AntenneFrance

国際刑事裁判所は、誰にとっての正義なのか
editorial

国際刑事裁判所は、誰にとっての正義なのか

2026/7/25

国境を越えた犯罪を裁くための国際刑事裁判所(CPI)は、強大な権力を持つ指導者にも責任を問うために生まれた。その理念は、日本にとっても遠い話ではない。国際法や国際機関を信頼することは、武力だけに頼らない世界の秩序を信じることでもあるからだ。

だが、その裁判所はいま、自らの足元から揺れている。

ニューヨークの国連本部で7月24日、加盟125カ国の代表たちが非公開の会議室に集まり、無記名の投票用紙に何かを書き込んでいた。議題は、自分たちの組織のトップである主任検察官をこのまま職に留めるかどうか。結果は82カ国が解任に賛成。その人物の名は、カリム・カーン。ウラジーミル・プーチンとベンヤミン・ネタニヤフという、まったく異なる立場の二人の指導者に逮捕状を突きつけたことで名を知られた検察官である。

同じ日、ベネズエラはCPIから離脱する意思を表明した。

一人の検察官をめぐる解任。一国による脱退表明。偶然、同じ週に起きた二つの出来事かもしれない。だがそこには、「国際的な正義は誰が決めるのか」という、CPIが設立以来抱えてきた問いが見える。

検察官に向けられた疑惑

カーン氏を巡る経緯は、国際機関の脆さを浮かび上がらせる。

2025年5月、元側近の女性職員から性的暴行を受けたとの告発があり、同氏は調査結果を待つ間、一時的に職務を離れていたと報じられている。告発した女性は「サラ」という名でCNNのインタビューに応じ、「これほど大きな権力の不均衡がある場合、同意が成立することはあり得ません」と語ったという。

カーン氏側は疑惑を一貫して否定している。弁護士はX上の公開書簡で、依頼人を解任しないよう加盟国に求め、手続きの適法性そのものに異議を申し立てる方針を示している。

ここで複雑なのは、カーン氏がイスラエルの首相と旧国防相への逮捕状を主導した人物でもあったことだ。イスラエル絡みの案件を理由に、カーン氏は関与した判事たちとともに米国から制裁を受けていたとも報じられている。

国際司法は、国家の力から独立していなければならないとされる。一方で、それを担う人間もまた、疑惑や批判、政治的な圧力と無縁ではいられない。裁く側の信頼が揺らぐとき、裁判所そのものの権威も試されることになる。

ベネズエラが示した不信

7月24日、ベネズエラの外相フェリックス・プラセンシア氏はX(旧Twitter)に短い声明を投稿した。

「ベネズエラは国連事務総長に対し、ローマ規程を脱退し、CPIから最終的に離脱するという断固たる不可逆的な決定を伝えた」

理由として挙げられていたのは、裁判所が「グローバルサウスを犠牲にして、アフリカ諸国とラテンアメリカ諸国に不釣り合いなほど活動を集中させてきた」という不満だった。

CPIは2018年、ニコラス・マドゥロ政権下での人道に対する罪の可能性について捜査を開始しており、2017年の抗議デモ弾圧で約100人が死亡した事案などが対象になっているという。

ベネズエラ側から見れば、自分たちだけが狙い撃ちにされているように映るのだろう。声明はこう述べていた。

「この構図は、国際司法が公平に適用されるどころか、諸民族間の不平等を深め、民族自決権と主権を否定するために利用されてきたことを示している」

この主張をそのまま受け入れるかどうかは、簡単には決められない。だが、普遍的な正義を掲げる機関が、特定の地域にばかり目を向けているように見えるなら、その機関への信頼が損なわれるのも理解できる。

正義は、実際に公平であることだけでは足りない。公平に見えることもまた、国際社会では重要なのかもしれない。

欧州が抱える矛盾

フランスは、人権外交を国家戦略の柱に据え、国際刑事司法の理念を欧州統合や国連改革と並ぶ価値として語ることが多い国だ。

だからこそ、CPIがネタニヤフ氏に逮捕状を出した際、欧州各国の反応が一枚岩ではなかったことは印象的だった。同盟国であるイスラエルへの適用と、遠い国の独裁者への適用を、同じ基準で語れるのか。この問いは、理念に重きを置く欧州外交の核心に触れている。

ヨルダン川西岸で起きている暴力の激化も、国際司法の限界を映している。占領下の西岸北部で7月24日、パレスチナ人4人とイスラエル人2人が死亡する衝突が起き、ネタニヤフ首相は「前哨入植地の合法化を加速させる」と発表したと報じられている。

国際法上違法とされる入植地が拡大していく現実の前で、逮捕状や声明はどこまで力を持てるのか。フランスの外交当局者たちも、明快な答えを出せずにいるのではないかと考えられる。

欧州ではしばしば、法を守ること自体が政治的な力になると考えられてきた。しかし、法の判断を実行するためには国家の協力が必要になる。そこに、国際司法の避けがたい矛盾がある。

日本が保ってきた距離

日本はこの種の議論において、もう少し慎重な足取りを見せる国だと言えるだろう。

国際法秩序そのものは重視しつつも、地域の安全保障環境や主要な同盟国との関係を踏まえながら、CPIのような機関への関与のあり方を測ってきた。声高に理念を掲げるよりも、実務的な距離感を保つ姿勢は、フランスの人権外交とは異なる文化的態度の表れかもしれない。

これは、どちらが正しいという話ではない。国際司法への向き合い方には、それぞれの国が背負ってきた歴史や外交スタイルが表れる。

アメリカの立ち位置は、さらに複雑だ。他国の指導者への責任追及は支持する場面がある一方、自国民がCPIの管轄下に置かれることには強く抵抗し続けてきたと一般に言われている。

カーン氏やCPIの判事たちがイスラエル絡みの案件を理由に米国から制裁を受けたという経緯は、その典型例として理解できる。普遍的な正義を掲げる機関であっても、自国の同盟国や自国民に矛先が向いた途端に態度が変わるように見える。この不均衡こそが、ベネズエラのような国々に「不平等だ」と批判される背景になっているのかもしれない。

裁くことと、支えることの間で

国際機関の役割は、犯罪を裁くことだけではない。

アントニオ・グテーレス事務総長は7月25日、2009年のパン・ギムン氏以来となる国連トップとしてシリアを訪問し、アフマド・アル=シャラア大統領や市民社会、女性団体の代表らと会談する予定だと報じられている。

13年以上の戦争で荒廃した国の政治移行を後押しするこの訪問は、国際社会が「強固で効果的かつ包摂的な統治制度」の構築を促す姿勢の表れだと言える。

裁くことと支えること。国際機関には、その両方が求められている。だが、刑罰によって責任を問うことと、対話を通じて社会を立て直すことは、いつも同じ方向を向くとは限らない。

正義を裁く側にいる人間自身が疑惑を持たれ、裁かれる側にいるはずの国が「不公平だ」と離脱を選ぶ。同じ週に重なった二つの出来事は、国際刑事裁判所が抱える不安定さを象徴しているように見える。

強国の指導者にも、弱小国の独裁者にも、そして自らの検察官にも、同じ基準で向き合えるのか。国際司法の信頼は、壮大な理念だけで保たれるものではないのだろう。

それでも、力のある国だけが例外となる世界を受け入れてよいのか。その問いは、CPIをめぐる議論の外側で、私たち一人ひとりにも残されている。

フランスメディアの関連記事