
誰が、嵐の夜に「来ないでください」と言われるのか
2026/7/21
2016年のある日、サラ・ホーキンスは13回、病院に連絡を入れた。理学療法士として医療を知る立場にある彼女が「陣痛が始まっていないので、来ないでください」と言われ続け、最終的に駆けつけたときには、娘アリエットの心臓はすでに止まっていた。独立調査は後に、この死はほぼ確実に防げたはずだとフランスインフォが報じている。そして夫のジャックは振り返る。「病院は、悲劇的な単独の事例だと言いました。私たちだけが被害に遭い、ほかには誰も関係していないと思わせようとしているのは明らかでした」と。
だが、単独の事例ではなかった。
同じころ、南米ガイアナでは首都ジョージタウンを出航したフェリー「MV Barima」が転覆し、複数の死者が出たとフランスインフォは伝えている。乗船名簿は「実際の乗船者を正確に反映していない」と公共事業相は述べており、行方不明者の人数すら把握できない状態が続いている。乗組員のうち2人は大麻検査で陽性だったという。
チリ北部では嵐が発生し、少なくとも5人が死亡した。「通常なら1カ月かけて降る量の雨が、1時間で降った」と内相はフランスインフォに語っている。さらにフランスのナントでは、ロマのキャンプから出火した火災が10ヘクタールを焼き、約200人が避難を余儀なくされた。避難者を受け入れるために体育館が開放されたとフランス3は報じている。
一見すると、これらのニュースはバラバラに見える。産科医療の不備、フェリーの転覆、チリの洪水、ロマのキャンプ火災。しかしここに一本の線を引くことができる。それは「危機のとき、誰がサービスから切り離されるか」という問いだ。
平均値が隠す断絶
英国の産科医療のスキャンダルが特に象徴的なのは、「全国的なサービス」の裏に地域格差が潜んでいたという構造にある。フランスインフォの報道によると、直近に査察を受けた英国の産科施設の3分の2が、政府の定める最低限の医療基準を満たしていなかった。英国全体の妊産婦死亡率や乳児死亡率はフランスと同程度だと同記事は指摘しているが、「この平均値の裏には、地域や生活水準による大きな格差が隠れている」とも記している。制度はあっても、実際にそれが機能しているかどうかは、どこに住んでいるか、どんな立場にあるかによって大きく異なるわけだ。
ある助産師の証言は、その構造崩壊の内側を見せる。近年、英国は出産時の医療ミスの被害者への補償に約300億ユーロを費やしたが、これは同じ期間に全産科施設の運営に充てられた予算200億ユーロを上回るとも同記事は報じている。補償のために予算が削られ、それがさらなる不備を生むという逆説的なサイクルがここにある。
ナントのロマのキャンプ火災は、また別の角度から同じ問いを照らし出す。フランス3の報道によると、約200人が避難したが、自宅に戻れるかどうかも不透明なまま夜を迎えた住民がいた。キャンプの住民は「今夜、この先どうするか考えなければならない。問題は、もう寝る場所がないことだ」と語っている。ロマのコミュニティはフランス社会において構造的に周縁化されており、常設の住居ではなくキャラバンで暮らす人々にとって、火災や災害は「住む場所がある」という前提すら奪いかねない。火が消えれば危機は終わる、という話ではないのだ。
システムが平時に「切り詰める」とき、誰が割を食うか
ガイアナのフェリー事故は、一見するとルールの問題に見える。定員超過、乗組員の薬物使用、乗船名簿の不備。しかしここで問うべきは、なぜそのようなフェリーが「唯一の移動手段」だったのかということではないだろうか。代替交通手段が乏しい地域では、安全基準を満たさない船であっても「乗るしかない」という状況が生まれやすい。公共交通を採算性で評価する論理が行き着く先のひとつが、こうした危険な「代替物」への依存だとも考えられる。
チリの嵐についても同じことが言える。コキンボ州とアタカマ州は「極端な降雨がまれな」地域だとフランスインフォは書いているが、だからこそ「ここには洪水は来ない」という前提のもとでインフラが設計されている可能性が高い。気候変動の影響でこうした「まれな事態」が常態化しつつあるとすれば、例外的事態を想定しないシステムのリスクはこれから急速に高まると考えられる。
そしてフランスでは、燃料価格の問題がある。SP95-E10が1リットル2ユーロを超えたとフランスインフォは報じており、エネルギー相モード・ブレジョンは「状況は極めて不確実」と述べた。政府は低所得世帯や農業従事者、長距離運転者への支援策を実施しているとされるが、申請した国民は100万人を超えた一方、支給対象は約300万人に上るという。つまり、支援を受けられていない対象者が200万人ほどいるという計算になる。制度が存在していても、それにアクセスできるかどうかはまた別の問題だ。
フランスの矛盾、日本の空白
フランスは鉄道、文化施設、社会保険を国家的な公共財として位置づける伝統を持つとされる。だがナントのロマのキャンプを見れば、その「公共」が誰を対象としているかは自明ではない。避難した住民のひとりは「気候変動の影響で、ロワール=アトランティック県であってもこうしたことは起こり得る」とフランス3に語っており、その言葉には「ここは安全だと思っていた」という前提が含まれている。逆に言えば、安全だと思われていなかった場所に暮らす人々は、この驚きすら持てないということだ。
日本はどうだろうか。公共交通や医療の地域網を自治体と民間に依存する部分が大きいとされることが多く、人口減少が進む地方ではそのアクセス維持が深刻な課題になっているとも言われる。採算の取れない路線バスが廃止され、産科医が地方から都市に集中し、避難情報が高齢者に届かない、といった状況は、英国の産科施設の不備やガイアナのフェリー事故と本質的に同じ問いを突きつけてくる。「サービスが存在する」ことと「そのサービスに届ける」ことの間にある距離を、社会はどう埋めるのか。
米国では民間供給の比重が高いとされることが多く、居住地や保険・所得によるサービス格差がより露骨に現れやすいとも言われる。英国のケースは「全員対象の公的サービス」があってもそれが機能不全に陥り得ることを示すが、米国のケースはそもそも「全員対象」という設計が弱い部分で格差が固定化しやすいという別の問題を抱えている。フランスはその中間を志向しながら、予算と効率化の圧力と綱引きし続けている。
冗長性は無駄ではない
気候変動、人口減少、エネルギー価格の高騰という三つの圧力が重なるなかで、「平時の効率化」が削り取ってきたものの価値が、危機が来るたびに問い直される。産科施設の余剰人員も、採算の取れない地方フェリーも、洪水に備えた道路の複数ルートも、平時には「無駄」と見なされやすい。しかし、それが実際に必要になる瞬間は、必ず来る。しかもそのとき、最初に割を食うのは常に同じ人々だ。医療知識があっても受け入れてもらえなかったサラのような人ではなく、もっと声を上げにくい立場の人々である。
採算の取れない地域や人々に残すべきサービスを、私たちはどのような共同負担で支えるべきだろうか。この問いは、フランスでも、チリでも、英国でも、そして日本でも、答えが出ないまま次の嵐の夜を迎えつつある。