
エナン=ボーモンの演説室で線引きされた「フランス人」という言葉
2026/9/14
9月13日、日曜日の午後2時半。パ=ド=カレー県エナン=ボーモンの会場に集まった聴衆を前に、マリーヌ・ルペンは1時間弱の演説を始めた。「住宅は皆さんにとって重要な問題です。だから私にとっても重要な問題です」。前日までル・トゥケで党所属議員と非公開協議を重ねていた彼女は、2027年大統領選に向けて、住宅政策を自身の「5年間の任期における大きな課題の一つ」に据えると宣言した。
演説の骨格自体は、どこの国でも聞き覚えのあるものだ。建設規制の緩和、土地の人工化をゼロにする「ZAN」制度の廃止、オフィスの住宅転用、エネルギー性能診断(DPE)に基づく制約の撤廃、そして改修や電化のための無利子融資「100%Renov」。供給を増やし、所有を後押しする——これだけなら、住宅不足に悩む国の政治家がどこでも掲げそうな処方箋である。
しかし演説はそこで終わらなかった。「社会住宅への入居ではフランス人を優先し、住宅手当であるAPLの給付もフランス人に限定しなければならない」。「学生向け住宅への入居でもフランス人の若者を優先する制度を導入すべきだ」。さらに、2000年に制定され自治体に一定数の社会住宅確保を義務づけてきたSRU法の廃止、そして「問題行動をする家族」を3年間HLM(公営住宅)から排除する案まで示された。住宅という生活基盤を、誰にどう配分するかという問いに、彼女は「国籍」という一本の線を引いてみせたのである。
ここで見過ごされがちなのは、この演説が単独の政策論ではなく、既に緊張をはらんだ政治状況の中で行われたという点だ。同じ週末、党のナンバー2であるジョルダン・バルデラは、英国のナイジェル・ファラージと象徴的な協定に署名し、共和党のブリュノ・ルタイヨーから「ジャンヌ・ダルクを名乗りながら英国側に売り込んでいる」と皮肉られていた。RN内部の足並みが完全に揃っているわけではない中で、ルペンは住宅という誰もが実感を持てるテーマを選び、党の求心力を「国民優先」という一点に収束させようとしたように見える——これはあくまで報道された事実の並びから読み取れる解釈であり、党内の意図そのものが明言されているわけではない。
一方、同じ週末にパリ近郊エソンヌ県で開かれたユマニテ祭では、左派候補ジャン=リュック・メランションが約1時間半の演説で、まったく違う切り口から「生活が苦しい」という同じ現実に応答していた。彼が敵として名指ししたのは移民でも社会住宅の入居者でもなく、大企業の「差益」だった。「物価上昇を引き起こしているのは、この差益であり、それはある者が別の者に下す階級的な決定だ」。彼が提案したのは物価と差益の凍結、賃金の物価連動制、そして社会的・環境的緊急事態の宣言制度である。生活基盤の逼迫という同じ土壌から、一方は「誰が優先されるべきか」という所属の線引きを、もう一方は「誰が利益を得すぎているか」という分配の線引きを引き出した。この対比自体が、2027年に向けたフランス政治の座標軸を暗示しているように思える。
住宅という資源の配分をめぐる線引きは、実は住まいだけの話ではない。同じ時期、フランスの週刊誌は今夏の熱波と干ばつを受けて、食料主権という別の生活基盤の危うさを論じていた。農業最大労組のFNSEAは水の大規模貯蔵を求め、対するConfédération paysanneは「集約型農業のモデルそのものを問い直さないまま、貯めるために貯めても意味はない」と反論する。誰のために、どんな仕組みで水を確保するのか——住宅をめぐる「国籍か公共性か」という問いと、農業をめぐる「貯めるか変えるか」という問いは、根っこのところで同じ緊張を共有している。生活に不可欠な資源が足りなくなったとき、社会は何を基準に優先順位を決めるのか、という問いだ。
この構図を日本から眺めると、輪郭がやや違って見える。日本では、住宅政策を国籍という言葉で正面から語る政治家は目立たない。社会住宅の入居資格を「日本人優先」と公言する政党は、少なくとも大きな政治的争点にはなっていない。ただし、これは制度が中立だからというより、そもそも住宅供給の公共性への依存度や、移民受け入れをめぐる政治的争点化のあり方がフランスと異なるためだと考えられる。実際には、外国籍の住民が民間の賃貸市場で入居を断られる、あるいは地域の公共サービスへのアクセスで壁に直面するといった課題が、一般に指摘されることが多い。国籍による線引きが政策として明文化されるか、慣行として静かに存在するかの違いであって、線引きそのものが消えているわけではない——ここは私の解釈だが、そう考える余地はある。
アメリカについて、今回のニュースの中に住宅政策そのものを詳述する材料はない。ただ、テクノロジー業界の富裕層が長寿研究に多額の投資を行い、「このビジネスが最も発展しているのは米国」だとフランスの週刊誌が指摘していた事実は、間接的に一つの示唆を与える。フランスの最も貧しい層と最も裕福な層の間には平均寿命で最大13年の差があるとされ、健康という生活基盤へのアクセスもまた、所得によって静かに分配されているという構図だ。住宅を国籍で、健康を所得で、そして食料を農業モデルの選択で——生活の土台をめぐる資源配分の線引きは、切り口を変えながら形を変えて現れ続けている。
この問題がさらに複雑なのは、フランスが単独の国家として住宅や福祉の境界を引けるわけではないという点だ。欧州評議会が創設した欧州移民ネットワークは、加盟各国に36の連絡窓口を置き、移民・庇護の専門家をつなぐ実務的な調整を続けている。フランスの窓口を務めるクリステル・カポラリ=プティ氏の存在は目立たないニュースだが、移動の自由を掲げるEUの枠組みと、各国が国内向けに引く「国民優先」の境界線が、常に摩擦を起こしうることを思い出させる。国境の中でどれだけ強い線を引いても、その外側には欧州という別の秩序が横たわっている。
10月25日、RNはロワレ県オルレアンで党大会を開く予定だ。住宅政策がそこでどこまで具体化されるか、そしてバルデラとの緊張がどう推移するかは、今後の焦点になるだろう。同時に、メランションが提示した物価凍結という対抗軸が、どこまで有権者の支持を集めるかも見えてこない。いずれにせよ、2027年の選挙戦は「足りない生活基盤を、誰にどう配分するか」という問いを軸に展開していきそうだ。
住まいを得る資格は、国籍によって決められるべきなのか、それとも、その地域で実際に暮らす必要によって決められるべきなのか。あなたなら、この線をどこに引くだろうか。