「主権」という言葉の幻想――フランスは今、何を自前で持っていて、何を持っていないのか
2026/7/23
ホルムズ海峡で石油タンカーが炎上した、という報せは、遠い中東のニュースとして流れた。しかしその海峡を毎日どれだけの石油が通過し、日本やフランスの電気や暖房がそこに依存しているかを考えれば、これは「他国の紛争」ではない。イラン革命防衛隊が「いかなる船も入ることも出ることもできない」と宣言し、フランスインフォの報道によれば、タンカー3隻を停止させ、うち1隻を爆発・炎上させたという。同時に、フーシ派は紅海でサウジアラビア籍のタンカー2隻を攻撃したと主張している。ホルムズとバブ・エル・マンデブ、二つの海峡が同時に揺れているのだ。
この状況を前に「エネルギー主権を持て」と叫ぶのは容易い。だがそれは何を意味するのか。フランスは現在、まさにその問いに正面から向き合うような出来事を、複数同時に経験している。
MistralとMicrosoftの「主権的」提携が示す矛盾
フランスのAIスタートアップMistralが、Microsoftと「数十億ドル規模」の提携を締結したとRFIが報じた。内容はシンプルに聞こえる。MicrosoftがMistralのデータセンターを利用し、MistralのAIモデルはMicrosoftのCopilotなどに統合される。両社は「欧州のAIインフラ強化」と「欧州のクラウド・AI需要への対応」が目的だと説明している。
ここで少し立ち止まって考えてほしいのだが、「欧州のデジタル主権」を掲げながら結んだ提携の相手が、アメリカ最大のテック企業の一つであるということを、どう受け止めればよいのだろうか。
RFIの報道によれば、フランス軍はすでにMistralを米国大手に代わる選択肢として採用し、先行して方針を示している。その一方で、Microsoftはこの提携により、欧州に所在するMistralのインフラ、データセンター、計算能力にアクセスできるようになる。欧州の顧客に「データは欧州にある」と安心させながら、Microsoftは引き続き自社サービスを売ることができる、とRFIは指摘している。さらにFinancial Timesの報道によれば、SamsungもMistralに最大10億ドルを投資し、同様の提携を結ぶ可能性があるという。
これは失敗なのか、それとも賢明な戦略なのか。答えは、「主権」という言葉をどう定義するかによって変わってくる。もし主権が「自前で完結すること」を意味するなら、これは明らかな妥協だ。しかし、「依存関係を自分たちのルールで管理すること」を意味するなら、話は違ってくる。MistralがMicrosoftと組みながらも、インフラは欧州に置き、フランス軍が採用し、EU規制の枠内で動くのであれば、それは「管理された相互依存」と呼べるかもしれない。
ここが、日本の読者にとって他人事ではない論点だ。日本もまた、生成AIのクラウド基盤の多くを米国企業に依存しているとされる。半導体、OS、クラウドインフラ——日本の行政や企業のデジタル環境がどこに乗っているかを考えると、「主権の自前調達」を本気で目指せる国はほぼ存在しないことが分かる。問題は自立か依存かではなく、依存の中身と管理の仕組みをどう設計するか、になる。
ドイツの核燃料工場が突きつける問い
だとすれば、ドイツが承認したフランス・ロシア共同の核燃料生産計画は、さらに複雑な問いを提示する。
フランスのフラマトム社の子会社ANFが、ロシア国営企業ロスアトムと協力し、オランダ国境近くのリンゲン工場で核燃料を生産する計画を、ニーダーザクセン州が承認したとフランスインフォは報じている。ロシア人専門家の受け入れ、ロシア製設備の導入を伴うこの計画に対し、ドイツ政府は「ハイブリッド戦争」を仕掛けているとみなすロシアの関与を懸念しながらも、承認を阻止する法的根拠が現状のEU制裁の枠組みの中にはないと説明した。ドイツ環境省は「特定されたリスクが適切な対策によって管理できる場合、当局は認可を交付する義務がある」と述べ、新たなリスクが判明すれば再検討できるとしている。
この論理は興味深い。「禁止するルールがないから認める」「リスクは管理できる範囲だ」——これはまさに、主権を「完全な自立」ではなく「リスクの民主的管理」として捉えるアプローチだ。同時に、「リスクは管理できる」という判断自体、誰がどのような根拠で行うのか、という問いを残す。グリーンピースは紛争開始当初からこの取引の継続を批判しており、市民社会からの監視と国家の判断がぶつかっている構図でもある。
