フランス人の伝える広島

日本が好きなフランス人は今では珍しくは無いかも知れない。日本に住んでいるフランス人の中には第2の故郷だなんて言う人は結構多いし、ヨーロッパ人の中でもフランス人が日本の文化について一番良く理解している、またはしようとしていると感じる日本人も多いようだ。
原爆被災地の広島をテーマにした作品として有名なのはヌーヴェルヴァーグ真最中の1959年フランス映画(日仏合作)アラン・レネの長編デビュー作の「二十四時間の情事(Hiroshima,monamour/ヒロシマ、我が愛)」だろう。この作品は初の日仏合作映画で、広島が舞台となっている。
さて、フランスでそこそこ話題となった元Cafedefloreの御曹司、クリストフ・ブバルが書いた広島の原爆を題材にした小説が昨年出版され、この日本語版が日本でも発売された。処女作は「カフェ・ド・フロールの黄金時代」という彼は熱烈な東洋文化の愛好家だ。
本作は広島に落とされた原爆の犠牲になった女性の霊が、たまたま被災地の撮影に訪れた若い映画作家に取り憑き、周辺の人の命を奪いつつ2人の宿命的な愛の結びつきのままパリに移住し、、、と言う内容だ。作者としては日本の若者に対しての書かれていて、彼自身も広島と長崎に行き、史実に正確であるように務めたという。
もちろん小説ではあるが、興味深いのは西洋の名言や聖書からの引用などが散りばめられており、ヨーロッパ人がどういう認知をしているのか、またその感性などが垣間見られるとおもう。例を挙げれば、第1章に先立ち黙示録からの引用が記載されているのだが、キリスト教圏からはこういう風にとらえられるのか、こういうバックグラウンドに繋がるのかと知ることが可能だ。
登場人物も日本人であり、日本の感性や心情に大きく触れている。これは逆にフランス人が日本の感性を理解するのに役立つかも知れないが、ちょっとごちゃごちゃになっている様な気がする。作者が読者に分かりやすくするために注釈をつけているようだが、この注釈が正直言って正しくない。「阿弥陀仏」には、仏陀の日本語名とされているし、「鳥居」は寺の入り口にある門とされている。この辺の所からか極一部良く分からない表現がある。
細かいところを除けば、日本人が書いた小説の様にも感じるし、いわゆる単なる原爆反対の思想の本では無く、パリへ行った後の描写も楽しめるのではないかと思う。
 白い影の女―癒える日遠くヒロシマ-パリ
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 カフェ・ド・フロールの黄金時代―よみがえるパリの一世紀
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 二十四時間の情事(DVD)
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フランス発、メートル法とサミット

フランス由来のものとして、前回のテーマだったフランス革命で産まれたメートル法がある。メートル法というと1メートルとか2kmのように使われる長さの単位だが、その他重さや面積などを表す単位なども同時に設定された。

日本ではメートルは「米」と記載される事があり、特に平方メートル(m2)は「平米」なんて言われる。これは単に発音から「米」になったと思われるが、フランス由来でアメリカでは使われていない単位が「米」とは皮肉だ。

世界中にあった単位を統一するために、1791年フランスの国民議会議員のタレーラン・ペリゴールの提案で始まり、当時はイギリスと共同で進めるはずだったが、革命の影響を恐れられて、フランス単独で行うことになった。

世界共通の単位にするために地球の長さを根拠にしたが、当時ヨーロッパで使われていたcubit(肘から中指までの長さが1単位)を2倍にした長さに近く、現在では真空中の光が約3億分の1秒進む距離と定義されている。

また、先日ロシアで行われたサミットも提唱者はフランス大統領だ。1973年のオイルショックから始まった世界的な不況を基に経済関連の討議を行うために1975年ヴァレリー・ジスカールデスタン・フランス大統領が、フランス、西ドイツ、イギリス、イタリア、アメリカ、日本の首脳をランブイエに招待し始まった。現在ではカナダやロシアが加わりG8と言われるが、会議にはEU、国連、ブラジル、中国、インド、南アフリカ、メキシコの首脳が参加する。

最近アンテンヌフランスのタイトル付近に8桁の数字が表示されるようになったが、これは国際標準逐次刊行物番号(ISSN)で、ユネスコとフランス政府によって設立された。この話に関してはまた近い将来記事になるだろう。

フランス革命記念日

今日7月14日はフランス革命記念日です。日本では「パリ祭」として、主にホテルやフランス・レストランなどでイベントや特別メニューが出る日として定着していますね。フランス革命はバスティーユ牢獄を攻撃、囚人を解放し、国王や貴族などを大量に処刑するためにギロチンが使われたと言うイメージがあります。それなら、やっぱりメニューは血の滴るステーキが最適でしょう。

