどこまで波及するのか、そしてEHPADの離職率が公表された後、実際に人材確保への圧力として機能するのか。今後の運用を見ていく必要がある。

家族が「良い施設を探す」ために奔走しなくても、尊厳あるケアにたどり着ける制度は、どこまで実現しているだろうか。デュピュイさんが経験した6日間と、これから公開されるEHPADの数字を並べて眺めるとき、私たちが暮らす社会は、高齢者のケアをどこまで「検証できる公共サービス」として引き受けているだろうか。

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