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見える罪、見えない被害――フランスの夏に問われる司法のまなざし
editorial

見える罪、見えない被害――フランスの夏に問われる司法のまなざし

2026/7/28

夏の南仏では、乾いた藪に火が広がる。そして、その炎を放ったとされる人物の姿は監視カメラに残る。

7月28日、南仏Var県の憲兵隊は、23歳の男を起訴し、勾留したと発表した。7月19日から24日の間にBrignoles、Cabasse、Vins-sur-Caramyで相次いだ出火の容疑者として、監視カメラの映像から特定されたという。最大で懲役15年、罰金15万ユーロが科される可能性がある。

県知事はXに「Ça suffit(もうたくさんだ)」と投稿し、放火を「刑事上も非難されるべき行為」と断じた。熱波のなか、火災への不安が高まる時期である。数日のうちに容疑者が特定され、身柄が拘束され、政治家も怒りを表明する。司法の動きは速く、誰の目にも見えやすい。

だが同じ週、別の捜査はまったく異なる時間を流れていた。

元外相ドミニク・ド・ビルパン氏は、在任中に受け取ったナポレオン像をめぐる国家金融検察局の捜査で「任意聴取」を受けていた。像を外務省に返却したのは4月末。仲介役とされる人物も聴取されたが、誰も拘束されてはいない。2027年大統領選への出馬も取り沙汰される人物が、である。

もちろん、放火と公職者の財産疑惑は同じ事件ではない。前者には火災が広がる危険と緊急性があり、後者には書類や証言を丁寧に積み重ねる捜査が必要になる。手続きを単純に比べることはできない。

それでも、監視カメラに映った23歳の男が勾留され、元外相経験者が「任意」の聴取を受ける。この並びは、人々にある問いを残す。社会は、どのような罪に急いで反応し、どのような疑惑には時間をかけるのだろうか。

ベルリンで露わになった「知っていたのに防げなかった」こと

7月25日、ベルリンではさらに重い事件が起きた。

プライド行進の関連行事の最中、白いバンが群衆に突入し、その後刃物による襲撃が起きた。死者1人、負傷者29人。死亡したのはポーランド国籍の女性だった。容疑者とされる21歳の男は翌日、警察の対応中に死亡した。

この事件で注目されたのは、容疑者とされる男が、すでに司法と接点を持っていたことだ。シリアのイスラム国に参加しようとしたとして有罪判決を受けていたが、未決拘禁の期間が考慮された結果、収監されないまま社会に戻っていた。

制度は彼を「知っていた」。しかし、知っていることと、危険を防ぐことは別である。その間には、制度だけでは簡単に埋められない距離がある。

事件後、ドイツ国内では司法の「不備」への批判が噴出した。極右政党の候補者は「融和政策」の終焉を要求した。一方でマクロン大統領や欧州委員長は、LGBTQIA+コミュニティーへの連帯を即座に表明した。

テロ対策の強化を求める声と、少数者を守ろうとする声。そのどちらも、悲劇の前では切実である。ただ、恐怖が高まるほど、この二つは一つの方向を向くよりも、互いを疑う関係になりやすい。欧州では近年、その緊張が繰り返し政治の場へ持ち込まれてきた。

カメラの外側で広がる恐怖

マルセイユでは、別の種類の見えにくさが問題になっている。

リアリティー番組出演者でインフルエンサーのカルラ・モロー氏の車が放火され、検察当局は「組織的な集団による恐喝未遂」などの容疑で捜査を始めた。背景には、DZ Mafiaを名乗る者による一連の暴力があるとされる。

7月にはガール県の市長がこの名義で脅迫を受け、警察の保護下に置かれた。覆面をした人物らは動画で関与を否定してみせた。顔を隠したまま、公にメッセージだけを発信する。

ここでは、南仏の放火事件とは違い、犯行の瞬間を捉えた映像があっても、背後にいる人々の輪郭までは見えない。誰が指示し、誰が実行し、どこまで組織が広がっているのか。匿名性は、組織犯罪にとっての盾にもなる。

放火犯は監視カメラに映る。だが恐喝のネットワークは、しばしばカメラの外側で動く。恐怖だけが先に街へ広がり、責任の所在は見えないままになる。

家庭の壁の内側にあったもの

もっとも静かで、もっとも長く見過ごされていた可能性がある事件は、ヴォクリューズ県オランジュから報じられた。

夫婦の自宅にあった複数の箱から、新生児5人分の遺骨が見つかった。妻は「妊娠否認」と呼ばれる状態を経て、先週末に健康な赤ちゃんを出産していた。夫が自宅を捜索して遺骨を発見し、当局に通報したのだという。

この事件には、監視カメラも、政治家の非難声明も、検察の迅速な発表もなかった。何年もの間、この家の中で起きていたことは、外から見えなかった。

フランスでは2015年、8人の新生児を殺害したとして起訴されたドミニク・コトレ被告に懲役9年の判決が下された際、陪審は被告の判断能力の低下を認めている。今回の事件がどう裁かれるにせよ、妊娠否認や家庭内の孤立のように、周囲が気づきにくい問題があることを思わせる。

家庭は、誰もが安心できる場所として語られがちだ。しかし同時に、外部の目が届きにくい空間でもある。その両面を、社会はどこまで理解できるのだろうか。

公平さは、見つける力にも左右される

南仏の放火、元外相をめぐる捜査、ベルリンの襲撃、マルセイユの恐喝、そしてオランジュの事件。五つの出来事を並べると、社会が何を見つけられ、何を見落とすのかという問題が浮かぶ。

映像に残る犯罪は、捜査の対象になりやすい。夏の火災のように、多くの人が直ちに危険を感じる事件には、政治的な反応も集まりやすい。

一方で、書類のなかに隠れた疑惑には時間がかかる。匿名の集団が関わる犯罪では、責任の輪郭をつかみにくい。そして家庭の壁の内側で起きることは、誰かが通報するまで外から見えない場合がある。

法の前の平等は、同じ条文を同じように適用することだけで決まるものではないのかもしれない。そもそも発見される事件と、発見されないまま残る出来事の間には、大きな差があるからだ。

日本でも、治安の高さへの信頼は強い。その一方で、取調べの透明性や、被害者が声を上げにくい構造、目に見えにくい差別への感度については、長く議論が続いている。

欧州では、人権を重んじる姿勢と治安への不安が、しばしば同時に語られる。テロ対策を強めれば、誰かへの疑いが広がるかもしれない。少数者の保護を訴えれば、安全への不安を置き去りにしていると受け取られることもある。

放火犯はカメラに捕らえられた。元外相は聴取を受けた。容疑者とされる男は、かつて有罪判決を受けながら社会に戻っていた。恐喝のネットワークは覆面の陰に隠れ、新生児5人分の遺骨は箱のなかにあった。

不安なとき、私たちは誰に厳しくなり、どんな被害には気づかずにいるのだろう。社会の公平さは、その問いにどう向き合うかにも表れるのかもしれない。

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