日本人から見るとフランスはテクノロジー的に遅れている感がありますが、フランス人は結構発明家だったりします。前出のギロチン(Guillotine)も1792年4月25日にフランスで正式に処刑道具として使われました。歴史の授業でも習ったと思いますが、元々貴族は断首、平民は絞首刑でしたが、首切り役人が下手であると非常な苦痛を伴うことで、議員で内科医のジョゼフ・ギヨタンが提案し、当初は笑いものにされていましたが、最終的に採用されました。このあたりは切腹の時に介錯人(斬首する人)が下手だと大変と言う話に似ています。

設計は外科医のアントワヌ・ルイが依頼を受け、刃を斜めにするなどの改良を加えました。この機器の名称は正義の柱(Boisde Justice)ですが、設計をしたルイ(Louis)からルイゼット(Luoisette)などと呼ばれた事もあります。結局、人道的なギヨタン医師の方が有名になりGuillotineと呼ばれるようになりました。ちなみにギロチンにかけることをguillotinerと言います。

当初のギロチンは刃が内側に反っていたために切れ味が悪く一撃では切れませんでしたが、国王ルイ16世の提案で刃を外側に反らせることにより、当初の目的通り斬ることが出来るようになりました。皮肉なのは、そのルイ16世もこのギロチンで処刑されたのです。何とフランスでは死刑制度が廃止された1981年までギロチンが使われていました。

このフランス革命は非常に血なまぐさいイメージがあり、バスチーユ牢獄襲撃後、市民階級が掌握した国民議会では、ロベスピエールによる恐怖政治が行われ、たくさんの人がギロチンにかけられます。そのロベスピエール自身もギロチンにかけられます。ロペスピエールが倒されるまでに処刑された数は1832件、内閣が逮捕令に署名した数は542件と、戦争などによる死者に比べれば圧倒的に少ないと言われています。

また、国歌「ラ・マルセイエーズ」はこの革命でマルセイユ市民がパリに向かって行進したときに歌われた曲ですが、元々はストラスブールで作詞作曲されたものです。

革命後、国王が逮捕されたことに危機感を覚えたプロイセンとオーストリアは共同でフランスに武力介入を行い、ルイ16世はフランスを敗戦に導くことを目的に宣戦布告をしました。この宣戦布告がアルザスのストラスブールに届き、ライン川を挟んで敵国に隣接するこの街は熱狂し、市民の間で流行っている革命歌が下品であるために軍ではふさわしくないとして、音楽の才能のあるルジェ・ド・リール市長に依頼さら一夜のうちに作詞作曲されるのです。

この曲は「ライン軍のための軍歌、リュックネール元帥に捧ぐ」という名前で印刷されて出回ったのですが、商人や様々な人の手をわたり南フランスまで、この歌詞がマルセイユの新聞に掲載されました。

また、オーストリアとの戦争は敗戦を重ね、首都パリを防衛するため義勇軍を全国から集められます。この際にマルセイユの義勇軍は出会う人にこの歌詞を書き写したのもを配ったり、歌って聞かせたりしていき、この歌が「マルセイユ人の歌」と認知されるようになりました。パリに入ってからも、乱闘やテュイルリー宮襲撃でも歌い、革命の象徴となりました。

恐怖政治が終わり、テルミドールの反動政治では至る所で革命に反動的な民衆や王党派のテロなどが発生し、これを懸念した議会が1789年7月14日のフランス革命から6年後の1795年7月14日に正式に国歌として制定されました。

この国歌としては、革命的な性格ゆえに禁止されたこともあったり、カトリック教会からは悪意をもたれていたり、内容が過激なために議論されたりしています。

クリアストリーム疑惑、次期大統領選にも影響か。

日本では民主党のメール疑惑にうんざりさせられたのもつかの間、実はフランスでももっと大きな「偽物」にまつわる疑惑問題が浮上していた。今、フランス政界が大きく揺さぶられている。

フランス人が口をそろえて嘆く国内事情が、この「クリアストリーム疑惑」。来春には大統領選を控えこの賄賂に関するスキャンダラスなニュースでもちきりとなった。シラク大統領とドビルパン仏首相が、大統領選の最大のライバルとされる国民的人気の高いニコラ・サルコジ仏内相の失脚を画策したというものだ。

ことの発端は、ルクセンブルクのクリアストリーム銀行に賄賂受け取りのための隠し口座を持つフランスの政治家・財界人のリストが、匿名の告発状とともに政府に届けられたことから始まった。このリストにはサルコジ内相の名前が含まれていた。

その後の調査で、告訴状には文書改ざんが発見され偽物だったと判明しているが、この偽密告状に従い、ドビルパン首相がサルコジ仏内相を失脚させるため、秘密裏の捜査を命じたという疑惑が浮上。しかもドビルパン首相の後ろ盾がシラク大統領だったとされ事態はますます混乱を招いた。

