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退席する大使、逮捕されない首相――国際秩序を支えるのは法か、それとも力か
editorial

退席する大使、逮捕されない首相――国際秩序を支えるのは法か、それとも力か

2026/7/28

国際秩序は、会議室のなかで保たれているように見える。代表団が席に着き、規則に従って発言し、決議に票を投じる。しかし、その作法が数十秒で崩れる場面がある。

7月27日、ニューヨークの国連安全保障理事会で、フランスの大使が発言を始めた瞬間、米国代表団が席を立って部屋を出て行った。

のちに米国の次席大使ダン・ネグレア氏は、「この理事会のあるメンバーは道徳的な憤りを示し、皆に説教しようとしている」と語った。名指しはしなかったが、対象はフランスだった。

数日前、ジュネーブのフランス国連代表部はX(旧ツイッター)に、米国を北朝鮮やロシアと並べて「孤立している」と英語で投稿していた。発端は、米国が国連人権高等弁務官フォルカー・テュルク氏の任期更新に反対票を投じたことだった。反対したのは北朝鮮、ロシア、ニカラグア、マリ、そして米国だった。

大国どうしの小さな応酬にも見える。だが、この退席劇には、いまの国際政治を覆う問いが映っている。

国際秩序を支えているのは、誰もが従うべき法や規範なのか。あるいは結局、軍事力や経済力を持つ国の意思なのか。

ドローンがつなぐ報復の連鎖

同じ週、イエメンのフーシ派は、サウジアラビアの石油輸送関連施設をドローンで攻撃したと発表した。フーシ派によれば、サウジアラビアによるドローン侵入への報復だという。

双方の主張が独立に確認されているわけではない。とはいえ、こうした応酬はすでに繰り返されている。ここで前面に出るのは国際法や安保理決議ではなく、ドローンの性能と報復の論理だ。

同じ日、ウクライナのゼレンスキー大統領がホワイトハウスを訪れる数時間前、モスクワ州はウクライナのドローン390機超の攻撃を受けたとロシア当局が発表した。集合住宅や住宅が損壊したという。

外交努力が行き詰まるなか、長距離攻撃だけが激しくなっていく。ドローンは、遠く離れた場所から相手のインフラや住宅を射程に収める。軍事力の差があっても、攻撃される側の市民が抱く恐怖や不満までは消せない。

同盟もまた「負担」で語られる

米国防総省は同じ週、欧州における自国の軍事駐留を見直すと発表した。

国防副長官エルブリッジ・コルビー氏は、NATOが「欧州が通常戦力による防衛の主な責任を担う方向へ、迅速かつ不可逆的に前進する」ようにするための見直しだと説明している。

背景には、加盟国が2035年までにGDPの5%を安全保障関連支出に充てるとした合意がある。また、イランとの戦争中に自国基地の使用を拒んだ欧州諸国への米国の不満もある。

欧州では、米国との関係は単なる軍事同盟ではなく、戦後の安全保障秩序そのものとして受け止められてきた。それだけに、「価値観を共有する同盟」という言葉より、「誰がいくら払うか」という会計の言葉が前に出ることには重みがある。

同盟は理念だけで続くものではない。だが、負担の計算だけで語られるようになれば、互いに何を守るために結びついているのかという問いも残る。

逮捕状と大統領の約束

さらに、イスラエルのネタニヤフ首相は国際刑事裁判所(ICC)の逮捕状が出ている身でありながらワシントンを訪れた。

トランプ大統領は「米国にいる間、いかなる形でも逮捕されることはない」と断言した。ニューヨーク市長ゾーラン・マムダニ氏がネタニヤフ氏を「戦争犯罪人」と呼び、逮捕の可能性まで地元当局と検討したと述べたことも、この訪問を単なる外交儀礼ではないものにした。

問われたのは、国際法の実効性だった。

ICCの逮捕状があっても、それを執行するかどうかは各国の判断に左右される。法は存在していても、力を持つ国が異なる対応を取れば、その法は誰に、どこまで届くのかという疑問が生まれる。

フランスが米国を「孤立している」と名指しした一週間後、その米国はイスラエルの首相を国際刑事裁判所の手から事実上守ってみせた。この並びは、国際法をめぐる言葉と現実の距離を浮かび上がらせる。

フランスが抱える居心地の悪さ

フランスは、自らを「国際法と多国間主義の擁護者」と位置づけたがる国だ。人権理事会での投票行動を根拠に米国を名指しで批判したのも、その自己像に基づく振る舞いだろう。

ただし、フランス自身も安全保障理事会の常任理事国であり、核兵器を保有し、武器輸出でも存在感を持つ国である。

国際法や人権を語ることと、軍事力を持ち、それを背景に外交を行うこと。その間には、消えない緊張がある。米国代表団の批判は、フランスにとって痛いところを突くものでもあったのかもしれない。

これはフランスだけの問題ではない。国際法を重視すると語る国が、自国に不利な場面ではその原理を脇に置き、有利な場面でだけ掲げているように見えれば、その秩序への信頼は揺らぐ。

他国の市民は、何を根拠にその秩序を受け入れればよいのだろうか。

日本にもある、別の形の緊張

日本にとっても、これは遠い地域の出来事ではない。

日本は憲法上の制約を抱えながら、日米同盟による抑止力に安全保障の多くを委ねてきた国だとされることが多い。「平和国家」という自己像と、同盟国の軍事力に依存する現実との間には、フランスとは違う形の同じような緊張が存在する、と言えるかもしれない。

米国が欧州での駐留を「公平な負担分担」という会計の論理で見直し始めているいま、同じ論理が別の同盟関係にも及ぶ可能性は、想像に難くない。

米国では政権が変わるたび、国際機関との距離の取り方が振れてきたと言われる。ある政権は国際法を「普遍的な規範」として語り、別の政権は同盟や取引を「力の均衡」として語る。

NATOへの負担要求、ICC逮捕状の事実上の無効化、人権理事会での投票をめぐる応酬。今回の出来事は、後者の論理がいま優勢であることを示しているように見える。ただし、それは一連の出来事から読み取れる傾向であって、断定はできない。

法と力は、国際社会では切り離しにくい。法だけでは秩序を守れず、力だけでは信頼をつくれない。その間で各国は、自国の利益と掲げる原則を行き来している。

会議室から立ち去る代表団。逮捕されない首相。住宅や石油施設に届くドローン。

こうした光景を前にすると、国際秩序とは何によって支えられているのか、改めて考えたくなる。

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