
「80%で乗り換えてください」——高速道路の充電待ちが教えてくれる、自由の値段
2026/8/16
ドローム県、A7号線サン=ランベール=ダルボンのサービスエリア。青いベストを着た係員ジェローム・デュボワさんが、充電器の前に並ぶ電気自動車のドライバーに声をかけている。「10%から80%まで充電する時間と、80%から100%まで充電する時間は、ほぼ同じです。80%で止めれば、ほかのドライバーのために場所を空けられます」。冗談めかして彼はこう続けた。「まだ精肉店のような状態ではありませんが、いずれそうする必要が出てくるかもしれません」。整理券を配る肉屋のたとえは笑い話のようでいて、実によく効いている。バカンスの高速道路が、いつの間にか行列整理の技術を必要とする場所になっているのだ。
8月15日土曜日、フランスでは「シャッセ・クロワゼ」と呼ばれる、夏休みの出発組と帰路組がすれ違う恒例の混雑日を迎えていた。正午前の時点で、パリ首都圏を除く全国の渋滞総延長は712キロに達し、リヨンとマルセイユを結ぶA7は「太陽の高速道路」の異名にふさわしく大渋滞となった。リヨン南部からオランジュまでは通常1時間35分のところ2時間10分、トゥールーズからナルボンヌ方面は通常の倍の所要時間を要した。ここに、電気自動車の充電待ちという新しい変数が加わった。ヴィンシ・ネットワークでの充電回数は2025年に前年比50%増加し、充電待ちは最長20分に及んだという。渋滞と充電待ちが重なり合う様子を、あるドライバーは「みんな途方もなく時間を失っている」と言い表した。
ここまでは、休暇シーズンの高速道路という、ある意味で予想通りの話だ。ところが同じ週、タイのサムイ島沖では、水上バイクを借りたフランス人の父親と息子2人が転覆事故に遭い、16時間以上海上を漂流していた。3人を救ったのは救助隊の巡回ではなく、貸し出し業者が「帰りが遅い」と気づき通報したことだった。父親と5歳・7歳の息子たちは、大量の海水を飲みながらも金曜の午前に発見され、病院で診察後まもなく退院した。さらにポルトガルでは、自転車一周レースの第8ステージ中、19歳の英国人選手フィンレー・ターリングが、レースとは無関係の車両にはねられて死亡し、レースはニュートライズされ、表彰式は中止された。そしてフランス本土の交通事故統計では、7月の死者数が前年同月比7%減の310人だった一方、直近12カ月でみれば死者数はむしろ3%増えている。
一見、これらはバラバラの出来事に見える。高速道路の充電渋滞、休暇シーズンの交通渋滞、タイの海での漂流事故、ポルトガルの自転車レースでの死亡事故、フランスの交通事故統計。だが並べてみると、共通して浮かび上がってくるのは「移動する自由」というものが、決して個人だけで完結していないという事実だ。
移動は、しばしば「自分の意思でどこへでも行ける権利」として語られる。しかし今回並んだニュースが示すのは、その自由の裏側に常に誰かの労働と誰かの投資が張り付いているという構造だ。A7号線の充電待ちを整理しているのは、企業が配置した係員である。712キロの渋滞情報を計測し発表しているのは、交通情報機関ビゾン・フュテと、道路を管理するヴィンシのような事業者だ。タイ沖の漂流者を救ったのは、公的な巡回ではなく、レンタル業者という民間の見守りの目だった。ポルトガルの事故は、レースという管理された移動の枠組みの中に、無関係な一台の車が入り込んだことで起きている。移動の自由が「自由」として成立するためには、それを支える誰かの注意、誰かの投資、誰かの通報が、常にどこかで働いていなければならない。
フランスにおいて、この夏の高速道路の混雑は単なる迷惑な出来事ではなく、一種の国民的な儀式のようなところがある。「シャッセ・クロワゼ」という言葉自体、出発組と帰路組が入れ替わる様子を指す独特の表現で、毎年この時期のニュースで繰り返し使われる。高速道路が民間企業によって運営されていながら、渋滞情報は国の交通安全当局によって公表され、フランス運輸省が2035年までに充電器を5倍にする方針を打ち出す。つまり道路そのものは民間の資産でありながら、その利用状況と安全性は公共の関心事として扱われている。この官民の入り組んだ関係こそが、フランス的な「移動の自由」を支える骨格だと言えるだろう。
日本では、都市部を中心に鉄道が移動の基盤として強く機能していると一般に言われることが多い。その一方で、地方では自動車への依存が根強く、充電インフラや公共交通の整備状況に地域差があるとされることも少なくない。フランスの高速道路で起きている充電待ちの光景は、電気自動車への移行が進むほど、都市と地方、幹線道路と支線道路のあいだで、同じような「整備の追いつかなさ」が形を変えて現れる可能性を示唆しているように思える。もっとも、これはあくまで今回のニュースから読み取れる示唆であり、日本の具体的な状況を裏付けるデータがここにあるわけではない。
フランス運輸省が掲げる「2035年までに充電器を5倍」という方針は、脱炭素化した移動網への転換を象徴する数字だ。しかしこの数字の裏には、誰がその充電器を設置し、誰が保守し、誰が渋滞時に整理券を配るのかという、労働と費用の配分の問題が控えている。青いベストの係員は、いわば移行期の摩擦を人の手で吸収している存在だ。充電器が5倍になったとして、その負荷を支える人員や工事現場の安全までもが同じペースで整うとは限らない。交通事故死者数が7月は減ったのに直近12カ月では増えているという数字が示すように、短期の改善は必ずしも長期の趨勢を打ち消さない。移動網の転換とは、便利さが増える裏で、どこかの現場の負担が増減を繰り返しながら続いていく過程なのだろう。
私たちが「速く、自由に」移動できるとき、その背後には道路を敷いた人、充電器を整備する人、渋滞を捌く係員、遭難者を探す業者、レースの安全を管理する運営者がいる。今回のニュースが教えてくれるのは、その負担が国や制度によって異なる形で分配されているという当たり前で、しかし普段は見えにくい事実だ。あなたが次に高速道路や海や自転車道で「自由に移動している」と感じるとき、その自由を陰で支えているのは誰の労働で、どこの投資なのか。一度、想像してみる価値はないだろうか。