ドビルパン首相は当初、大統領の指示があったことは認めたが、サルコジ氏への特定捜査の指示は強く否定した。ところが、ドビルパンから捜査を依頼されたロンド将軍が、同問題を捜査している予審判事に対して、首相の指示にサルコジ氏が特定されていたと証言し、疑惑は深まっている。

また、シラク大統領はサルコジという政治家個人を調査依頼した覚えはないと主張。首相と大統領は疑惑の否定に躍起になっている。

5月末には就任1年を迎えたドビルパン首相。1年間の成果としては失業率が10ヵ月間で10.1%から9.5%まで低下したものの、若者向け新型雇用契約のCPE導入は失敗、昨年秋から年末にかけては若者の暴動事件が続いたことも記憶に新しい。そして、追い打ちをかけるように今やクリアストリーム事件の渦中の人となった。同僚議員の失脚を画策した事実を否定する証拠が出ない限り、政治的信頼を回復することは難しいだろう。

ムハンマド騒動、そのときフランスは。

デンマークの新聞が掲載したイスラム教の預言者ムハンマドの風刺漫画問題は世界中に波紋が広がっています。日本国内でも世界各地で抗議するイスラム教徒達の姿が報じられています。しかし気になるのが、問題の火種となった風刺漫画そのものを見ることはなく、風刺漫画の何がそんなに彼らを暴動に走らせたのかはっきりと見えてこないことでしょう。
というのも、イスラム教への配慮もあり世界中のメディアが細心の注意を払ってこのニュースを扱っているからです。例えば米国で風刺漫画の転載に踏み切ったのは地方有力紙を含む数紙だけと言われています。ニューヨーク・タイムズなど主要紙は「掲載の必要はない。イスラム教徒への侮辱になる」として転載を見合わせました。
世界最大のイスラム人口を抱えるインドネシアの警察当局は、タブロイド紙「ペタ」が転載したとして、同紙の編集長を不敬の疑いで事情聴取しています。有罪となった場合は、この編集長は最高で禁固5年の刑が科せられます。マレーシア政府は転載をした英字紙サラワク・トリビューンの発行免許の無期限停止を閣議決定しています。
しかし一方では、ニューヨーク・プレス編集長などスタッフ4人は、転載を経営陣に認められなかったことに対して抗議の辞任をしています。編集長であればもちろん「転載して、ことの火種、事実を伝えるべきだ」と思うでしょうし、経営陣であれば「転載したことが発端で新たな暴動を巻き起こすのはさけたい。イスラム教徒の非難を買うのは得策ではない」と考えるのは当然でしょう。
さて、欧州で最も多いイスラム教徒人口500万人を抱えるフランスも、まさに渦中の国となりました。
転載の先陣を切った「フランス・ソワール」紙では、局長がエジプト系フランス人の社主に解雇される事態に。
続いて3日付のフランスの有力紙ルモンドは1面に、イスラム教の預言者ムハンマドの顔とみられる風刺漫画を掲載しました。「私はムハンマドを描いてはいけない」というフランス語の文を縦、横にたくさん書いて、全体としてムハンマドとみられる人物の顔を浮き彫りにしています。同紙は同時に社説で、「イスラム教徒にはムハンマドを風刺した絵はショックかもしれないが、民主主義においては、人権を踏みにじるケースを除き、言論を取り締まることはできない」と表現の自由を主張。
また、先週8日発売されたフランスの週刊紙2紙が風刺漫画を相次いで掲載。イスラム教徒を挑発したとも受け取れる内容で、シラク大統領が同日直ちに風刺漫画掲載を非難しています。
ひとつめは政治風刺で知られる漫画週刊紙の「シャルリー・エブド」。一面に「原理主義者に弱り果てたムハンマド」の見出しで、両手で顔を覆って「思慮のない人々に愛されるのもつらい」とつぶやく預言者の風刺漫画を掲載。イスラム社会の反発をかったデンマーク紙の風刺漫画12点も合わせて転載し、「表現の自由」の重要性を訴えました。この特集号は通常14万部のところ40万部以上を発行、発売日の午前中には売り切れたと言います。
もう一紙は、すっぱ抜きで知られる週刊紙「カナール・アンシェネ」。「悪魔的な絵」と書かれた検閲印のようなマークとともに、ムハンマド風の人物らを描いた漫画を掲載し、イスラム社会を皮肉りました。
「シャルリー・エブド」に対しては、仏イスラム教評議会は10日、提訴に踏み切ることを決めておりイスラム教徒の反発をあらわにしました。一方で、仏日刊紙フランス・ソワールやリベラシオンについては、デンマーク紙の風刺漫画の転載が中心だったことから提訴を見送っています。
シラク大統領は「挑発行為を非難する。表現の自由は仏社会の重要な要素だが、寛容の精神と宗教にも配慮して、その権利を行使すべきだ」と語っています。
フランスでは昨年から各地で若者の暴動が勃発。移民の失業問題が原因の一つとされ多宗教国家の危機とも報じられました。今回の一件では、相次ぎ転載に踏み切った背景に揺れる社会がかいまみられ、「自由」を重んじるフランス人としての自らのアイデンティティを改めて叫んでいるようにも見えるように思います。

