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火事と工場、二つの現場が突きつける「雇用は誰が守るのか」という問い
editorial

火事と工場、二つの現場が突きつける「雇用は誰が守るのか」という問い

2026/7/27

月曜日の朝、ジロンド県の避難区域に住む会社員は、出社する前にまず雇用主に電話をかけなければならなかった。道は封鎖され、県知事は「避難対象の自治体を通過してまで仕事に来てほしくない」と明言していたからだ。

一方、南西部の製紙工場では、もっと長い時間軸の不安が渦巻いていた。フランス最後の市販パルプメーカー、フィブル・エクセレンスの従業員たちは、清算による解雇の可能性を前に、一部がすでに「家を売る」ことを考え始めていると、CGT労組代表が明かしたと報じられている。火事のような突発的な危機と、企業再建をめぐる何カ月もの綱引きは、一見まったく別の出来事に見える。しかし、どちらも同じ問いを私たちに投げかけている。地域の生活を成り立たせている仕事は、赤字になったとき、あるいは天災で止まったとき、誰の責任で守られるべきなのか、という問いだ。

火災が止めた1万5000社と、政府が動かした「部分的失業」という発想

ジロンド県サウモスで山火事が発生し、避難する事態に発展したと報じられている。ジロンド商工会議所の会頭パトリック・セガン氏によれば、避難区域にある約1万4500社が「もはや通常どおり営業できない」状態に陥った。これは新型コロナウイルスの感染拡大以降、前例のない規模だという。

ここで興味深いのは、フランス政府が動かした手段が「補償金」でも「見舞金」でもなく、「部分的失業(chômage partiel)」という制度だったことだ。政府報道官のマウド・ブレジョン氏は「雇用と事業を守ることができるこの制度を発動する」と強調したと報じられている。つまりフランスでは、天災で企業が一時的に止まっても、雇用契約そのものは維持したまま、国が給与の肩代わりをするという発想が、ほぼ自動的に選択肢として立ち上がる。従業員を解雇して再び雇い直すのではなく、「雇用関係を凍結したまま乗り切る」という発想だ。

この制度は火災という天災だけでなく、Fibre Excellenceのような産業再建の局面にも影を落としている。経済相ロラン・レスキュール氏は、同社にすでに投じた約1億ユーロの公的資金がほぼ失われる見込みであることを認めながらも、雇用を守るためにさらに1億ユーロを拠出する用意があると述べたと報じられている。市場原理だけで見れば「失敗した投資」でしかない事業に、なぜ国がここまで踏み込むのか。その理由の一端は、サン=ゴーダンスとタラスコンという二つの町にとって、この工場が単なる一企業ではなく、地域の生活基盤そのものだからだと考えられる。

「誰の金で救うか」をめぐる対立が見せるもの

もっとも、フランスが雇用維持に前のめりだからといって、話が単純にまとまるわけではない。Fibre Excellenceをめぐっては、買収を提案した実業家マチュー・ピガス氏に対し、経済相が「ロビン・フッドではなく、他人の金で行動するノッティンガムの代官だ」と痛烈に批判したと報じられている。ピガス氏の案は国にさらなる資金拠出を求めており、経済相の説明によれば、ピガス氏自身が拠出するのは500万ユーロにすぎない一方、国の総負担は3億ユーロに膨らむという。「計算が合わない」というのが経済相の言い分だ。

これに対し、オクシタニー地域圏のカロル・デルガ議長は買収案を「堅実だ」と評価し、「不必要な論争に気を取られてはならない」と呼びかけたと報じられている。CGTの労組代表も同様にこの案を支持している。つまり、雇用維持という目標自体には政府も地域圏も労組も一致していながら、その手段とコストの妥当性をめぐっては真っ向から対立しているのだ。これは、フランスにおいて「雇用を守るべきだ」という価値観がほぼ争われない前提である一方、「では誰の金で、どこまで守るのか」という線引きは、政治的な激しい駆け引きの対象になっていることを示していると考えられる。国家が産業の延命に介入すること自体は自明視されていても、その介入の中身は絶えず監査され、時に「他人の金を使う政治」だと非難される対象になる。

日本やアメリカだったらどうなるか

日本にも雇用調整助成金という、企業の休業に対して国が賃金の一部を助成する制度がある。天災や経済ショックで事業が止まったときに雇用契約を維持するという発想そのものは、フランスの部分的失業制度とかなり近いと言える。ただし一般に、日本では終身雇用や企業内での配置転換といった慣行が雇用維持の土台を支えているとされることが多く、国の制度が前面に出るというよりも、企業自身が雇用を抱え続ける文化的な圧力の方が強く働くと言われることが多い。地方の工場が傾いたときも、自治体が地元金融機関や取引先とともに水面下で再建を模索するというケースが語られがちで、フランスのように経済相が公然と買収提案を名指しで批判するような、政治の表舞台での激しい応酬にはなりにくい印象がある。

アメリカについては、一般に市場からの撤退や労働者の地域間移動を受け入れる傾向が強いとされることが多い。採算が合わない工場は閉鎖され、そこで働いていた人は別の土地、別の産業へ移ることを期待される、という考え方が根強いと言われる。その結果、地域の衰退という負担が、企業や国よりも個人の側に集中しやすいという見方もある。フランスのように、赤字企業に何億ユーロもの公的資金を投じてでも工場と雇用を残そうとする発想は、アメリカの一般的な経済観からするとかなり異質に映るかもしれない。

この二つの現場から見えてくるもの

火災による一時的な休業と、パルプ工場の恒久的な閉鎖の危機は、時間軸としては全く違う出来事だ。しかし共通しているのは、フランスという国が「仕事が止まる」ことを、個人の運の悪さとしてではなく、国家が介入すべき公共の問題として扱おうとする姿勢だと考えられる。避難区域の従業員に部分的失業制度を適用するのも、赤字続きの製紙工場に何度も公的資金を投じるのも、根っこにあるのは「そこに暮らす人の選択肢を消してはならない」という発想なのかもしれない。

とはいえ、この発想には限界もある。経済相が指摘するように、際限なく公的資金を投じ続ければ、いずれ「誰が本当にコストを負担しているのか」という問いに行き着く。実際、Fibre Excellenceの労組代表は、従業員が「裁判所の判断に完全にかかっている」状態に置かれ、すでに家を売ることまで考え始めていると明かしている。国家が介入する意思を見せていても、それが具体的に労働者の生活を守る形に結実するまでには、政治的な駆け引きという長いトンネルが待っているのだ。

脱炭素化や気候変動による災害の頻発は、今後もこうした場面を増やしていくと考えられる。地方の工場や商店街が、ある日突然、市場の論理では説明のつかない理由で立ち行かなくなったとき、私たちはそれを「仕方のないこと」として受け入れるのか、それとも「守るべき公共のもの」として扱うのか。赤字でも失えば地域が成り立たなくなる仕事やサービスを、あなたなら何によって支えるべきだと考えるだろうか。

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