
「捜査中です」と言われた被害者は、そのあとどこへ向かえばいいのか
2026/9/11
Tシャツの裾を引っ張った瞬間、指先が濡れていることに気づく。オードレさんは9月6日、スタッド・ヴェロドロームの観客席でOM対パリFC戦を観戦していた。後ろに座った男性が何度も体をかすめてくる感覚があり、ハーフタイムに服を確認すると液体が付着していた。あとになって、それが精液だったと理解したという。彼女はスタジアムの警備員に伝えたが、その場では対応してもらえなかった。警察とサポーター団体には自分から連絡した。TikTokに投稿した動画は数万回再生され、支持のコメントが並んだ一方で、彼女が最初に頼ろうとした「その場の組織」は、対応できないという返事しか返さなかった。
この一件だけを見れば、現場の警備員の判断ミスに見えるかもしれない。しかし同じ週、フランスの別の場所で起きていた出来事を並べてみると、輪郭がはっきりしてくる。
サロン=ド=プロヴァンスの女子ラグビークラブでは、選手たちが本人の知らないうちにシャワー室で撮影された動画が男子選手の間で出回っていたと訴えている。選手たちが被害届を出そうとすると、クラブ内から「出すな」という電話がかかってきたという。警察署に2度足を運んだが、いずれも「動画そのものがない」という理由で受理されなかった。最終的に検察官へ直接申し立て、3月30日に捜査が始まったが、選手たちが選んだのは、クラブに残ることではなく全員での退部だった。組織に守られなかったと感じたとき、被害者にできることは、その組織を去ることしかなかった、とも言える。
サンテティエンヌでは、前市長ガエル・ペルドリオ氏が、当時の筆頭助役ジル・アルティグ氏に対するセクステープを使った脅迫の罪で、控訴審でも実刑4年を言い渡された。事件の発端は2015年、アルティグ氏が知らないうちにホテルの一室で撮影されたことだった。判決までに10年かかったことになる。アルティグ氏は「これで一区切り」と語りながらも、「大きな苦痛を味わった」「ひどく打ちのめされた」という言葉を選んだ。権力を持つ側が、無断で撮られた映像を武器に変えるまでの間、周囲の組織や制度は何をしていたのか——判決が出た今も、その問いは残る。
もっと大きな構造として姿を現すのが、児童買春サイト「Sexemodel」をめぐる捜査だ。パリ検察は、未成年の少女らしき人物のプロフィールが数百件掲載されているとされるこのサイトについて捜査を始めた。子ども担当高等弁務官サラ・エル・アイリ氏は検察とArcom(視聴覚・デジタル通信規制機関)の両方に通報している。サイトの中心人物とされる人物はスイス国籍でドバイに拠点を移しており、フランス当局が国際逮捕状を求めても、売春広告サイト自体がスイス法上合法であることを理由に執行が拒まれてきたという。中央人身売買取締局の責任者は「数千件の広告の中に犯罪に当たるものがあると十分に分かっていながら、極めて偽善的な態度を取っている」とスイス側を批判している。ここでの「組織」は一クラブや一自治体ではなく、国境をまたぐプラットフォームと、それを黙認してきた法域そのものだ。
そして、パリの放課後保育(périscolaire)をめぐる捜査は、この構造の一番厄介な部分をあぶり出している。パリ検察には現在およそ235件の捜査が184の施設を対象に進行中で、パリ検事正ロール・ベキュオ氏はこれを「まさに司法の津波」と呼んだ。同氏が認めたのは、捜査の長期化そのものよりも、家族への説明不足が「二次被害」を生んでいるという事実だ。「捜査中です」とだけ告げられ、それ以上何も知らされない状態が続けば、被害者やその家族は、司法制度そのものにさらに傷つけられることになる。検察は9月1日から27項目の行動計画を始動させ、そのうち4項目を優先実施するという。捜査の進み方や聴取の意図を丁寧に説明すること自体が、被害者支援の一部として制度化され始めている。
こうして五つの出来事を並べると、共通しているのは「加害の内容」ではなく「組織の初動」だという事があらわになる。クラブは被害届を止めようとし、警察署は書類上の理由で受理を渋り、スタジアムの警備員はその場で立ち止まり、国家間の法制度の違いが捜査そのものを止める。被害者が声を上げてから、実際に安全や説明が届くまでの間には、常に空白の時間がある。そしてその空白を埋めるかどうかは、当事者の意思よりも、組織がどれだけ「評判より安全」を優先する制度と文化を持っているかにかかっている。
フランスでは近年、この空白そのものを問題として名指しする動きが目立つ。検事正が「二次被害」という言葉を公式に使い、行動計画として制度化しようとする姿勢や、子ども担当高等弁務官が検察とデジタル規制機関の双方に通報するという複線的な動きは、被害者個人の告発を、組織・行政の応答責任へと接続しようとする試みに見える。もちろん、Sexemodelの事例が示すように、制度化しようとしても国境や法域の壁にぶつかることは多く、理念と実務の間には大きな距離が残っている。
日本ではどうだろうか。一般に、被害を申告すること自体への心理的なハードルや、学校・競技団体・企業といった組織が名誉や評判を優先しがちだという指摘は、しばしばなされる。フランスの事例と単純に比較できる具体的な制度上の違いを断定することはできないが、「捜査中です」という一言の先に何があるかを説明する仕組みが整っているかどうかは、どの国であれ問われる普遍的な論点だろう。被害者支援の窓口が用意されていても、それが「組織の防衛」のためではなく「被害者の安全」のために機能しているかは、また別の問題だからだ。
今後、パリ検察の27項目の行動計画がどこまで実効性を持つか、Sexemodelをめぐる国際司法協力がスイス側の対応を動かせるか、そしてサロン=ド=プロヴァンスのクラブが選手たちに約束した「捜査結果に応じた対応」が本当に果たされるかは、いずれも見届けるべき試金石になる。
組織が「事実確認中」と答え続けている間、被害者は日常生活を送りながら、判決や結果を待つしかない。その待ち時間の安全を誰が保障するのか。あなたの職場や、あなたの子どもが通う場所に、同じ問いを向けたとき、答えはすぐに出てくるだろうか。