結婚なんて過去のもの

324号の「子だくさんフランス」で、少し紹介したフランスの制度PACS(連体市民協約)ですが、いつもより多くの反響をいただきました。そこで、今回はPACS(パックス)についてもうちょっと掘り下げてみたいと思います。
まず、PACS(パックス)とは、同棲(どうせい)の男女や同性愛カップルが、納税や相続で夫婦なみの権利を得られる制度です。そもそもの始まりは99年に主に同性愛者からの要望で、左派連立内閣の時に認められました。北欧から始まった制度で、保守派や宗教界から「伝統的な家族制度を破壊する暴挙だ」との反発もありましたが、今では多くの欧州諸国が導入しています。
では具体的にPACSを結んだ2人にどんな優遇措置があるのか。
まず2人は共同納税者となり、お互いに経済的に助け合うことが義務となります。また、2人が賃貸住宅に住んでいる場合、パートナーの死亡や失踪などで名義人を失ったとしても、賃貸期間中であれば居住できます。
フランスでは税は夫婦単位で徴収されるため、個人で別々に納税するよりも軽減され、PACS締結後2年たてば、条件付きで法律婚夫婦と同じように贈与税や相続税の軽減措置も受けられるようになります。
PACSを結んだ2人は、結婚と同棲の間、言わば「契約を交わした同棲」(法律上は互いに独身であるが、パートナーとしては認められている)状態にあると言えるのです。
これだけ聞くとPACSという自由な形態は、人々に受け入れられPACS人口が増えているに違いないって思いますよね。事実、ユニオン・リーブル(同棲)やPACSなどのカップルは90年、150万人でしたがが、04年に240万人に達し、6組に1組の割合となっています。
しかししかし、その中身をじっくり見ると…、パリの35~44歳の異性カップルのうちPACSを結んでいるカップルは2.7%にすぎず、法律婚(66.3%)はもちろん、同棲(31.0%)に比べても非常に少ないことが分かります。(※内閣府経済社会研究所編「フランスとドイツの家庭生活調査」/2005年)
このへんの数字の読み方は様々ですが、もともとが同性愛者を対象とした制度であるPACSに抵抗を持つ人がいることも確かな様子。結局結婚に至らず自由でいたい関係の2人がユニオン・リーブルの状態で十分と考えているという背景も伺えます。
では、ユニオン・リーブル、PACS、結婚とこれだけの選択肢の中で何を基準に選べばいいの???思ってしまうのですが、結婚にもまだまだメリットはあります。
結婚していれば、夫婦間の相続税は、5%から40%まで5%刻みの税額ですが、PACSでは40%と50%の2種類、ユニオン・リーブルなど他の関係では55%と60%の2種類と、非常に高くなります。
自由でいたいという気持ち以外にも、結婚のハードルとなっているのは離婚の制度。互いに離婚に同意していても弁護士をたてねばならず、裁判所に申請しなければなりません。半年はかかると言われ、多額の金額をつぎ込み、何年もかけて離婚するなんてことも…。気軽に結婚できないわけです。
上記のような相続税の優遇を求めて、ユニオン・リーブルのカップルが高齢になって初めて駆け込みで結婚に切り替える手続きも増えているそうで、なんて合理的かつ現金な人たちなんだろうと思わずにはいられません…。
ところで、数年前は3人に1人が婚外子だったそうですが、今やパリでは2人に1人が婚外子なんだそうです。離婚も2組に1組。
パパとママがいてその間に子供が…なんて家族像は過去のもの。多様化する結婚観の中でフランスでの幸せな家族な形の終着点はどこにあるのか。これって男女の間に横たわる深~い社会問題なのだとは思わずにはいられません。

