
ベビーカーの車輪と黒い投稿——声を上げた人が消えない社会をどう作るか
2026/9/4
リリア・メバルキアが息子の医療用ベビーカーを取りに出かけたのは、3月初めのある日だった。四つの車輪すべてに、ナイフで傷をつけられていた跡があった。「偶然の出来事ではありません」と彼女は語っている。彼女はヴァール県の上院選でLa France insoumise(LFI)の候補者名簿に名を連ねる活動家で、この出来事の前後、彼女のもとには殺害、レイプ、監禁を予告するメッセージが数千通単位で届いていた。発端は2026年2月、パレスチナをめぐるデモで彼女が党を代表して演説したことだったと、党側は説明している。8月には旅行中に自宅が空き巣に入られ、床や壁が荒らされた状態で帰宅することになった。
この話を単体のニュースとして読むと、「物騒な事件が一つ起きた」で終わってしまう。だが同じ時期、フランスでは似た形をした問題が複数、同時に動いていた。それぞれ登場人物も舞台も異なるのに、並べてみると一つの輪郭が浮かび上がってくる。暴力や脅迫を受けた人が、それでも黙らず、公共の場に立ち続けるために何が必要なのか、という問いだ。
9月7日には、性的暴力に抗する全国デモがフランスで再開される予定だ。きっかけは、11歳の少女リャンナが性的暴行を受け殺害された事件だった。このデモに参加する予定の脚本家・監督のアンドレア・ベソンドは、すでに4年近く、Instagramに「黒い投稿」と呼ばれる発信を毎日続けている。加害者や制度に向けて語りかけ、社会の暴力の深さを測り、被害者を忘れないよう呼びかける行為だ。彼女自身は「私は代弁者ではない」と言うが、そう名乗らないことによってむしろ人々を団結させている、というのが本人の説明である。
そのリャンナ事件は、別の場所でも波紋を広げていた。ジェラルド・ダルマナン法相が、未成年者への性的暴力事件の処理について検察が抱える「困難」をまとめた12ページのメモを内相に送ったところ、判事の労組と国家警察のコミッショナーの労組が共同で反発した。「幽霊案件」「捜査の放棄」「人員不足」といった表現が、警察と司法をスケープゴートにしているというのが両組合の主張だ。ローラン・ニュネ内相も、案件が司法の記録に登録されていないからといって忘れられているわけではない、すべての案件は処理されていると反論した。ここで起きているのは、被害の可視化を求める声と、それを受け止める制度側の自己弁護がぶつかり合う構図である。声を上げることと、それを受け止める仕組みが機能しているかどうかは、必ずしも同じ速度で進まない。
さらに視線を国外に移すと、トーゴで拘束されていたフランス人記者2人、ガエル・モカエールとセバスティアン・ペレス・ペッツァーニが、9月1日に暫定的な釈放を認められ、出国を許可された。国境なき記者団の事務総長ティボー・ブリュタンは、彼らの健康状態は良好だとしつつ、「訴追手続きとして、まったく不釣り合いな事態に直面していた」と述べている。彼が懸念していたのは、この問題が司法手続き化し、捜査と裁判、控訴審へと引き延ばされていくことだった。記者が拘束されるという事態そのものより、それが長期化し、うやむやのまま宙に浮くことのほうが、報道の自由にとって重い足かせになる。ブリュタンの言葉を借りれば、「大したことでもないのに、あら探しをされたようなもの」だったという解決の仕方自体が、この問題の根深さを示している。
そして同じ週、米国のフェミニズムを代表するジャーナリスト、グロリア・スタイネムが92歳で死去した。彼女は1963年、プレイボーイクラブに潜入取材し、そこにある性差別を描いたことで知られるようになった。1969年には人工妊娠中絶を経験した女性たちが体験を語る集会を取材し、それが自身の目覚めになったと語っている。「それによって自分自身の経験に意味が与えられた。私は中絶を経験していたが、そのことを誰にも話していなかった」と、彼女は後に書いている。1970年代には全米女性会議を組織し、フェミニスト誌『Ms.』を創刊した。2017年、80代になっても「女性の行進」で演説を続けた彼女の軌跡は、個人の証言が運動になり、運動が制度化された雑誌や集会になっていく過程そのものだった。
ここまでの五つの出来事は、一見すると無関係だ。上院選候補への脅迫、法相と判事・警察の対立、性暴力デモとInstagramの発信、トーゴでの記者拘束、米国フェミニストの死。しかし共通しているのは、暴力や妨害によって誰かが公共の場から退場させられそうになったとき、その人を留まらせるものが何であったか、という一点だ。メバルキアを留まらせたのは、党の活動家が近所を巡回し、警護がついたという、組織的な支え。ベソンドが語りかける先には、デモという集団的な受け皿がある。トーゴの記者たちを最終的に国外へ送り出したのは、国境なき記者団という団体の圧力だった。スタイネムを一人の告白から運動の象徴に変えたのは、雑誌という制度化された発信の場だった。
逆に見過ごされがちなのは、判事と警察の労組が反発した場面だ。ここでは「声を上げること」自体が制度側への攻撃と受け取られ、被害の可視化を求める声と、それを支えるはずの機関が、支援ではなくスケープゴート探しとして対立してしまっている。声を上げた人を支える基盤が、時にその声に苦しめられる側からも軋みを上げるという、もう一段厄介な構図がここにはある。
フランス社会では、こうした場面でデモや労組、報道の自由を守る団体が、個人の証言を集団の力に変換する回路として機能してきたようだ。メバルキア自身、「誰が民主的な生活に参加するか、しないかを決めるのは、こうした人たちではありません」と語っている。この言葉が説得力を持つのは、彼女の背後に党の活動家という具体的な支え手がいたからだろう。個人の勇気だけでは、脅迫の前で長くは持たない。
日本では、被害を申告した人が職場や地域で孤立してしまうことへの懸念が、しばしば語られる。声を上げた後にどこへ相談し、誰が具体的に守ってくれるのか、その窓口の存在と使いやすさが、フランスにおける労組やデモ組織の役割と同じ機能を果たせるかどうかが問われることになる、と言えるだろう。米国では、訴訟や運動、党派対立が可視化を後押しする一方で、それが標的化を強める場合もあるとされることが多い。スタイネムの半世紀にわたる活動は、その両方の顔を体現していたのかもしれない。
この先、フランスでは9月7日のデモが一つの試験台になる。声を上げた人々がそこに現れ続けるかどうかは、警護や労組の支援、団体の存在といった、制度的な基盤がどれだけ機能するかにかかっている。ダルマナンのメモをめぐる対立が示すように、支援すべき側同士が責任の押し付け合いに陥れば、被害者はその隙間に取り残される。
被害を受けた人が発言や活動を続けられる安全は、誰が制度として保障すべきなのだろうか。個人の勇気を称えるだけでは、次にベビーカーの車輪を傷つけられる誰かを守ることはできない。読者であるあなたの身の回りに、声を上げた人を実際に支える仕組みは、どれだけ具体的な形で存在しているだろうか。