
痛みを語る人、聞く人――フランスの「告白」が問いかける、共感のあとに残るもの
10月11日の日曜日、サン・ピエトロ広場。「アンジェラスの祈り」を終えたローマ教皇レオン14世は、集まった人々に自分の体のことを語り始めた。「医師たちは介入が必要だと判断した。その助言に従い、摘出手術を受けることを決めた」。肺に見つかった結節を、数日中に摘出するという。71歳の教皇は、結節は「早期の段階で発見された」と述べ、安心するよう呼びかけた。
バチカンの報道官によれば、手術は月曜から始まる週の初めで、場所はローマのジェメッリ病院。入院は約1週間の見通しだ。
ここで私が気になるのは、教皇が語ったのが「痛み」そのものではなく、聞き手を落ち着かせるための言葉だったことだ。以下は事実ではなく、私の読み方である。病を公にすることには、本人の経験を差し出す面と、周囲の不安を引き受ける面が同時にある。教皇のような立場では、後者が前面に出るのかもしれない。
では、そうした立場にない人が自分の病を語るとき、何が起きるのか。今週フランスのニュースを見渡すと、「私的な痛みを公にする」さまざまな形が、偶然にも並んでいた。
27歳のアスリートは、日々の病状を発信し、テレビでも語る
七種競技の選手エリザ・ピノーは27歳。若年カテゴリーで国際大会に出場した経験を持つ。見出しに掲げられた本人の言葉は、「乳がんになった。27歳で、トップアスリート」だ。彼女は3月以降、ソーシャルメディアで病気と向き合う日々を発信してきた。10月には、フランス・テレヴィジオンの企画で、毎週自身の闘病について語るという。
報じられている範囲で分かるのは、ここまでだ。語る場が個人のSNSから、公共放送の枠へと広がっていることは事実として指摘できる。
その先は推測になる。発信の場が広がるほど、本人の語りは「個人の記録」から「見られるもの」へ変わっていくだろう。そのとき、聞き手は何を受け取ることになるのか。励まされた、泣けた、で終わってしまえば、語りは感情を動かす素材として消費されて終わる。若いトップアスリートという肩書が、病気の告知と競技生活への影響という問題を、人々の目に見える形にしている面もあるはずだ。そこに誰かの理解が生まれる余地がある。同時に、語り続けることが本人への期待や義務に変わる危険もある。この二面性を、記事は直接論じていない。
沈黙の多い家で育った女優は、笑いを使って語る
一方、語り方そのものを芸術にしている人もいる。パリのル・リュセルネールで11月15日まで上演されている舞台「Touchée par les fées, ultima verba」で、アリアーヌ・アスカリッドは、自分の子ども時代から芸術家として歩み始めるまでを語る。脚本はマリー・デプルシャン、演出と振付はティエリー・ティウ・ニアンだ。
franceinfoの記事によれば、舞台に描かれる子ども時代は、少し浮気性の父と、沈黙の多い母に彩られている。両親はあまり話さず、互いに言葉も交わさない。「叫び声よりも大きく響く沈黙がある」と記事は書く。そして、「エドゥアール・ルイの作品みたい?」と自問したうえで、「いや、そういうわけではない」と続ける。彼女はダンスのステップや身振り、まなざし、いつも何かを腑に落とすひと言によって、つらい瞬間を乗り越えていくからだ。
ロベール・ゲディギアンからの大笑いを誘うプロポーズのような、爆笑の場面もある。笑いが「人生の痛みや障害を吹き飛ばす」と記事は表現している。観客は約1時間、彼女についていくというより、友人に寄り添うように歩みをともにするのだという。
ここで注目したいのは、痛みの語り方を選んでいるのが本人だという点だ。家族の沈黙という重い題材を、観客に負担を押しつける形ではなく、ともに歩ける形に整えて差し出している。これは評者の描写に基づく私の解釈だが、「聞き手に何を求めるか」が舞台の設計に織り込まれているように見える。
語れなかった父と、語りそこねた少年
同じ週に公開されるアニメーション映画『Le Corset』は、逆の側から問題を照らす。ルイ・クリシー監督が長年温めてきた個人的な企画で、カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門で審査員特別賞を受け、アヌシー国際アニメーション映画祭でも観客賞などを得た。公開は10月14日だ。
舞台は1980年代のボース地方の農場。11歳のクリストフは頭が横に傾き、ときに転ぶ。医師たちは、転倒を防ぎ脊柱を矯正するため、金属製のコルセットの常時着用を求める。一方、羊を飼っていた両親は、穀物栽培への転換を勧められて融資を受けるが、父親は借金を返せず、無力感から沈黙に閉じこもっていく。クリストフは身体の障害を理由に、農作業からも農場の問題からも遠ざけられている。それでも両親を、とりわけ父を手伝いたいと願う。初めての恋心を両親と分かち合おうとするが、うまくいかない。
この作品に描かれているのは、語ることの難しさだ。父は語らず、息子は語っても届かない。誰かが痛みを抱えているとき、周囲が「傷つけたくないから触れない」と選ぶ場面を、映画は静かに映し出す。ここから先は私の読み方だが、守るつもりの沈黙が、結果として当人を課題の外へ置いてしまうことがある。この物語はそれを示しているように見える。
アスカリッドの舞台が「沈黙の多い家」を笑いに変えて語り直すのに対し、『Le Corset』は沈黙の只中にいる人間を描く。二つを並べると、語ることは目的ではなく、他者との関係をつくる手段なのだと感じられる。