欧州で現在も稼働しているロシア・ソ連設計の原子炉に、長期的・安定的に燃料を供給するというプロジェクト側の論理にも、一定の合理性はある。「脱ロシア」を掲げても、物理的なインフラを一夜にして切り替えることはできない。エネルギーの依存関係は、政治的宣言よりも工学的現実に縛られている。
日本のエネルギー政策と重ねて考えると、この問題の普遍性が見えてくる。日本もまた、エネルギーの大部分を輸入に頼っており、特定の地域や国への依存を短期間で解消することは現実的ではないとされる。「エネルギー安全保障」という言葉が頻繁に使われるが、それが「自給」を目指すのか「依存先の多様化と管理」を目指すのかで、政策の中身はまったく異なる。
ホルムズ海峡という「民主主義が届かない場所」
そして今、ホルムズ海峡がある。
イラン革命防衛隊は「米国が悪意ある行為を続ける限り、海峡は完全に封鎖されたままだ」と宣言した、とフランスインフォは伝えている。米軍は12夜連続でイランへの爆撃を実施し、「民間船員への脅威を低下させる」ことを目的としていると説明している。イランはヨルダンの米軍施設への攻撃を主張している。フランス大使館員2人がイランで拘束され、バロ外相は「外交特権への明白な違反だ」と非難した。
この混乱した状況の中で見えてくるのは、海上輸送という「グローバルな公共財」が、どれほど脆弱な基盤の上に成り立っているかということだ。世界の石油・LNG輸送の多くがホルムズを通過すると一般に言われているが、そこを守るルールを誰が決め、誰が執行するのか。米軍が実質的な「海峡の番人」として機能している現実は、軍事力を持つ国が海洋の秩序を定義できることを意味する。これは「力の主権」であって、「法の主権」ではない。
フランスはこの問題で興味深い立場にいる。戦略的自律を掲げ、NATOの指揮系統から一定の距離を保つ歴史を持ちながら、ホルムズで起きていることに対して独自に介入する能力を実質的には持っていない。欧州全体として見ても、海上輸送の安全を米国の軍事力に委ねている部分は大きいとされる。「デジタル主権」は声高に語られるが、「海洋主権」は静かにアメリカに委任されている——この非対称が、今週のニュースを並べると浮かび上がってくる。
自前主義の幻想から、依存の設計へ
ここで三つのニュースを並べてみると、一本の線が見えてくる。MistralはMicrosoftと組みながら「主権的AI」と呼ばれ、ドイツはロスアトムと組みながら「リスク管理できる」と言い、ホルムズ海峡では米軍が「民間航行の自由」を守るために動いている。いずれも、純粋な自立などというものが存在しないことを示している。
一方、ベネズエラのマドゥロ元大統領が米軍の作戦でカラカスから連れ去られ、ニューヨークで裁判を受けることになった、という話は、また別の意味で「主権」という概念の脆弱さを映し出している。フランスインフォによれば、米国は作戦を「逃亡者に対する警察活動」と位置づけており、マドゥロ元大統領側は「誘拐された」「戦争捕虜だ」と主張している。法的には国際法上の複雑な問いを含む事案であり、国家主権の実質が軍事力によって塗り替えられる場面として読むこともできる。
これらすべてを貫く問いは、「主権はどこに宿るのか」ということだ。領土の中で自前で生産できることなのか、それとも不可避な依存関係に対して、誰がどのルールで、どの機関を通じてコントロールするかを民主的に決める仕組みを持つことなのか。
フランスはその問いに曖昧なまま答えようとしている。「戦略的自律」を語りながらMicrosoftと組み、「ハイブリッド戦争」の相手とも核燃料を共同生産し、海上安全はアメリカに委ねる。それは偽善だろうか、それとも現実主義だろうか。
あるいはこう問うべきかもしれない——「自前で持つ」という幻想を捨てた先に、私たちは何を要求できるのか。Mistralのデータセンターを誰が監査するのか。ロシア人専門家がリンゲンで何をしているかを誰が確認するのか。ホルムズ海峡を守る米軍の行動基準を、日本やフランスの市民はどこで問えるのか。依存を隠さずに見えるようにし、その管理に市民と議会が参加できる仕組みを持てるかどうか——それこそが、主権の実質を問う本当の試みではないだろうか。