子だくさんフランス

今年あたり、友人がフランス人男性と結婚することになりそうです。彼女がフランス留学時代に知り合い、以来6年越しの恋がようやく「結婚」として実る模様。現在2人は日本で生活していますが、ゆくゆくはフランスに移りたい。なぜなら、「子供を産みやすい制度があるから」。なるほど納得、大正解かもしれません…。
フランスの2004年の出生率は1.9人でついに欧州でトップとなりました。1970年代には少子化に悩んだものの見事挽回。「子だくさんフランス」の秘密とは?
★出産がタダ
まず、生むのにお金がかからないこと。出産にも健康保険が適用され、公共の病院であれば出産にはお金がかかりません。
★手厚い家族手当
子供2人で毎月112.59ユーロ(約15,000円)が20歳になる直前まで支給されます。子供の数が増えるほど額も増加し、子だくさんの家庭に手厚い支給を行っています。
★子育てと仕事の両立
子供が3歳になるまで育児休業または勤務時間短縮が認められています。職場復帰の際は前と同等のポジションまたは本人の希望に応じて決めることができるよう定められています。
保育サービスも、保育ママ・ベビーシッターの利用支援制度が充実しており、出産後もフルタイムで働くことができます。事実、24~49歳の女性の就業率が80%と欧州最高となっています。
だいたい以上の3つがあげられますが、そのほかにも結婚に対する『自由な考え方』が大きく影響しているようです。例ば、PACS(連体市民協約)は結婚しないカップルにも法的な権利を認めようというフランス特有の法律。できちゃった婚ではなく、できちゃっても結婚しないままでいられるわけですね。
また、“出産後は女性が家にいて子育てと家事に専念するべき”と考える男性もお隣ドイツや日本などと比べても少なく、伴侶からのプレッシャーを受け「仕事か子育て」か、そんな2つに1つの選択を迫られずにすむわけです。
このように、政府の支援が充実しているだけではなく、伴侶の理解や世間一般の目も子だくさん国家のための重要な要因に思えます。フランスでは子持ちであることがデメリットにならない。だからこそ、女性が産みたいときに産み、働きたいように働けるんですね。
右へ倣えではありませんが、出生率1.29人の日本としては参考にすべき点は多くあるように思います。

今、最も好感を持てる有名人は、誰?

 「Le journal du dimanche」が行っている有名人好感度調査の結果が発表され ました。2005年の11月にフランス人964人を対象に行われた調査です。

 前年と同様1位を誇るのはYannick Noah(ヤニック・ノア)。日本ではあまり 名は知られていませんが身長193cmの華麗なスタイルを誇り、1983年の全仏 オープン男子シングルス優勝、2005年に国際テニス殿堂入りを果たしたという 実力者。現在は歌手として活動しており多彩ぶりを発揮しています。

 また、根強い人気に驚いてしまうのが、国際的なスターJean Reno(ジャン・レノ) でしょうか。コンスタントに積み上げてきたキャリアへの評価が現れています ね。今年は世界的に注目を浴びている「ダ・ヴィンチ・コード」の公開も控 え、彼の出番を楽しみに待つフランス人が多くいることでしょう。
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  ★好感度TOP10 /(前年)
  1位 Yannick Noah(前テニス選手、歌手)/(1位)
  2位 Zinedine Zidane(サッカー選手)/(2位)
  3位 Renaud(歌手)/(6位)
  4位 Florent Pagny(歌手)/(8位)
  5位 Jean Reno(男優)/(32位)
  6位 Charles Aznavour(歌手)/(3位)
  7位 Johnny Hallyday(歌手)/(17位)
  8位 Nicolas Hulot(UshuayaTV番組プロデュサー)/(4位)
  9位 Mimie Mathy(女優)/(45位)
  10位 Michel Sardou(歌手)/(7位)
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Jours de fetes(祭りの日々)

今年の9月に3年間の改修工事を経て、再オープンしたグラン・パレ、この12月15日から新しい催しが開催されています。クリスマスも間近に迫ったこの時期、お祭りの雰囲気が満喫できるイベントです。その名も「jours de fetes(祭りの日々)」。どんな内容かと言いますと、世界博覧会の会場として、19世紀後半から活躍してきたこのグラン・パレに、移動遊園地とサーカス団を入れてしまったのです。
日本でお祭りというと、「露店」というイメージが浮かんでくるのではないでしょうか、フランス人にとっては「移動遊園地」や「サーカス」がそれに当たり。観覧車、回転木馬、アトラクション、それに曲芸を披露する芸人。綿菓子、ゴーフル、りんご飴などの甘い香り、、、。こんな楽しいお祭りをパリの中、しかもシャンゼリゼのすぐ近くのグラン・パレにすっぽり入れてしまった今回の催し、建築家 Patrick Bouchainや、ライティングアーチストの Thierry Dreyfus、DJの Christope Monier (The Micronauts)が参加していて、中世から引き継がれてきた曲芸芸術をさらに引き立てています。
パリ郊外のRosny-sous-Boisには国立サーカス学校があり、そこの学生達も、一日二回プログラムを披露しています。また、訪れる子供達がトランポリンやバランス芸などを体験できるアトリエも会場内で開かれています。
そして子供から大人まで楽しめる一番の目玉は、ガラス張りの丸天井すれすれに回転している30mの高さを持つ大観覧車、ゴンドラが頂上にたどり着くと、夜にはガラス越しにきらめくエッフェル塔、眼下には遊園地ではしゃぐ人達を見下ろすことができます。この位置では、音響も聞こえないように設定されていて、喧騒から逃れ、まさに魔法のような一瞬が味わえるそうです。
ちなみにスピード感を味わいたい方には、時速150キロの速さで回転するプロペラのような乗り物が用意されています。12月15日から2006年1月2日までのこの豪華版お祭り企画、フランス人が思い浮かべる、お祭りのイメージ、香り、音。この機会に体験してみてはいかがでしょうか?
もしこの機会を見逃してしまった方も、夏には、フランスで一番古い歴史を持つ Saint Germain en Layeの La fete des logesや、3月から5月に掛けてパリ12区の Pelouse de reuillyで行われる La foire du troneでも、移動遊園地が楽しめます。

