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「誰かが私の証言を売った」——声を上げることと、まだ裁かれていない人を裁くことの間で
社会

「誰かが私の証言を売った」——声を上げることと、まだ裁かれていない人を裁くことの間で

2026/9/3

9月2日の夜、インスタグラムに一つの投稿が現れた。ベルギー出身のアーティスト、エレナ・ノゲラが書いたのは、こんな言葉だった。「誰かが私の証言を報道機関に売った。報道機関は何の道徳心もなくそれを利用している」。彼女は数か月前、警察で証言していた。司法当局は秘密を守ると約束していたはずだった。それが、パリ・マッチとRTLという二つのメディアによって、水曜日の朝には彼女の名前として世に出ていた。仮名は「セシル」だった。もう匿名ではない。

ノゲラが証言していたのは、歌手パトリック・ブリュエルから性的暴行を受けたという内容だった。彼女は一人ではない。この夏、ブリュエルに対する告訴・証言はfranceinfoの集計で約30件に達し、そのうち4件で彼は正式捜査の対象(mise en examen)となり、別の4件では「補助証人」という、より有利な法的地位に置かれている。67歳のブリュエルはすべての容疑を否定し、10月に予定していた35公演のツアーを中止した。弁護士のファニー・コランは、この中止は「自白ではない」と明言している。無罪推定は、法的には今も彼のもとにある。

この事件が突きつけているのは、単純な「加害者か被害者か」という二項対立ではない。むしろ、声を上げるという行為そのものが、誰によって、どの速さで、どこまで守られるのかという問いだ。ノゲラの弁護士ジャド・ドゥスランは、身元の公表について「この事件で事情を聴かれた複数の女性は、匿名でいることを明確に求めていた。今回の公表は、彼女たちの不安を増幅させるだけでなく、より広く、証言をためらっている人々を思いとどまらせる可能性がある」と述べた。RTLの記者マルク=オリビエ・フォジエルは、情報がすでに複数の編集部の間で出回っていたと説明している。つまり、司法が守ると約束した秘密は、司法の外側の、報道という別のシステムの論理の中で漏れていった。誰か一人の悪意ではなく、情報が「価値」を持ってしまった瞬間に、秘密は秘密でいられなくなる——そう読むこともできる。

その一方で、この事件のもう一つの顔がある。ブリュエルのツアー中止は、政治家や地方自治体の首長、フェミニスト団体が「舞台に立つな」と声を上げた結果でもあった。複数の申立人を代理する弁護士コリーヌ・エルマンは、この中止を「転換点だ。ようやく女性たちの声が聞かれた」と評した。彼女によれば、依頼人たちは「社会の何かが変わった」と感じているという。これは紛れもなく、被害を訴える側にとっての勝利の言葉だ。だが同時に、ここで見過ごされてはならないのは、ブリュエルはまだ、誰からも有罪と判断されていないという事実である。予審判事は今も、どの事件が時効にかかっているのか、事件同士に関連性があるのかを検討している段階にある。社会が「聞いた」速度と、司法が「証拠を精査する」速度は、まったく別物なのだ。この二つの速度の落差こそが、今回の事件が浮き立たせている構造そのものだと言える。

なぜこの落差が生まれるのか。文化産業という場は、興行主・自治体・観客という多数の利害関係者が絡み合い、一人のアーティストの評判が経済的な決定と直結する。ツアーを主催していたのはブリュエル自身が設立した会社「14プロダクションズ」であり、中止によるチケット払い戻しのリスクも本人側が負う形になった。司法の判断を待つ余裕が、経済的な時間軸には元々存在しにくい。首長やフェミニスト団体が公演中止を求めたのは、被害を訴える人々の言葉を無視できないという社会的な圧力の表れであり、それ自体は理解できる動きだ。だが、この圧力が「有罪判決に等しい社会的制裁」として機能してしまうとき、無罪推定という原則は、法廷の外側で静かに骨抜きにされていく。ここに、告発を受け止める社会の役割と、個別の証拠を精査する司法の役割との、埋めがたい緊張がある。

