王の墓と、生きているメディナ——遺産は誰の記憶のために残されるのか
2026/7/25
7月下旬、パリ北郊のサン=ドニで開かれたある会合で、投票が始まる直前に一人の男が席を立った。バリー・バガヨコ(Bally Bagayoko)氏、今年3月の選挙で当選したばかりの、不服従のフランス(La France insoumise)所属の若い市長である。議題は、サン=ドニ大聖堂の再建工事を指揮する協会「Suivez la flèche」の新会長を選ぶことだった。この役職は従来、市長が兼ねてきたものだとバガヨコ氏は主張していたが、結局彼は投票にすら加わらず、会場を後にしたと複数の出席者が証言している。そして全会一致で選ばれたのは、テレビの司会者として知られる文化遺産保護の顔、ステファヌ・ベルン(Stéphane Bern)氏だった。
この小さな政治劇は、単なる人事の話ではないと考えられる。サン=ドニ大聖堂には40人の国王と26人の王妃が眠っている。フランス王政の記憶そのものが石として積み上がった場所であり、1837年の落雷で失われた北塔と尖塔を、総額3800万ユーロをかけて再建しようとしている。ベルン氏はAFP通信に対し「政治をすることには、何よりも関心がありません」と述べ、寄付集めと集客に専念する姿勢を強調した。しかし、王たちの墓を誰が「共鳴板」として語り直すのかという問いから、政治性を完全に取り除くことはできない。共和制の首都近郊で、左派の市長が距離を置き、国が後押しする形でメディア的著名人が指揮を執る。ここには、誰の記憶を国家の顔として磨き上げるのかという、静かだが確かな綱引きがあると言えるだろう。
同じ週、地球の反対側でまったく異なる種類の遺産が脚光を浴びていた。ユネスコは7月25日、コモロにある6つの古いメディナ(旧市街)を世界遺産に登録したと発表した。グランドコモロ島に4か所、アンジュアン島に2か所。12世紀からインド洋の交易路沿いに築かれてきた都市国家群で、スワヒリ建築や旧スルタン国の姿を今に伝えている。コモロにとって初めての世界遺産登録である。コモロの文化相サイード・モハメド・アリ・サイード氏は「単なる史跡ではない。先祖たちがしていたのとまったく同じように、今も人々が祈り、商売をし、人生の大切な節目を祝っている、生きた都市だ」と語ったと報じられている。
サン=ドニの尖塔とコモロのメディナ、この二つのニュースを並べてみると、文化遺産という制度が抱える一つの偏りが浮かび上がってくる。ユネスコの世界遺産リストには1200件を超える遺産が登録されているが、コモロがそこに名を連ねたのは今回が初めてだった。長らく「世界遺産に値する価値」を定義してきたのは、欧州の大聖堂や宮殿を基準にした眼差しだったのではないか。コモロの文化相が「到達点ではなく、出発点だ」と述べたのは、遺産保存という営みが同時に国際的な承認の政治でもあることを示していると考えられる。インド洋の交易圏を生きた歴史として可視化することは、欧州中心の遺産観そのものを問い直す作業でもあるのだろう。
こうした緊張は、日本の読者にとっても決して他人事ではないはずだ。日本でも寺社や城郭、近代の産業遺産が観光資源として、また地域再生の柱として熱心に保存されていることは広く知られている。一方で、そうした保存の物語が、戦争責任や植民地支配の記憶とどう向き合うかという問いを常に抱えていることも、しばしば指摘される。何を「誇るべき遺産」として磨き上げ、何を語りの外側に置くのか。その選択が地域振興や観光の文脈で無意識のうちになされてしまうことは、フランスにも日本にも共通する構造だと言えるかもしれない。
アメリカに目を向ければ、遺産をめぐる対立はより直接的に、現在の政治闘争として現れることが多いとされる。博物館の展示内容をめぐって、奴隷制の描き方や、建国神話をどう語るかが激しい論争を呼ぶという構図は、日本でもニュースとして目にする機会があるだろう。誰の視点から歴史を編集するかという問いが、そのまま「アメリカとは何か」という国家観の争いに直結してしまう社会だと言える。フランスの大聖堂再建やコモロの世界遺産登録が比較的穏やかな合意の中で進んでいるように見えるのに対し、アメリカでは同じ種類の問いがしばしば分断の火種になる。この違いは、それぞれの社会がどれだけ「単一の国家の物語」を前提にできているかの差を映しているのかもしれない。
もう一つ、見落とされがちな角度がある。フランスは国内の遺産だけでなく、国外に住む自国民の記憶継承にも力を注いできた。在外フランス教育機構(AEFE)にこのほど新しい事務総長としてアレクサンドル・モロワ氏が就任したと報じられているが、同機構は史上最も深刻な危機に直面しているとされる。上院の調査団はすでに34項目の提言をまとめており、海外に暮らすフランス人のアイデンティティをどう支えるかが、教育政策の課題として真剣に議論されている。大聖堂の尖塔を再建することと、海外の子どもたちにフランス語とフランス的教養を継承させること。この二つは一見遠いようでいて、どちらも「フランスという物語」をどこまで、誰のために保存し続けるのかという同じ問いに根ざしていると考えられる。
これから遺産保存の現場では、AIによる展示制作や、観光資本の流入、気候変動による建造物の劣化といった新しい要因が、語りの主導権をさらに複雑にしていくだろう。誰が資金を出し、誰が展示の言葉を書き、誰がツアーガイドを務めるのか。その一つ一つの決定が、静かに「国の物語」の輪郭を塗り替えていく。コモロの文化相が言うように、世界遺産登録が「出発点」だとすれば、その先にあるのは、これまで語られてこなかった人々——市長を退席させた地元コミュニティであれ、インド洋沿岸で祈りと商売を続けてきた住民であれ——が、その語りの決定にどれだけ参加できるかという問題だと考えられる。
尖塔の再建現場にも、メディナの狭い路地にも、誰かの記憶が眠っている。あなたの街の「保存すべき遺産」を決める会議室には、誰が座り、誰が席を立っているだろうか。