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食料主権の名のもとに――フランスが水と生き物に問う「例外」の境界
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食料主権の名のもとに――フランスが水と生き物に問う「例外」の境界

2026/7/21

干ばつが続けば、農家は水を求める。作物を守るために農薬を使いたいという声も強まる。だが、その水をどこに貯めるのか。農薬の規制をどこまで緩めるのか。その選択は、食卓だけでなく、湿地や川、生き物の暮らしにも及ぶ。

7月22日、フランス国民議会は賛成296票、反対224票で農業緊急法案を可決した。法案は「食料主権」の強化を掲げる。けれども議会で交わされた議論は、農業支援の範囲を超えていた。食料を安定して生産するためなら、環境上の例外をどこまで認められるのか。その線引きをめぐる議論だった。

フランスの選択は、日本にとっても遠い話ではない。気候変動、農業の担い手不足、食料供給への不安は、日本にもある。水や土地、生き物をめぐる優先順位を、誰がどう決めるのか。フランスの法案は、その問いをはっきりと映し出している。

湿地に水を貯めるという選択

フランスインフォによれば、法案には干ばつ対策として、生物多様性の観点から重要とされる湿地を含む地域に貯水施設を建設しやすくする内容が盛り込まれた。さらに、2035年までに農業用の貯水量を倍増させる目標も明記された。

農薬についても、例外が設けられる。フランス国内では禁止されているアセタミプリドとフルピラジフロンについて、国家食品環境労働衛生安全庁(Anses)が困難に直面する一部の農業分野に限り、例外的な再導入を認められると定めた。

ここには、農業の現場が置かれた切迫感がある。干ばつや収量の不安定化は、農家にとって抽象的な環境問題ではない。一方で、湿地は単なる未利用地ではない。水を蓄え、水を浄化し、多くの生き物を支える場所でもある。水不足への対応が、その水の循環を支える場所を変えることになる。このねじれが、法案の中心にある。

「科学に委ねる」とはどういうことか

フランス政府は採決の直前まで、態度を明確にすることを避けた。首相周辺はアセタミプリドの「禁止が原則」であることを強調しつつも、「妥協案は国会から出たものだ。それを決着させるのも国会だ」と述べたとフランスインフォは伝えている。

判断はAnsesに委ねられる。政府は、Ansesの判断期間を2カ月から6カ月に延長する修正案を提出するとも発表した。「いかなる圧力もかけない、十分な条件で」科学者に仕事をさせるためだという。

科学的な審査を重視する姿勢は、政治的な対立を和らげるようにも見える。共和党のジュリアン・ディーヴ議員は「問題は科学に委ねるべきだと聞いた。われわれは今まさにそれを行った」と歓迎したと報じられている。

しかし、科学に委ねることは、政治が消えることと同じではない。どの機関に判断を任せるのか。何を「困難に直面する一部の農業分野」と見なすのか。どの程度のリスクを許容するのか。こうした前提は、やはり政治が決めるものだろう。

欧州では近年、科学的専門性を政策の根拠に置きながらも、専門機関の独立性や判断の透明性が繰り返し問われてきた。科学は答えを示すことができる。しかし、どの問いを立てるかまで決めるわけではない。

水は誰のものなのか

水管理をめぐる条項にも、同じ緊張がある。

法案は水管理機関の統治を変更し、農業関係者の発言力を強化する一方、国の代表の比重を下げる。現在は環境移行省の管轄にある水管理機関を、農業省や経済省なども含む共管に移す内容だ。

この変更について、環境移行相のモニク・バルビュ自身が「農家の緊急事態に対応するはずの法案が、水資源の配分を定める政策をはるかに超えて変更しようとしている」と日刊紙『ラ・トリビュヌ』の日曜版に語ったと報じられている。閣内からこうした懸念が出ることは、法案が扱う問題の大きさを物語る。

グリーンピース・フランスの農業政策担当者ジュリアン・リヴォワールは「この法案は、農業ビジネスによる水の独占を認めるものだ。近い将来、水の利用をめぐる緊張はさらに高まり、場合によっては『水戦争』に発展する可能性がある」と述べたと報じられている。