江戸時代にフランス語を習ったらどうなるか?

フランス語でhは発音しないことになっているので、フランス人に英語などを習うときにhの発音、つまりhaveとかを発音するのは難しいのかと聞いたことがある。日本語で無い音は聞き取りにくかったり発音がしにくい。例えば、rとlとか「あ」と「え」の中間のような母音などだ。

全てのフランス人に聞いたわけではないが、その答えは、はじめは少し戸惑うみたいだがそれほど難しいわけではないようだ。実際フランス人の英語を聞いてhを言えないという人は見たことがない。

hの発音は日本語で言えば、は行の発音になる。ハ行の拗音はパピプペポ、濁音はバビブベボ、アルファベットではpとbだ。フランス語でもpとbは普通に発音するから、hの音だけ発音しないのかと思って、自分で発音してみるとハヒフヘホはパピプペポやバビブベボと口の形に関連性がないようだ。パピプペポやバビブベボは唇を付けるが、ハヒフヘホは付けない。カキクケコの濁音であるガギグゲゴが同じ系統の発音で有るのに対して違いが分かるだろうか?

調べてみると昔の日本人のハヒフヘホの発音は随分違っていたらしい。江戸時代のなぞなぞにはこんな物がある。「母には2回合うが、父には一度も合わない物はなあに?」その答えは「唇」だが、現代の日本語でこの答えを出すことは出来ない。当時のポルトガル人が作った本や日本地図を見るとハ行に当たる部分はFで表記されていて、この時代はファフィフフェフォと発音されていたらしい。この時期のファフィフフェフォは、英語のF音のように前歯で下唇をかむ発音ではなく、どちらかというとフランス語のFの方が近い様だ。さらに遡ると平安時代は「パピプペポ」と発音されていたようだ。

現在の日本語のハ行をファ行、パ行で発音するとバカにしたような音になるが、東北の方の方言では古い近畿地方の言葉が残っていると言うし、柳田國男の「方言周圏論」ではかっての首都だった京都の言葉がだんだん周囲に広がっていき九州や東北の方で昔の言葉(古語)が残っていると言う。

フランス語と東北弁は似ていると言うが、逆にフランス人に日本語を話させるとちょっと東北弁のようにどこか濁音が入ってしまう。東北弁の濁音はフランス語の鼻にかかった音に似ている。「早聞き時事フランス語」で落語を読ませると清音であるところが濁音で話してしまうところが多い。更に今では無くなってしまった、ワ行のヰ(ゐ、ウィ)が残っているようだ。

もし江戸時代や平安時代なら、ワ行のヰヱヲ(ゐゑを)やヤ行の無くなってしまった発音などもあり、今よりもフランス語の発音は親しみやすかったのかも知れない。何しろOuiは「ヰ」と一字で表せる。

フランス文化省ホームページ上のインフォメーションhttp://www.culture.fr/Groups/accueil/article_82_fr
La fete des logesのインフォメーションhttp://www.ville-st-germain-en-laye.fr/acv/vc/rv.html#fl
La foire du troneのインフォメーションhttp://www.foiredutrone.com/home.htm

