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「あなたのための」判断が、あなたの声を奪うとき――フランスが突きつける自己決定の問い
editorial

「あなたのための」判断が、あなたの声を奪うとき――フランスが突きつける自己決定の問い

2026/7/20


医師が「決める」社会と、本人が「選ぶ」社会

婦人科の診察室で、医師が説明なく体内に器具を挿入する。そして、中絶や外国人の権利に消極的な政治家が、あらゆる人々の「権利の守護者」に指名されようとしている。

一見バラバラに見える三つのニュースが、フランスで報じられた。共通項は一つだ。身体と人生をめぐる決断を、本人以外の誰かがどこまで引き受けてよいのか――という問いである。

この問いは、フランスだけの話ではない。日本でも、アメリカでも、そして私たちの診察室や病院のベッドの上でも、静かに問われ続けている。


三つのニュースが浮かび上がらせるもの

2025年7月、フランスで起きたことを整理しよう。

まず、「死への援助」に関する法律をめぐり、SNS上では手続き開始のハードルを著しく低く見せる言説が広がった。フランスアンフォの検証記事によれば、こうした主張は法律の内容を歪めている。実際には、書面による正式な申請、複数の厳格な医療条件の充足、多職種委員会による審査、そして最終段階に至るまでの撤回権が明記されていると報じられている。

次に、産婦人科における同意の問題だ。フランスの団体StopVOGが公表した報告書によれば、1万152人の回答者のうち8割以上が、婦人科検査の際に少なくとも一度は同意を侵害されたと回答したと報じられている。45%が診察中に暴力を経験したと答え、「医師が器具を挿入する前に同意を求めなかった」「痛みを訴えても検査を続けられた」という証言が多数記録されたと報告書は示している。この報告書自体は任意参加調査であり、フランス全体の診療を代表するものではないと明記されているが、それでも数字の重さは否定しがたい。

そして三つ目が、「権利擁護官(Défenseur des droits)」をめぐる政治的論争だ。マクロン大統領が後任候補として指名したのは、共和党上院議員のフランソワ=ノエル・ビュフェ氏だったとフランスアンテルが報じた。プランニング・ファミリアルの会長サラ・デュロシェ氏は、ビュフェ氏が「外国人の権利に反対し、中絶については棄権し、LGBTQIA+の権利にも反対してきた」と批判し、この人選を「挑発行為」と表現したと伝えられている。ビュフェ氏自身は「完全な独立性」を約束し、「考えが変わった」と説明しているという。


歴史的背景:フランスにおける「権利の制度化」の道のり

フランスで自己決定が制度として形成されてきた背景には、長い政治的闘争の歴史がある。

中絶の権利については、1975年のヴェイユ法によって当時の条件のもとで法的な枠組みが整えられ、その後も改正を重ねながら権利として確立されてきた。2024年には憲法に「女性の中絶の自由」が明記されたことも広く報じられている。尊厳死については、2005年以降の複数の法律を経て段階的に議論が積み重ねられてきたとされており、「死への援助」をめぐる議論はその延長線上にある。

権利擁護官という制度も、市民が国家機関との関係で不当な扱いを受けたとき、独立した第三者に救済を求められるための仕組みとして機能してきた。だからこそ、その長の人選が「誰の権利を守るつもりなのか」という問いと直結する。

フランスでは、権利は法律に書かれていれば自動的に実現するとは考えられていない。説明、同意、不服申し立て、独立した監督機関――これらすべてが揃って初めて、権利は「使えるもの」になるという発想が根底にある。


文化的・政治的構造の深掘り:「専門家の判断」と「本人の意思」の緊張

今回の三つのニュースが共鳴するのは、すべてが「専門家・国家・制度」対「本人の声」という軸の上に載っているからだ。

尊厳死法に関して言えば、議論の中心にあるのは「誰が条件を判断するのか」という問いだ。法律は複数の厳格な条件を設けており、患者は最終段階まで撤回できると定めているとフランスアンフォは伝えている。これは一見、本人の意思を手厚く守る仕組みに見える。だが同時に、「専門職による審査を通過しなければ選択できない」という構造でもある。医療者が「条件を満たさない」と判断すれば、本人がどれだけ望んでも手続きは始まらない。自己決定と専門家判断のあいだで、どこに線を引くか。この問いは、法律の施行後に具体的な形で現れてくると考えられる。

婦人科の問題はさらに根深い。StopVOGの報告書が示した数字が仮に方向性として正しいとすれば、問題の核心は「医師が悪意を持っていた」ということ以上に、「説明や同意の確認が文化的習慣として根付いていない」という構造的問題かもしれない。デュロシェ氏が「権利から遠ざけられている人々」と表現したように、制度の上では権利が保障されていても、診察室の中では別の力学が働いている可能性がある。