水は農業に欠かせない。だが同時に、飲み水でもあり、地域の産業を支える資源でもあり、生態系そのものでもある。水を貯める施設は、干ばつに備える手段になりうる。その一方で、誰が水に優先的にアクセスできるのかという問題も生む。フランスで起きているのは、水量の議論だけではない。水の分配をめぐる社会契約の議論でもある。

生き物との距離が変わる欧州

生物多様性と人間の暮らしの衝突は、フランスだけのものではない。

フランスインフォによれば、ルーマニアのカルパチア山脈では、欧州最大のヒグマの個体群が住宅地や幹線道路近くに姿を現すようになった。この5年間で14人が死亡し、150人が負傷したとされる。ルーマニアはすでに駆除枠を倍増し、年間およそ1,000頭のクマを捕殺できるようにした。

これは、フランスで続くオオカミをめぐる農家と環境保護団体の対立とも重なる。生き物を守ることは、必ずしも地域で暮らす人々の安心と自動的に両立するわけではない。保全と安全、農業と野生動物。その間にある現実を、欧州は各地で引き受けようとしている。

日本でも、野生動物と人の生活圏が近づく問題は身近になっている。フランスの農業法案とルーマニアのクマ対策は別のニュースに見えるが、どちらも「自然を守る」とは何を意味するのかを問い直している。自然を人間の暮らしから切り離して考えられない時代なのかもしれない。

日本の水田と、フランスの湿地

日本では、水田農業と水利組合という歴史的な制度のもと、農業と水資源の関係はフランスとは異なる形をとってきたとされることが多い。大規模な貯水ダムの建設をめぐる環境論争も、日本には長い歴史がある。

ただし、フランス型の「湿地に貯水施設を作るために環境アセスメントを緩和する」という方向性が、そのまま日本の文脈に移植できるとは言いにくい。水田は食料生産の場であると同時に、水を蓄え、地域の景観や生態系にも関わってきた。水を農業のために使うという同じ言葉でも、その背景にある土地の記憶は異なる。

農薬規制も同様だ。食料自給率の低さへの懸念と担い手不足という条件が重なる日本では、農業生産性を支える農薬のあり方は常に政策課題である。しかし、「EUでは認められているのにフランスだけ禁じている農薬の再導入」という議論軸自体、日本社会にはなじみが薄いかもしれない。

一方、アメリカでは、農業の規模と水利権をめぐる問題が法廷闘争に発展しやすいとされることが多い。州ごとの農業事情と規制の差が大きく、環境保護と生産性・財産権の衝突は、日本やフランスとは異なる政治的ダイナミクスのなかで展開される傾向があると言われる。

水をめぐる対立は、どの国にもある。ただ、その対立の姿は、それぞれの社会が水を何として扱ってきたかによって変わる。

見えにくい「ツケ」は、いつ現れるのか

対照的なニュースは、ブラジル・アマゾンからも届いている。MapBiomasが発表したデータによれば、2025年のアマゾンの森林火災による焼失面積は310万ヘクタールで、前年の1,580万ヘクタールから大幅に減少した。1985年の観測開始以来、最低水準となった。

森林伐採の減少、降雨期のずれ、そして前年の大規模火災を経験した地域住民の警戒心が要因として挙げられているという。環境をめぐる政策や行動の影響は、すぐに数字へ現れるとは限らない。逆に、一度生じた損失も、時間をかけてしか見えてこないことがある。

フランスの農業緊急法案もまた、目先の支援策としてだけは捉えにくい。2035年までに農業用の貯水量を倍増させるという目標は明確だ。しかし、湿地の生態系や水質が被るかもしれないコストは、数字として示されていない。

「例外」は、本当に例外のままでいられるのだろうか。干ばつが常態化すれば、例外措置は少しずつ通常の制度へ近づくかもしれない。食卓を守るための判断と、生態系を守るための判断。その二つを対立させずに考える道はあるのか。

フランスの議会は、その判断の一部を科学に委ねた。けれど、科学機関がどの管轄に置かれ、どんな条件で判断するかを決めるのは政治である。そして生態系の変化は、選挙の周期より長い時間をかけて現れることがある。

私たちは食卓に並ぶものを選ぶとき、その背後にある水や土地、そして見えない生き物のことまで、どこまで想像できるだろうか。

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