フランス暴動

日本でも連日報道されているフランスの暴動。大規模な天災の直後に暴動に発展することは先進国でも有りましたが、比較的穏やかなヨーロッパでの暴動に驚いた方も多いでしょう。
事の発端は、10月27日パリの郊外セーヌ・サンドニ県で強盗事件の捜査中に警官がアフリカ系少年を追跡。少年は変電所に逃げ込んだのですが、そこで感電死してしまいました。しかし、この事件に対しサルコジ内相は、少年は追跡されていなかったとし、更に暴言を吐いたことにより、アフリカ系住民が反発し主に未成年による暴動が始まったのです。
当初は政府も早期に終息すると思っていたらしく、特に対応をしたわけではなかったのですが、全国規模に広がり、1968年の5月革命以来の首相と学生との対話などが行われることになり、さらには異例の外出禁止令発動という事態になりました。
この暴動がフランスだけではなく地続きのヨーロッパ各国にも震撼させるものとなったのは、静かに緊張状態にある移民問題が根底にあります。第2次世界大戦以降、労働力として受け入れてきた主に旧植民地出身のアジア・アフリカ系移民とフランスならばフランス生まれなら自動的に国籍が取得できた2世達がいます。フランスではアラブ系住民は10%程度になっています。
外国人口が10%程度ある都市は日本には存在しないのではないかと思います。比較的外国人比率の多い都市(町)でも1~2%と思いますが、こういう所に行くと周りが全て外国人ではないか、外国に来たような気になります。更に文化や宗教などが違うとなると違和感を感じます。
フランスだけではなく、もちろん日本でも外国人に対しての扱いは冷たい物があります。特に警察とのやりとりは、移民系でない人と比べて乱暴に感じることは多く、大きなトラブルにならないくらい抑圧されていたのかも知れません。
また、ヨーロッパ全体の特徴でも有りますが、フランスでは特に若者の失業率が高いのです。フランス全体の失業率が10%と日本の約2倍と高いのですが、更に移民系では30%と言われています。また、移民系とわかると就職出来ないという話もあります。
フランス人と日本人のハーフでフランス生まれのフランス育ち友人は、日本人の父親から常に言われていたことはいかに国籍が重要かと言うことでした。いかに国籍が無いことで差別され大変だったかよく聞かされたそうです。今では世界第2位の経済大国というバックグラウンドがあってもですから、アフリカ系住民はより大変なのでしょう。
更にフランス内相のサルコジ氏は次期大統領候補とも言われていますが、特に人種差別的な発言を行うことでも有名です。例を挙げれば、「相撲は頭の悪い人のやるスポーツだ」とも言う人です。
1995年のフランス大統領選挙ではシラク大統領が社会格差の解消を公約にしていましたが、2002年の選挙では極右のルペン氏と決選投票になるなど危うい状況で何とか再選されたのも失業と治安の悪化が原因とされています。
多少ヨーロッパ各地に飛び火したようですが、現在は鎮静化に向かっているそうです。暴動事態も局所的な事件が連鎖しているようで、全体的なうねりが発生しているわけでもなく、リーダーが生まれ仕切っているわけでもない模様です。パリ市内では特に危険はないと現在認識されています。

フランス留学フェア2005

フランス大使館及びフランス政府留学局「エデュ・フランス」は10月28日から11月25日(カタログでの表示、プレスリリースでは11月12日~12月3日)の間フランス留学フェアを行います。東京の日仏学院をはじめ、全国の日仏学院やアリアンス・フランセーズで留学に関する説明会が行われる模様です。手元の資料では22の大学、グランゼコール、専門学校など様々な教育機関の担当者が来日し説明を聞けるようです。
記者会見では、抽象的で長いフランス大使のスピーチの後エルメスの社長のフランス留学体験談、パリ第一大学の教授でもありフランス大使館の参事官の説明がありました。日本のエルメス社長の斉藤氏は30年前の話といえ、なかなか興味深い物でしたので後ほどDVDか何らかの形で紹介できればと思います。
特にフランスへの留学が非常に変わったということで、以前では大変多くの機関への書類提出などが必要だったのが現在では一本化したことをあげていました。また、欧州委員会(EU)の関連で大学の単位交換が国際的になったと言うこと、学位に対してアメリカのようなスタイルにしたことなど、フランスの大学と言うよりもヨーロッパの大学であることを強調していました。
2002年以降アメリカへの留学者の増加は減少している一方、1999年頃からヨーロッパ各国の受け入れ留学生が増えてきています。この提供していただいたグラフによれば1994年から1998年の間フランスへの留学者は減少していますが、2002年は2万人以上増えています。フランス語に関してもマネージメントや科学技術などの分野では一部の授業は英語で行われたり、大学や講座の取り方によっては全ての授業を英語で履修することも可能だそうです。フランスのエリート教育機関であるグランゼコールでも高等数学などの試験を受けなければならずフランス人同等の高度なフランス語能力がない限り入学することは難しいかったのですが、書類選考などにより緩和されているそうです。
現在半年以上滞在している日本人留学生は1780名でそのうち350名が語学留学、半年以下の短期留学はほとんどが語学留学だそうです。マネージメントでは1クラス50名の授業のうち半分が留学生で、またその半分がアジア圏の生徒だそうです。

