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加害者の母と被害者の妹が9年続けた友情は、フランスの「追悼」に何を問うているのか
editorial

加害者の母と被害者の妹が9年続けた友情は、フランスの「追悼」に何を問うているのか

2026/7/26

2017年4月のある日、ロズリーヌ・アメルはノルマンディー地方サンテティエンヌ・デュ・ルヴレにあるケルミシュ家の玄関をたたいた。その9か月前、彼女の兄であるジャック・アメル神父は、ミサの最中に喉を切り裂かれて殺害されている。犯行に及んだ19歳のアデル・ケルミシュは、もう一人の実行犯とともに警察に射殺され、この世にいない。ロズリーヌが会いに行ったのは、そのアデルの母、ナセラ・ケルミシュだった。

普通に考えれば、これほど会いたくない相手はいないだろう。しかし兄を殺した青年の母もまた、一人の母親として、想像を絶する痛みの中にいるはずだ――その想像力の転換が、9年続く友情の出発点になったという。ナセラの側も、事件直後から被害者側と接触を試みていたが、当時はかなわなかったと伝えられている。時期が来て、両者の意志が重なったとき、初めて対話が始まった。

このエピソードだけを取り出せば、感動的な美談として消費してしまいそうになる。けれども興味深いのは、この個人的な友情が、私的な癒やしにとどまらず、学校や刑務所での講演、書籍の出版といった公共的な語りの場へと開かれていったことだ。二人は「痛みの姉妹たち」という共著まで出している。加害者の家族を非難の対象にするのではなく、対話の当事者として社会の前に立たせる。これは、フランス社会がこの事件をどう記憶するかという、もっと大きな問いに直結している。

その大きな問いが可視化されたのが、事件から10年となる7月26日の追悼式典だったと考えられる。サンテティエンヌ・デュ・ルヴレの教会でミサが執り行われ、事件当時の大統領フランソワ・オランドと現首相セバスチャン・ルコルニュが出席したと報じられている。ジョアシム・モワーズ市長は「過去にとらわれたままでいてはならない」と述べ、自由や平等に比べて語られる機会の少ない「友愛」という価値に、あえて焦点を当てるべきだと訴えたという。国家の代表がこの場に立ち会うことを「極めて重要だ」と市長が繰り返し強調している点は見逃せない。地方都市で起きた凄惨な事件の追悼に、首相と元大統領がそろって足を運ぶという構図そのものが、フランス共和国が「友愛」を単なる理念ではなく統治の実践として扱おうとしていることの表れではないだろうか。

同じ週、一見この事件とは無関係に見えるニュースが二つ報じられている。一つは、パリ近郊ショワジー=ル=ロワで見つかった第二次世界大戦時の500キロ爆弾の処理のために、住民9000人が避難したという出来事だ。もう一つは、ノルマンディー上陸作戦の海岸がユネスコ世界遺産に登録されたというニュースである。どちらも80年前の戦争にまつわる話だが、並べてみると示唆的だ。フランスの大地には今なお、爆発を待つ爆弾が眠っている。それは切断し、内部の爆薬を段階的に処理しなければ、安全な形にはならない。世界遺産となった上陸海岸も同様で、あの海岸が「解放」の記憶として整えられ、世界に共有される物語として登録されるまでに、実に20年の申請作業を要したと伝えられている。戦争の記憶は放置すれば風化するどころか、むしろ危険物のように地中に残り続け、意図的に「処理」し、意味を与え直す作業を続けなければ、安全にも、共有財産にもならない。アメル神父の追悼もまた、同じ構造を持っているように見える。事件をただの悲劇として封印すれば、いずれ排外主義の燃料として掘り起こされかねない。だからこそ市長は「過去にとらわれない」と言いながら、同時に毎年律儀に追悼を続けているのだろう。

こうした記憶の扱い方は、国によってかなり異なる姿を見せる。日本では、戦争の記憶が被害の経験と加害の責任、平和主義の理念、そして近隣諸国との外交という複数の軸に分かれて語られることが多く、個人同士の和解が公的な議論に直接つながる場面は、フランスの事例に比べると少ないように思われる。遺族同士、あるいは加害者側の家族との対話が公共の場に招き入れられる構図は、一般にあまり定着していないのではないだろうか。アメリカでは、戦争やテロの記憶が愛国的な儀礼や安全保障の強化と結びつけられる傾向がしばしば指摘される。追悼が団結の象徴であると同時に、対外的な強硬姿勢を正当化する物語にもなりうるということだ。EUは和解を統合の基礎として掲げてきたが、植民地支配や移民をめぐる記憶については、当事者間の対話がまだ非対称なままだという指摘もある。フランス国内で今回見られた「加害者家族を排除しない追悼」という実践は、その意味でむしろ例外的な、あるいは先進的な試みだと言えるかもしれない。

もっとも、こうした対話の美しさに酔いすぎるのも危うい。被害の記憶を薄めることへの警戒感は、それ自体が正当なものだ。二人の物語が特別なのは、痛みを消し去ったからではなく、痛みを抱えたまま隣に座ることを選んだからだろう。追悼が排外主義の動員装置になるか、暴力の連鎖を断つ教育の場になるかは、こうした個々の選択の積み重ねにかかっている。

爆弾はいずれ処理される。海岸は世界遺産として保存される。しかし人の記憶は、誰かが毎年律儀に手を入れ続けなければ、静かに危険物へと戻っていく。被害の記憶を薄めずに、加害者と同一視された人々を排除しない追悼は、はたして可能なのだろうか。あなたの身近な場所で語り継がれる記憶は、誰を招き入れ、誰を締め出しているだろうか。

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