「怖かった」と後から言えること
もう一つ、小さな告白がある。『レ・ミゼラブル』の新作映画でジャン・バルジャンを演じたヴァンサン・ランドンは、インタビューで、撮影を始めた頃の自分についてこう語っている。「怖かった。自分には資格がないと感じていた。体格が足りない、彼のほうが自分より大きく、強いと思っていた」。ひげの毛さえ、彼のほうが立派だと思っていたという。監督に「正気なのか、目を覚ましてくれ」と言いたかったとも。
興味深いのは、その直前に彼が、今インタビューで話している「何も考えず突っ込んだ」という説明は、受験を終えた人が来年の受験生に「試験なんて簡単だ」と言うのと同じだ、と断っていることだ。つまり、痛みや恐れは語られた時点で、すでに事後的に整理された物語になっている。これは本人の言葉から読み取れる事実だ。そしてそこから私が引き出すのは、聞き手は語られた物語を、そのときの感情と同一視してはいけない、ということである。
ランドンはまた、ヴァルジャンを、今日のフランスでも世界でも「私たちが皆待っている人物」と位置づけた。政治にも、慈善団体のトップにも、大企業の経営陣にも待たれているのは、間違ったときにそう認め、責任を負い、弱い立場の人を救うためには何でもする人だ、と。ここで言われているのは、個人の誠実さへの期待が、制度や組織の側に向けられているということでもある。
理解と負担をわけるもの
ここまでの話をまとめてみる。
教皇は聞き手を安心させるために語った。ピノーは日々の状況を発信し、公共放送でも語る。アスカリッドは舞台で、笑いを交えて語る。クリストフの父は語らず、ランドンは後から恐れを語った。語り方も、語る場も、聞き手に求めるものも、それぞれ違う。
ただ共通して言えそうなのは、語る人の主体性と、聞く側に生じる期待とは別の問題だということだ。語る人は、自分で語り方を選んでいる。しかし社会の側が「語ってくれてありがとう、感動した」で済ませると、その人は感動を提供する役割を担い続けることになる。逆に、語らない選択をした人に「なぜ言ってくれなかったのか」と迫れば、それもまた負担になる。
日本の場合はどうだろう。一般に、日本では病や苦労を「人に迷惑をかけない」ために伏せる傾向があると言われることが多い。また、告白された側が「頑張って」「応援しています」と励ますことで、会話が閉じてしまう場面も少なくないとされる。米国については、自己開示を重んじる文化だと語られることがあるが、ここでは根拠となる事実が原文にないので、深入りしない。どの国でも言えそうなのは、本人が語ることを選ぶ権利と同じだけ、語らない自由が守られているかどうかが試されるということだろう。
これから問われること
今後の見通しも、事実ではなく私の予測である。
ピノーの闘病は、これからも発信され続けるだろう。教皇の手術も予定どおり行われれば、続報が出るはずだ。そのとき報道や視聴者が、「頑張る姿」ばかりを消費するのか、それとも病気と競技生活の両立や、周囲の支えの課題へと目を向けるのかで、公の語りの意味は大きく変わる。『Le Corset』が描く農村の経済変化と、父子の沈黙のように、個人の痛みの背後には、家族や社会の事情が必ず横たわっている。
誰かが痛みを語ったとき、私たちは共感だけでなく、何を受け止めるべきなのか。
私なりの答えは、語られた物語の外にある事情に耳を澄ますこと、そして、語らない人を急かさないことだ。あなたが最後に誰かの告白を聞いたとき、その人の「次」に、あなたは何ができただろうか。
出典
- franceinfo (titres):"Touchée par les fées, ultima verba" au Lucernaire : la générosité d'Ariane Ascaride (2026/10/11)
- franceinfo (titres):"Le Corset" : un "enfant penché" au cœur du film d'animation de Louis Clichy qui a enchanté les festivals de Cannes et d'Annecy (2026/10/11)
- franceinfo (titres):Le pape Léon XIV annonce qu'il va être opéré d'un nodule au poumon "dans les prochains jours" (2026/10/11)
- franceinfo (titres):"J'ai un cancer du sein, j'ai 27 ans, je suis sportive de haut niveau"... L'heptathlète Elisa Pineau face à l'annonce de sa maladie et ses conséquences (2026/10/7)
- franceinfo (titres):ENTRETIEN. "On attend tous des Valjean aujourd'hui, en France et dans le monde" : Vincent Lindon, à sa place dans une nouvelle adaptation rutilante des "Misérables" (2026/10/11)