権利擁護官の人選問題は、まさにこの「制度と現実の乖離」を埋める機関をめぐる争いだ。デュロシェ氏が指摘したように、権利擁護官は「アクセスに関する現実の困難について警鐘を鳴らすために不可欠」な存在であるとされている。誰がその役割を担うかは、制度の名称ではなく実質を決定する。


各国の視点:「自己決定」の文化的重さの違い

日本の文脈で考えると、この問いはより複雑な様相を呈すると考えられる。終末期医療の法整備や、患者本人の意思が医療判断にどこまで反映されるかについては、専門家のあいだでも議論が続いており、「本人が望んでいた」という意思が書面として可視化されていないと実際の判断に反映されにくいという指摘も聞かれる。婦人科での同意確認についても、文化的に「医師の判断に従う」という規範が強い社会では、StopVOGのような形で経験を証言し、制度改革につなげるプロセス自体がまだ根付きにくいとも言えるかもしれない。

アメリカに目を向けると、生殖に関する権利は2022年の連邦最高裁判決以降、居住する州によって大きく異なることが知られており、自己決定の範囲が地理的条件によって左右される構造が生まれているとされる。権利を「認める」か「禁じる」かを州ごとに決める仕組みは、自己決定を個人の問題として扱う一方で、そのアクセスを極めて不平等なものにしているとも言えるだろう。

欧州的な発想は、おそらくこれとは異なる。権利は「宣言」だけでは成立せず、それを支える制度的インフラ――独立した監督機関、医療者への義務的研修、不服申し立ての経路――が揃って初めて実質的な権利になるという考え方が、フランスの制度設計の根底にあると考えられる。


未来予測:「代行」と「代弁」の境界線はどこへ

AI診療や遠隔医療の普及、高齢化、生殖補助医療の進展は、この問いをさらに複雑にしていく可能性が高い。

たとえばAIが病状を診断し、治療の選択肢を提示するとき、「本人の意思の確認」はどこで、誰によって行われるのか。遠隔診療では、患者が「言いにくいこと」を伝える文脈が変わりうる。高齢化が進む社会では、意思表示能力が低下した患者の「代弁者」をどう制度化するかが急務になる。

フランスの尊厳死法が「最終段階まで撤回できる」と明記したことは、一見当然のようで、実は重要な設計思想を示していると考えられる。手続きが進むほど「やっぱりやめる」と言いにくくなる心理的圧力をあらかじめ意識し、制度に埋め込んでいるとも読める。

同様に、StopVOGの活動は、単なる倫理研修の話ではなく、「同意を確認する習慣」そのものをプロフェッションの文化に定着させる試みとして位置づけられるだろう。

権利擁護官の独立性をめぐる議論は、「制度の番人は誰がふさわしいか」という問いを超えて、「権利を使いにくい人々に最後の安全網を差し伸べる存在の正統性」を問うている。


読者への問い

「本人のため」という判断は、いつ「本人の声を奪う」ことに転じるのだろうか。

診察室で痛みを訴えたのに無視された経験はないか。大切な家族の終末期の意思が、書面のないまま医療者と家族の「合意」で決まっていったことはなかったか。あるいは、自分の体に関する選択を、専門家の権威の前で諦めた瞬間はなかったか。

「本人のため」は、本人が言葉を失ったとき、最も危うくなる。そして言葉を奪うのは、暴力だけではない。説明しない医師、聞かない制度、守るべき人を守らない「守護者」もまた、その一因になりうる。


まとめ:権利は制度の外に漏れる

フランスで同時進行するこの三つのニュースは、それぞれ別々の問題に見えて、一つのことを問うている。権利は法律に書かれたその瞬間に実現するのではなく、説明され、確認され、守られ、不服を受け止められて初めて生きる、ということだ。

尊厳死法の厳格な手続き要件は、「簡単には選べない」という制約であると同時に、「軽々しく奪われない」という保護でもある。婦人科での同意侵害の告発は、制度の外で起きていることへの異議申し立てだ。権利擁護官の人選論争は、制度の「中身」を誰が保証するかをめぐる権力闘争だ。

これらはすべて、自己決定が「個人の意思表示」だけでは成り立たない、という事実を指し示している。それを支える社会的条件――専門家の誠実さ、制度の誠実な運用、独立した監督者の存在――がなければ、権利はただの言葉に終わる。

フランスの試行錯誤は、日本の私たちにとっても他人事ではない。

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