この緊張は、フランスに限った話ではないだろう。一般に、日本では被害を訴えることの難しさや、組織内で声が押し殺されやすい構造が課題とされることが多く、いったん報道された後は、告発した側が名誉毀損で訴えられるリスクを抱えることも少なくないと言われる。声を上げる前の壁と、上げた後の壁が、二重に存在するという指摘だ。一方、アメリカでは民事訴訟、報道、勤務先での処分といった複数の手続きが並行して進みやすく、刑事司法の判断が下る前に、社会的な影響がすでに大きく現れてしまう傾向があるとされる。フランスの今回のケースは、この二つの傾向の中間、あるいは両方の要素を同時に抱えているように見える——司法手続きは進行中でありながら、興行という経済的な場ではすでに「中止」という社会的な結論が先に出ている。欧州全体で見れば、個人情報保護や被害者の手続への参加を重視する制度が広がりつつあるとされるが、その運用には国や制度によって差があるとも言われており、今回のような匿名性の解除がどこまで防げるものだったのかは、今後も議論が続くはずだ。

もう一つ、視点を変えて考えたいことがある。同じ時期、レンヌ行政裁判所の副所長テュリアン・ジュノ氏は、行政訴訟の申立てにAIが使われるケースが増えていることに懸念を示した。架空の判例や誤った法的引用が交じった書類が増え、レンヌの年間申立て件数は約6,500件から2026年には約10,000件に達する見込みだという。表面上、ブリュエル事件とはまったく関係のない話に見える。しかし、この二つのニュースには、実は同じ構造上の問いが潜んでいる。声を上げる、あるいは訴えを起こす手段が広がり、件数が急激に増えていくとき、その一件一件を丁寧に検証し、当事者の防御権を守りながら処理する司法の能力は、果たして追いつけるのか。ブリュエル事件では、この夏だけで新たな告訴が約10件も積み重なり、弁護士の一人は「これほど多くの被害者が名乗り出ているのに、なぜこの事件の重大さを把握しなかったのか」と危機感を示した。これは声が増えたことを歓迎する言葉であると同時に、司法のリソースと検証能力への疑問でもある。声を上げやすくすることと、その声を一つ一つ公正に精査できる体制を整えることは、本来セットでなければならないはずだ。だが現実には、前者だけが先に進み、後者が追いつかないという事態が、形は違えど同時多発的に起きている——そう見ることもできるだろう。

これから先、ブリュエル事件はどこに向かうのか。予審判事は依然として、どの事件が時効を迎えているか、事件同士がどう関連しているかを整理する作業の途中にある。弁護士コリーヌ・エルマンは、未解決の連続犯罪を扱う「コールドケース部門」への事件付託を求める考えを示しており、事件がさらに大きな枠組みで扱われる可能性も残っている。一方でブリュエル側は無実を主張し続けており、彼にとっての「事態の沈静化」が、司法の結論を先取りする形で社会的な断罪に変わってしまわないよう、弁護側は今後も反論の機会を求めていくだろう。ノゲラのように、証言したことがそのまま身元の公表につながってしまった人々にとって、この事件の行方は、次に声を上げようとする誰かが、安心して口を開けるかどうかの試金石にもなる。

声を上げた人を守ることと、まだ裁かれていない人を先に断罪しないこと——この二つは、しばしば対立する要求のように語られる。だが、本当にそうだろうか。もしかすると、必要なのは対立を減らす制度そのもの、つまり匿名性を実質的に守れる仕組みと、証拠を丁寧に検証できる司法の余力を、同時に強くしていくことなのかもしれない。あなたの身近な場所で、誰かが声を上げようとしているとき、その声を守るための仕組みは、本当に十分だと言えるだろうか。

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