シラク大統領退院

網膜の血管障害で2日からパリ軍人病院に1週間入院していたシラク大統領が9日退院しました。この2日前に行われたワールドカップのヨーロッパ予選での対アイルランド戦で入院中のシラク大統領からジタン選手に電話がかかり、「国歌斉唱の時に1998年のワールドカップフランス大会のように、私とフランスのために手に胸を当てて欲しい」と。この依頼によりジタンは監督、チームメイトと相談の上、全員が大統領に敬意を表し胸に手を当てたのです。
しかし、この美談は、物まねタレントのジェラルド・ダアンが、大統領が病院から電話したように真似をしたいたずらだったのです。シラク大統領はパリ市長のころから何かとネタにされてきました。
ちなみに、ジタンはこの試合で股関節を痛め、途中交代。3週間は出場は出来ない模様で、低迷するフランス代表をワールドカップへ導くために復帰したが、再びワールドカップ出場が危ぶまれています。

リヨンの人々(カンフー好き編)

リヨンの冬は寒い!時にはマイナス20度にもなる!という話を聞き、脅えていた私は拍子抜けしました。確かに11月は寒かった。朝、川辺を歩く時は特に。でも1月になると日に日に暖かくなり、春の気配を感じる今日この頃。こんな短い冬のためにダウンコートを買ったのかぁ、と後悔しています。ところで新年早々から、私には一つの心配がありました。家探しです。それまで住んでいた寮の契約期限が切れるので、新しく住む家をさがさなければならなくなったのです。日本では何度か家探しを経験していますが、ここはフランス。勝手がわからず、何をどう始めたらいいのか。

まず、大学からいくつか紹介してもらったものの、めぼしい物件はナシ。次に不動産屋をかたっぱしから訪ねてみたけれど、なかなか希望に合うものがない。困ったなー、と思いながら無料情報誌の物件の欄をみていると、あった!私の予算範囲内で、しかもリヨンで一番気に入っている地区、vieux Lyon(旧市街地)。さっそく大家さんの携帯に電話し、ステュディオを見せてもらうことに。でも建物の中に入った途端、私のウキウキ気分は消え去りました。石でできた螺旋階段のおそろしく古いこと!場所柄、古いことは予想していたけれど、それにしても古い。かなり擦り減っている上に、暗くてよく見えない。そしてかなりの急勾配。23歳の私が休み休み上っているのを尻目に、50代の大家さんは軽やかに上っていく。息を切らして5階に着くと、大家さんが一言。「じき慣れるよ...。」

私はこの階段を上りながら、恐ろしく古い部屋を想像していました。恐る恐る部屋のドアを開けると、中は意外にきれいでびっくり。屋根裏部屋のような雰囲気で、8畳くらいの広さにロフト付き。内装もまずまず。何より私が引かれたのは、窓を開けるとすぐ近くにあるサン.ジャン大聖堂の鐘の音や、石畳の道を歩く人の、コツコツという足音が聞こえること。vieux Lyonを感じることができるこの部屋を私はとても気に入り、即決しました。契約は拍子抜けするほどスムーズに。さらに大家さんの、「足りない家具とか生活用品があれば貸してあげるから買うことないよ」という言葉に感激。「外国人には家を貸したがらない人が多くて大変だよ」と色々な人から聞いていましたが、そういう人ばかりではないんだ、と思いました。

さて、無事に引っ越しも済み、実際に住み始めてますますこの部屋が気に入り、一人楽しく?のんびりしていると、フランス人の友達から電話が。今晩、「カンフーの会」があるからおいで、との誘いです。なんだ?カンフーの会って。とりあえずカンフーに興味がないので断ると、「興味があるかないかは実際に見てから決めなよ」と言うので、それもそうかと思いこの不思議な会に参加することにしました。

会場に行くと、すでに40人くらいの人が来ていました。ほとんどが地域のクラブでカンフーを習っているというフランス人の男女で、その数の多さに驚きました。フランスで柔道が人気とは聞いていましたが、カンフーがこんなに人気とは。この会、まずはカンフー映画を見て、カンフーの先生のデモンストレーションがあり、その後夕食をとりながらカンフーについて語り合う、という大変熱心(そして強烈)なものでした。

アクション映画に全く興味のなかった私ですが、まず、その映画の面白さにびっくり。ユーモアあり、華麗なカンフー技あり、そして中国の歴史的背景も描かれていてとても楽しめました。そしてさらに、先生3人によるデモンストレーションに感動。技一つ一つの美しいこと!「肉体よりもむしろ精神を鍛える」という中国人師匠の話を聞く頃には、私はすっかりカンフーのファンになっていました...。その後の夕食会では、彼らのアジアについての知識がとても深いことにも驚きました。まさかリヨンでフランス人に柔道やカンフー、空手やなぎなたなどについて詳しく教わるとは...。

この日何より驚いたのは、私が一日にしてカンフーに興味を持ったということ。自分が興味ないと思っていることの多くは、実は知らないから興味がないのかもしれないな、と感じました。家探しにカンフー、自分の目で確かめることの大切さを実感した1月でした。