
気温は誰のせいでもない、では誰が支える責任を負うのか
2026/8/11
27歳のレミは、映画業界で働いている。この夏、彼はこう自問するようになった。「私たちは、両親が人生を終えたように、自分たちの人生を終えることができるのでしょうか」。6月の記録的な熱波以降、相次ぐ猛暑に強い衝撃を受け、「何をすればいいのか分からない日々」を過ごしたという。仕事にすら意味を見いだせなくなった、と彼はfranceinfoに語っている。28歳の弁護士マリーも同じ思いを抱えている。デモをしても状況は年々悪化する一方だと感じ、涼しい地域への移住や、子どもを持たない選択まで検討し始めた。「30度や50度の気温の下で、子どもたちが焼かれるような思いをするのは嫌なのです」。
この二人の言葉は、単なる個人的な悩みの吐露ではない。フランスでは今、猛暑や山火事という物理的な災害の背後に、もうひとつの見えにくい災害——不安そのもの——が広がりつつあり、それをどう社会的に扱うかという問いが立ち上がっている。心理学者ピエール=エリック・シュッターが設立した「エコ不安観測所」によれば、フランスで「強いエコ不安」を抱える人は2024年の200万人から、今年は300万人に増えたという。症状はまず睡眠障害として現れ、重い場合はうつ病や希死念慮に至ることもあり、精神科医療機関に入院した患者の例もあったとシュッターは明かしている。だからこそ彼は、まだこの問題に十分習熟していない医師や心理士の訓練が急務だと強調する。
この夏のフランスを理解するには、まず言葉の使い分けを知る必要がある。フランスでは「暑さのピーク」「熱波」「酷暑」が、それぞれ異なる基準で区別されている。暑さのピークは24〜48時間ほどの短い高温期。熱波は、1947年に作られた全国熱指標——国内30カ所の観測所で測る24時間平均気温——が1日25.3度以上、かつ3日以上23.4度以上を保つことで認定される、より厳密な統計上の現象だ。そして酷暑は、県単位で健康リスクを基準に判断される、行政的な警戒区分である。8月10日には22県にオレンジ警報が出され、これは今年4回目の酷暑現象であり、熱波としては3回目にあたる。1947年以降に記録された熱波54回のうち、3分の2が21世紀に入ってから発生しているという事実は、この区分の細かさが単なる気象学者の几帳面さではなく、頻発する災害に行政が追いつこうとする努力の跡だということを物語っている。
この分類の裏側で、フランス公衆衛生機関(Santé publique France)は「CaniculePrev」という調査を始めた。18歳以上2,000人を対象にしたオンライン調査で、熱波が身体的・精神的健康や幸福感にどう影響するかを測定し、住宅内の温度管理や水分補給といった予防行動の実態を、緊急受診に至る手前の段階から把握しようとしている。初回結果は10月、最終結果は年内に公表され、以後は毎年更新される予定だという。政府はまた「Canicule info service」という無料電話窓口(0800 06 66 66、9時〜19時)を設け、緊急性がない場合はまずかかりつけ医に相談し、判断に迷えば15番に連絡するよう案内している。
ここで見過ごされがちなのは、この調査も電話窓口も、「暑さに気をつけましょう」という啓発にとどまらない設計思想を持っている点だ。CaniculePrevが測ろうとしているのは、個人が対策を怠ったかどうかではなく、社会人口統計的な特徴——つまりどのような属性の人がどれだけ脆弱かという構造——である。言い換えれば、猛暑による健康被害を「備えなかった個人の失敗」としてではなく、「公衆衛生政策が対応すべき格差」として扱おうとしているのだ。この視点の置き方こそ、今回のニュース群を貫く軸だと私は考える。
もっとも、この公的ケアの発想は、火災の現場では別の緊張を生んでいる。ジロンド県サウモスの市長ディディエ・ショータールは、7月22日から4万2千ヘクタールを焼き、22万人を避難させた火災の後、マクロン大統領に宛てた公開書簡で、「自然の秩序を取り戻す警鐘に耳を傾け、地方の選出者の声を聞く」よう求めた。彼が批判したのは、現場の実情から遠く離れた場所で急いで決定される規範の増加であり、干ばつ、水資源の不足、土壌保全、生物多様性といった脆弱性の根本原因を、地域住民とともに検討する「真の戦略」の不在だった。ロゼール県マスグロ・コース・ゴルジュでも153ヘクタールが焼け、2集落約15人が避難したが、夜には帰宅できている。同時期、ドローム県の火災は約400ヘクタールに拡大し、8月11日には森林火災の危険度「高」の対象が32県にまで広がった。
この市長の訴えが示しているのは、公共のケアが「国が個人を助ける」という単線的な構図では成り立たないという現実だ。国家が規範を作り、地方がそれに従うという上意下達ではなく、現場の農業従事者や住民の知見をどう政策に組み込むかという、もう一段複雑な統治の課題がそこにはある。上院がジロンド県の2022年の火災後に70項目の提言をまとめ、2023年に予防・消火強化法を成立させた経緯や、今回の火災を受けて上院の4委員会が人的・物的資源や環境・経済・予算面の影響を検討し始めたことは、フランスがこの種の災害を一度きりの天災ではなく、繰り返し検証すべき制度設計の対象として扱っていることを示している。
環境派上院議員デルフィーヌ・バトが、干ばつと熱波と火災が続く中で「首相や閣僚が休暇中であることが理解できない」と述べたことも、同じ問いの延長線上にある。誰が、いつ、どのような立場で災害に向き合うべきかという感覚が、政治家と市民の間で揺れているのだ。
こうしたフランスの姿勢を、日本の読者はどう見るだろうか。日本にも熱中症警戒情報や避難制度は存在するが、一般には、対策の実行主体が企業や学校、家族といった単位に委ねられがちだと言われることが多い。フランスのCaniculePrevのように、国が主体となって「不安」や「心理的負荷」までを公衆衛生の指標として測定し、政策改善のデータにするという発想は、比較すると際立って見える。もちろん、これはニュースに現れた範囲での対比であり、日本の制度全体を評価するものではない。ただ、エコ不安という言葉が示す領域——将来設計や子どもを持つかどうかという人生選択にまで及ぶ不安——を、フランスが公衆衛生や政治の議題として正面から扱い始めていることは、少なくとも一つの態度表明として受け止められる。
米国については、今回のニュースの中に具体的な言及はない。ただ、災害対応が保険制度や自治体財政の違いによって左右されやすいと一般に語られる社会では、フランスのように国家が調査と電話相談窓口を一体で設計し、毎年データを更新し続けるという発想そのものが、また別の意味を持つはずだ。誰が調査し、誰が費用を負担し、誰が結果に責任を持つのか——その設計次第で、同じ猛暑でも社会の受け止め方はまったく違うものになる。
CaniculePrevの初回結果が公表される10月、フランスはこの夏の不安と被害を数字として直視することになる。その数字が、脆弱な人々への予防メッセージの改善につながるのか、それとも一時的な調査で終わるのか。サウモス市長が求めた「現場の声を聴く政策形成」が実現するのかも、まだ見えていない。ただ、レミやマリーが語った不安は、統計に還元しきれない生々しさを持っている。仕事の意味を問い直し、子どもを持つことをためらう感覚を、社会は「気の持ちよう」として個人に返すのか、それとも医療や政策が受け止めるべき損害として認めるのか。
猛暑や火災によって生じる不安や予定変更の負担——キャンセルされた夏祭り、延期された農作業、変更を強いられた人生設計——まで、私たちは公共的に支えるべきだろうか。それとも、それは最終的に個人が背負うしかないものなのだろうか。